第26話 天槌②

時間はわずかにさかのぼる。


 神殿から少し離れた場所。王都の中心近くにある時計塔の尖塔に、マリアンヌ・カーティス・・・マーリンを名乗る魔女が立っていた。


「えーと・・・これはどういう状況なのかしら?」


 マーリンの口から戸惑ったような言葉が漏れる。

 彼女の視線の先には、今まさに結婚式が行われている神殿があった。


 マーリンの掌の上には拳大に凝縮された雷が握り込まれている。

 千里眼の魔術を使って結婚式の様子を観察しながら、マーリンはその雷を放つタイミングをうかがっていたのである。


 式の最後・・・誓いのキスの瞬間に雷を落としてやろうと企んでいたのだが、彼女の視線の先にあるのは予想外の光景であった。

 突然、復讐対象の一人であったメアリー・カーティスが魔族の姿に変わり、暴れ出したのである。


「どうやら、化けの皮がはがれたようだな」


「フュル、何か知ってるの?」


 背後に顕現した契約悪魔に、マーリンは問いかけた。

 フュルフールは秀麗な顔に嘲るような笑みを浮かべて、眼下で繰り広げられている茶番劇を睥睨する。


「魔族どもが使う呪いの一つで、肉体から魂を切り離して他者の身体に憑依させるものだ。相手の許可がなければできないことなのだが、奴らはこれまで権力者の身体を乗っ取り、人間社会を水面下から毒してきたのだよ」


「それじゃあ、メアリーは本当に魔族と内通していたのね」


 マーリンは唇が白くなるほど、強く噛みしめた。

 メアリーは自分の力と立場を奪い取った憎むべき相手で、復讐対象の筆頭である。

 しかし、それでも血を分けた唯一の妹だ。心のどこかで、何かの間違いであって欲しいという思いを拭うことが出来なかった。


 やがて、神殿での戦いに決着がついた。

 魔族となったメアリーは神殿の屋根を破壊して外に飛び出し、空を飛んで逃げていった。


「どうするのだ? 逃げてしまうぞ」


「・・・どうしましょう」


 マーリンは手の平に載った雷を見やり、困ったように眉じりを下げた。


 待ちに待った復讐のとき。

 レイフェルトとメアリーが幸福の絶頂に達した瞬間、その全てを消し去ってしまおうと思っていた。

 それなのに、自分とは全く無関係なところで彼らの幸福は崩壊して、勝手に絶望の底へと落ちていった。


 お前なんていらない。お呼びでない。

 そんなふうに言われた気がして非常に腹立たしいのだが、そこからどうして良いのかわからなくなってしまった。


 自分の出番を今か今かと待っていた演劇女優が、客の飛び入りのせいで登場のタイミングを見失ってしまったような・・・そんな途方に暮れた思いで、マーリンは時計塔の上に立ちすくんでいた。


 呆然とするマーリンの様子を見かねたのか、フュルフールがその顔を覗き込んで気遣わしげに声をかける。


「マーリン・・・とりあえず、その雷をどうにかしたらどうだい?」


「え、ああ・・・そうですね」


「ちょうどそこに鬱陶しい羽虫が飛んでいるし、撃ち落としておけばいい。誰が困るものでもあるまい?」


「・・・・・・そうしましょうか」


 マーリンはフュルフールに言われるがまま、飛び去っていく魔族へと雷を投げつけた。


 マーリンの魔法は、雷の上位悪魔との契約によって限界を超えてブーストされている。

 極小に凝縮されていた雷は、マーリンの命ずるままに極大の雷撃となってメアリーの身体を飲み込んだ。


 黒焦げに炭化して地面に落ちていく妹の肉体を見て、マリアンヌは気が抜けたような溜息をついた。


「はあ・・・思っていたほどの感慨はありませんね」


 魔族の姿に変わり果てているせいか、マーリンの中で妹と落ちていく人型の炭の姿がうまく結びつかなかった。

 実の妹の命を奪ったマーリンの心は、自分でも驚くほどに静かに凪いでいた。


「それで? 下の連中はどうする?」


 妹への復讐を果たしたマーリンへと、フュルフールが尋ねてきた。


「・・・・・・」


 マーリンは無言で、神殿の中にいる人々を見下ろした。


 婚約者であったレイフェルトは呆然と床に座り込んでいた。

 その瞳は空虚に濁っており、婚約者が目の前で魔族に成り果てたことで完全に思考が停止しているようだった。


 国王は我先に神殿から逃げ出そうとする貴族を抑え込んでおり、必死に騎士へと檄を飛ばしている。

 聖女であり、王太子の婚約者であった女が魔族であったなどと外に漏れれば、国の威信が地に落ちる一大事である。

 式には他国の者も参加している以上、どこまで揉み消せるかはわからないが、これから眠れない日々が続くだろう。


 ガイウス・クライアをはじめとした騎士達は戦いに巻き込まれた怪我人の救出をしている。

 マーリンの目には、ガイウスの顔が後悔に引きつっているように見えた。

 ひょっとしたら、マリアンヌ・カーティスを殺害したことを、わずかでも悔やんでいるのかもしれなかった。


 そして、マリアンヌとメアリーの両親。

 カーティス侯爵夫妻はというと、膝をついて泣き崩れる妻にカーティス侯爵が寄り添って背中を撫でている。

 魔族の口からマリアンヌが聖女の力を失った経緯を聞かされ、おまけにメアリーが魔族となり、彼らは絶望の底へと墜とされていた。

 泣き崩れる夫人はもちろん、侯爵の顔も悲痛と後悔に歪んでいる。


「・・・彼らに、もはや何かする気にはなれませんね」


 マーリンはぽつりとつぶやいた。


「私が手を下すまでもなく、彼らはこれから奈落のような苦難の道を歩くことになるでしょう。物足りないような気もしますが、私にはこれ以上、彼らを追い詰める手段は思いつきません」


 今回の一件により、マリアンヌ・カーティスの無罪は完全に証明された。


 マリアンヌを追放して、さらには殺害を企んだレイフェルト。実行犯で会ったガイウスは確実に重い処分を下されるはずだ。


 侯爵夫妻は仮にマーリンが復讐のために姿を現わせば、無事に生きていた娘の姿を見てかえって喜ばせてしまうだろう。


 このまま、何もせずに姿を消す。

 それがマーリンにできる唯一の復讐であった。


「それで、本当にいいのか?」


 フュルフールが躊躇いがちに聞いてくる。

 マーリンがどれほど復讐に焦がれていたかを知っている彼としては、こんな結末に終わってマーリンが落ち込んでいると思っているのだろう。

 しかし、マーリンは恋人でもある契約悪魔に首を振って見せる。


「心配しなくても、私は復讐をやめるわけではありません。ただ、矛先を変えるだけです」


「なに・・・?」


「復讐するべき相手は彼らだけではありません。裁きを受けなければいけない者達は、まだいるのですから」


 そう言って、マーリンはうつむけていた顔を上げる。


 迷いのない目線は、北の方角へとまっすぐ向けられていたのであった。


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