第7話 悪魔召喚①

 マリアンヌは気持ちを落ち着けるためにカップからお茶を飲み、ゆっくりと息を吐いた。


「それで・・・ラクシャータさんはどうしてこの森に住んでいるんですか?」


「あ、やっぱりそれ聞いちゃう?」


 マリアンヌの質問にラクシャータはちらりと舌を出す。

 色っぽい仕草に頬を染めながら、マリアンヌはこくりと頷いた。


「神殿を追放されてから娼婦に戻ろうと思ったんだけど、さすがに聖女が娼婦になるというのは体裁が悪かったみたいね。神殿から命を狙われるようになって、逃げ回る日が続いたのよ」


 ラクシャータはごくりとお茶を飲んで、赤い髪を指先に巻きつけてもてあそぶ。


「治癒魔法を使えたから生活には困らなかったけど・・・長い放浪生活だったわねー」


「え? 治癒魔法、使えたんですか?」


 マリアンヌは意外そうに瞬きを繰り返す。

 汚れた聖女ラクシャータは、姦淫が原因で神の加護を失ったのではなかったか?


「普通に使えるわよ? 治癒魔法なんて珍しいだけで、普通の魔法じゃない。神様の加護とか、関係ないわよ」


 あっさりと、何でもないことのようにラクシャータは言ってのけた。

 それは治癒魔法が神の加護によってのみ与えられる特別な属性であることを否定する、神殿の教えと真っ向から対立するものであった。


「そもそも、宗派が違う他国にだって治癒属性持ちはいるからねー。神様は関係ないんじゃない?」


「そう、なんですか・・・」


 マリアンヌは信じていたものがガラガラと崩れるのを感じて、小刻みに肩を震わせた。

 婚約者と家族からは裏切られ、信じていた神の教えを否定され、これから何を頼りに生きて行けというのだろうか?


「魔女になったのは神殿から逃げている途中ね。たまたま、悪魔召喚の本を手に入れて、刺客から逃れるために使ってみたのよ」


 ラクシャータが指を立てると、爪の先に小さな炎が灯った。

 徐々に大きくなった炎は、やがて拳ほどの大きさのトカゲへと姿を変える。

 ラクシャータは火でできたトカゲの背中を優しく撫でて、マリアンヌへとにっこりと微笑みかける。


「これが私の契約悪魔、サロメっていうの」


「それが・・・悪魔なんですか?」


「そう、可愛いでしょ? 悪魔と契約したおかげで火属性の魔法も使えるようになって、逃走に便利な魔法も教えてもらったのよ。年を取らないのもそのおかげね」


「・・・・・・」


 ラクシャータが手に乗せたトカゲを顔のそばに持ってくると、赤いトカゲが愛おし気に彼女の顔に頬ずりをする。

 いかにも仲睦まじそうな一人と一匹の姿は、今のマリアンヌにはひどく眩しく見えてしまった。

 マリアンヌはしばし顔を伏せて考え込んで、やがて口を開いた。


「ラクシャータさん。よければ、私にも悪魔を召還する方法を教えてもらえませんか?」


「へ・・・?」


 マリアンヌの言葉を聞いて、ラクシャータはわずかに目を見開いた。


「・・・本気で言ってるのかしら?」


「・・・・・・」


 マリアンヌは無言で、コクリと頷く。

 その瞳に本気の色を見て、ラクシャータは溜息をついた。


「あまりお勧めはしないわねー。森に一人で彷徨っていたから事情があるのはわかるけど・・・」


「お願いします! 私にはほかに頼れるものがないんです!」


 婚約破棄されて。

 国からも、家族からも見放されて。

 元・婚約者からは暗殺者まで差し向けられて。


 唯一、縋れるものといえば神への信仰だけだったというのに、その信仰さえもラクシャータの話を聞いて砕け散ってしまった。


 今のマリアンヌには心の拠り所にできるものが何もなく、嵐の海をさまよう小舟のように頼りない状態であった。


「うーん・・・魔法の才能はあると思うけど、せっかく「雷」の属性を持っているのだから、普通に修行してみたら? 悪魔なんて反則技に頼らなくても、立派な魔法使いになれると思うけど・・・」


「私にはどうしても、力が必要なんです! お願いします!」


「力、ねえ。力を手に入れて何をしたいの?」


 ラクシャータの質問に、マリアンヌは正直に答えるべきか迷った。

 本当のことを話せば、失望させてしまうかもしれない。


「復讐です」


 それでも、偽りなくそれを話したのは命の恩人である彼女への誠意だった。

 自分の過去を話してくれたラクシャータに嘘はつきたくなかったのだ。


 ラクシャータは頬を指先で掻きながら、気まずそうに口を開く。


「あー・・・復讐は何も生まない、とか言ったら怒る?」


「いいえ、私もそう思いますから」


 神殿で聖女として勤めていた頃に、何度か告解という名の悩み相談を受けたことがある。

 その中には復讐という後ろめたい目的を持っている人間もいて、マリアンヌも彼らに同じような言葉をかけたものである。


「復讐をしても意味なんてない。それでも、私が前に進むためには必要なことなんです!」


 いまさら聖女としての立場を取り戻したいなんて思わない。

 婚約者と、家族と和解したいとも思わない。

 それでも、けじめをつけなければ自分は新しい人生を歩めない。


 復讐は前に進むために、必要な儀式なのだ。


「そうねえ、まあ、前向きな理由で復讐をする気だったら別にいいのかしら?」


 私が言えたことじゃないし――そう付け足して、ラクシャータは頷いた。


「私だって自分を殺そうとした司祭とかウェルダンにしてるし、偉そうなことは言えないわね・・・いいわ、教えてあげる」


「本当ですか!」


「うん、悪魔と契約すると色々と不自由もあるから、やっぱりお勧めはできないけど・・・」


『キュー!』


 ラクシャータの肩に乗ったトカゲが抗議をするように鳴いた。

 自分との契約を『不自由』呼ばわりされたことが気に喰わなかったらしい。


「ごめんごめん、私の場合は、契約の対価として男とセックスできなくなっちゃたのよねー。この子、こう見えても独占欲が強いから」


「それくらいなら・・・」


 どうせ自分は処女だし、婚約者に裏切られたおかげで男と関係を持つつもりなんてないから関係ない。


「どんな対価を持ち出してくるかは悪魔によって違うから油断しないでねー。危ないと感じたら、断固として契約を断ること!」


「わかりました」


「召喚の儀式で現れるのはあなたに一番相性のいい悪魔だけど、それでも悪魔には違いないから油断しないでね。くれぐれも、無理はしないで」

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