第28話 侯爵家
ロクサルト王国。カーティス侯爵邸にて。
屋敷の奥にある執務室では、今日も屋敷の主である男が机で書類と睨み合っていた。
男の名前はウッドレイ・カーティス。
マリアンヌとメアリーの父親であり、少し前までロクサルト王国の宰相を務めていた貴族である。
年齢は30代後半といったところなのだが、憔悴が刻まれた顔は見るからにやつれており、10歳以上は老けて見えた。
「旦那様・・・少し、休憩されてはいかがでしょうか?」
見かねた様子で、傍に控えていた執事が声をかける。
カーティス侯爵はここ1ヵ月、ほとんど睡眠もとらずに働いていた。その仕事の大半は、1ヵ月前にレイフェルトの結婚式で起こった事件の後処理である。
宰相という地位を返上したにもかかわらず、侯爵の下には連日連夜、王宮から仕事の書類が舞い込んできていた。
侯爵もそれを拒むことはなく、まるでそれが罪滅ぼしであるかのように仕事に打ち込んでいた。
「この書類が終わったら休む」
「・・・・・・」
その言葉は聞き飽きた。
それと同じセリフを吐きながら、もう20枚以上も書類を処理しているのだから。
(無理もない・・・マリアンヌ様が、メアリー様があんなことになられたのだ)
執事はひっそりと溜息をついた。
ウッドレイ・カーティスという人物は、世間からはお家のためならば実の娘さえも斬り捨てる冷徹な人物と思われている。
しかし、実際は何よりも家族を大事に思う情の厚い人間であることを、長年仕えている執事は知っていた。
(あそこでマリアンヌ様を追放しなければ、王家と神殿をまとめて敵に回していたかもしれない。いかにメアリー様が新しい聖女に選ばれたとはいえ、神の加護を失うということはこの国ではあまりにも重いのだから・・・)
家を、家族を守るために娘を斬り捨てる。
それは血を吐くような辛い決断だったに違いない。
メアリーが魔族となって飛び去ってからというもの、カーティス侯爵家は全身全霊でマリアンヌの捜索をしていた。
貯蓄の大半を使って傭兵を雇い、マリアンヌが行方不明になった森に捜索隊を送った。
マリアンヌを森に捨てた騎士をひそかに捕らえ、拷問にかけて可能な限り情報を引き出した。
しかし、そうまでしたにもかかわらず、マリアンヌの死体も服の切れ端すら見つけることはできなかった。
もはや生存は絶望的である。
それでも、侯爵はマリアンヌの捜索をやめようとはしなかった。
日夜、仕事に打ち込みながら、合間を見つけては人を集めてマリアンヌを探していた。
「旦那様・・・」
このままでは主が倒れてしまう。
そう思って執事が声をかけるが、唐突に侯爵がペンを置く。
「・・・時間だ。アリアンナに会いに行く」
「っ・・・、もうそんな時間でしたか」
執事が壁時計を見ると、時計の短針が昼の3時を指していた。
侯爵が毎日のように欠かさずしている、日課の時間であった。
「書類を整理しておいてくれ。1時間ほどで戻る」
「・・・・・・」
有無を言わさず言い捨てて、侯爵は椅子から立ち上がって部屋から出ていった。
己の妻――アリアンナ・カーティスの部屋へと向かう主人の背中を、執事は痛ましげに見送った。
侯爵は妻、アリアンナ・カーティスの部屋へと行き、ノックもせずにドアノブを回した。
部屋はカーテンが閉め切られており、辛うじて部屋の奥がぼんやりと見える程度の光量しかない。
侯爵は目を凝らして、部屋の奥にあるベッドへと視線を向けた。
「はい、それじゃあ3時のおやつにしましょうね。今日のおやつはアップルパイですよ」
「・・・・・・」
ベッドの上には、一人の女性の姿があった。
アリアンナ・カーティス。
侯爵の妻であり、マリアンヌとメアリーの母親である。
かつては王国の花とも呼ばれ、先代の聖女でもあったアリアンナは、今は見る影もないほどにやつれていた。
マリアンヌと同じプラチナの髪はほとんどが白髪となっており、ふっくらとしていた頬も骸骨のように肉が削ぎ落ちている。
「こら、二人ともケンカをしてはいけませんよ。ちゃんと二人の分を用意していますから」
アリアンナはベッドに横になったまま上半身を起こし、乾いた唇を動かしてうわ言のようにしゃべっている。
青い瞳は限界まで見開かれており、カーテンの隙間から差し込む光を反射して爛々と輝いている。
「アリアンナ」
「あら、あなた。いらしたのですか?」
「ああ・・・」
侯爵が声をかけると、アリアンナは扉の方を向いてにっこりと笑った。
かつて見るもの全てを魅了していた微笑みは、不気味な狂人の嗤いに変わっている。
「二人とも、お父様が来ましたよ。ご挨拶をしなさい」
アリアンナが布団の上でもてあそんでいた人形をこちらに突き出してきた。
上質な布で作られた二つの人形は少女の姿を象っており、銀色の髪のものがマリアンヌ。金色の髪のものがメアリーだ。
「はい、上手に挨拶できましたね」
アリアンナは人形を布団の上において、パチパチと拍手をする。
その狂気を孕んだ光景を見て、侯爵は涙を堪えるように指先で目頭を押さえた。
「アリアンナ、すまない・・・私のせいで・・・」
かつて美しかった妻は、二人の娘を失ったことで正気を失い発狂してしまった。
マリアンヌが追放されて。
メアリーが魔族に変わって。
追放されたはずのマリアンヌが実は暗殺されていた。
立て続けに起こったそれらの事件は、繊細な性格のアリアンナには耐えられないことだった。
事件の直後、マリアンヌが修道院に送られずに森に捨てられたことを知った時には、舌を噛んで自害しようとしたくらいである。
侯爵と使用人の手厚い看護によって自殺だけは思いとどめたものの、一度壊れた精神の均衡は戻ることはなかった。
アリアンナは二人の娘が子供の頃に遊んでいたぬいぐるみを引っ張り出してきて、それを実の娘であるかのように振る舞うようになってしまった。
「さあ、あなた。こちらに来て座ってくださいな。一緒にお茶を飲みましょう?」
「・・・・・・そうだな」
侯爵は奥歯を噛みしめながら頷いて、ベッドの上に腰かけた。
二人はしばし、ままごとのような人形遊びに興じた。
その姿はあまりにも狂気的で、そして、どこか物悲しく見えた。
王家の人間も。侯爵家の人間も。
マリアンヌから罰を与えられることがなかった彼らであったが、それでも絶望の日々は続いていった。
それは女神が下した罰か。
はたまた、人の業がもたらした因果応報か。
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