呑み込みの早さ≠優秀さ
「……はい、はい。あっ、すみません。はい、失礼します」
電話越しでも頭をぺこぺこ下げる田中さん。
「何かトラブルですか?」
申し訳なさそうな顔をしているので、尋ねてみた。
「い、、いや。総務部のシステムが使いにくいって言われてね」
いや、それ田中さんの担当じゃないどころか、うちの部署関係ないよね?
「どうして、田中さんに電話が?」
「前に一緒に仕事をしたことがある部長で、システム関係はとりあえず僕に連絡してくるんだよ。。まぁ、分かる範囲だら問題ないよ」
はははっと乾いた笑顔で答えてくれた。
◇◇◇
「あ〜田中ちゃんね。ほんとお人好しよね」
少し暑くなってきた広場で、セラが唐揚げを頬張りながら喋る。相変わらず八宮くんも一緒だ。
「でも、田中ちゃんも悩みが多いのよ」
「上からも下からもやいやい言われて、板挟みなイメージっす」
その下から、に君たち二人も入っているんじゃ。と心の中で呟く。
「田中ちゃんって、昇進試験に落ちているのよ。そこから一層、仕事に力が入っていない感じがするわ」
「そうなんすか!?」
チーフになったら2、3年で課長試験を受けるらしい。あえて受けずに、管理職にならない人もいるという。
「筆記は結構いい点数だったみたいだけど、グループワークと面接がダメだったみたいよ」
これオフレコね。と口に人差し指をつけてセラは言った。
「グループワークや面接って何をするんすか?」
「管理職としての資質を見ているんだろう。人をうまくマネジメントできるかとか、適切な判断ができるかとか」
「司の言う通りね。詳しい内容まではわからないけど、チームの中でどういう役割を担うのか、どうマネジメントしているのかとか、総合的に見ているらしいわ」
田中さんには厳しい試験だな。どう見ても、マネジメントされる側だもんな。
「東大卒って、あまり試験に落ちないらしいから、相当ショックだったと思うわ」
「社会にでても学歴フィルターあるんすか。。」
「まぁ、日系大手は学閥があるから」
心配しなくても、八宮くんの卒業した慶應は学閥最強クラスだ。
それにしても、東大卒は人知れず悩みが多いな。勝手に期待されて、少しでも出来ないことがあると、東大卒なのに?といびられる。
前職では短大を卒業したキャリア20年のお姉様に、東大卒の若手が詰められるところをよく見た。
ニヤーっ
「あら、白組ね」
「白組ですね」
白組って何?と不思議な顔をする。
「体が白っぽい子は白組なのよ。面接の時話したと思うけど、この広場に二つの猫組織があるのよ」
「ちなみに、もう一つは茶組っす」
八宮くんは猫を膝に乗せてなでている。
ここの猫は人馴れしているが、白組と茶組は仲が悪いらしく、混ぜるな、キケン。とのこと。
私は両手を上にのばし、猫のように伸びをする。
田中さんのことが少し気になる。負のループに入ってよくない方向に向いている気がする。不安は早めに取り除かないと、取り返しがつかなくなる。小さな変化も見逃さないようにしないと。
これは教育係として心配しているのか? というより、何となく気になるんだよな。前は当たり前のようにやっていたことだから。
……風間さんが。
ビルを見上げながら考える。
風間さん、どうして私を裏切り、見捨てたんですか。最後に残ったあなたへの感情が、憎しみになるなんて。
◇◇◇
林ビル45階特別室
「ランチミーティングになってしまい、申し訳ございません」
「いえいえ、気になさらないでください。ご飯が食べられるだけ、いつもよりいい時間でした」
はははっと笑いながら冗談まじりに言う。
「このプロジェクトは必ず成功させましょう。川崎さん、島田さん」
低く優しい声が二人を包み込む。
「えぇ。是非ともよろしくお願いいたします。風間さん」
◇◇◇
昼休み終了後、川崎さんと島田さんが資料を持ってフロアに帰ってきた。島田さんがその資料を田中さんに突き出す。
「おい、田中。この計画資料どうなってるんだ。この前言ったこと理解してるのか?」
口調が強い。
「へっ、……っとすみません。どこが間違っていましたか」
田中さんが島田さんに詰められるのはよくみる光景だ。なんなら、年下から詰められているのもよく見る。
「田中、分からないなら分からないと言え。すみませんって言えばなんでも許されると思うなよ」
呆れ口調で島田さんが指摘する。
上からも下からも詰められて、田中さんは精神的に大丈夫なのだろうか。
島田さんが席を外したタイミングで、田中さんに話しかける。
「大丈夫ですか?」
「ありがとう。慣れてるから大丈夫。僕は呑み込みが遅いみたいなんだ」
いつもの乾いた笑顔だった。
前職には痛覚がないと言われる人がいた。経営陣から怒濤の罵声を浴びせられようと、びくともしなかった。人間の慣れは恐ろしい。だが、田中さんにはまだ痛覚がある。塞ぎ込む前に対応が必要だと感じた。
「呑み込みの早さや、物分かりのよさは一見優秀そうに見えます。でも、それが優秀な人材とは私は思いません」
私の発言に、田中さんは驚いていた。田中さんの前の席に座っている、秋山さんもこちらを見た。
「えっ、でも、それだと仕事にならないんじゃ……」
「社会の変化が激しい昨今、呑み込みの早さや処理の早さは優秀と捉えられやすい。ただ、本当に優秀な人は意外と呑み込みが遅いと思うんです。既存の知識と新規の知識の関係性を整理したり、矛盾がないかを自分なりに考えるからだと思います。ただ単純に知識を詰め込み、点を増やすのではなく、ある程度点と点を繋げられないと納得ができないんですよ」
だから、呑み込みが遅いと言われても、自分を卑下しないでほしい。理解するのに時間がかかるのは仕方がないのだ。
「なんちゃって優秀な人は人間関係も淡白です。私が思う優秀な人は人との関わりも大切にされていますし、決して偉そうで話しかけにくい雰囲気も出しません。安易にわかったと言わず、相手の言葉の本質を聞き取る力があります」
田中さんと秋山さんは真剣に耳を傾ける。
「大事なのは、論理や呑み込みの早さではなく、相手に共感して新しい気づきを得ることです。他者を理解する努力をしない人間に、成長余力なんてないんですよ。田中さんは親しみやすく、上下関係なく色々な人と接することができます」
つまり、
「田中さんは、共感する力が強いんですよ」
褒められ慣れていないのか、田中さんは眼鏡を外したりつけたり、動揺していた。
「橋本さん……ありがとう。僕にはいいとこが何もないと思っていたけど、少し自信がついたよ」
田中さんは照れ臭そうに言った。それは、今まで見たことのない本当の笑顔だった。彼に纏わり付いていた暗いオーラがなくなった気がする。
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