第9章 九州騒乱編

第79話久しぶりの今年の方針会議

1526年(大永6年)1月


 今年は久しぶりに安芸(広島)吉田郡山城での新年挨拶と今年の方針会議に出席してきた。去年は京にいて一昨年は戦争だったんだよね。

 今年は長門(山口北西部)、周防(山口南東部)の開発を中心に外には戦を仕掛けないことが決まった。

 外交関係に関しては隣国である尼子氏との一層の関係強化・・・ああ、そうそう。元就さまが周防と長門の守護に任命され嫁の親の身分差が無くなったことで、元就さまの養女となった松を何の問題もなく正室に向かえることが出来るようになったよ。なので京に預けられていた松を呼び戻すことになった。

 それに対し、尼子経久さんが今年15歳になった尼子国久さんの長女である久ちゃんを輿入れさせると言ってきた。尼子国久さんの長女って史実だと尼子詮久くんの正室だよね?まあ幼女を送り込まなかったことは評価したいと思う。

 ただ、尼子国久さんを義父殿と呼ばないといけないというのは・・・いや、元就さまを義父殿と呼ばなきゃならないし今更か。これで一応、毛利氏と尼子氏は俺を楔に縁戚関係になった訳だ。

 このまま毛利氏と尼子氏の同盟関係が続けば、松との子が尼子氏と久ちゃんとの子が毛利氏の誰かと縁を結ぶんだろうなあ・・・

 そう、思っていた時期が俺にもありました。うん。いま畝方村の神楽団で活躍している俺の娘たちが狙われています。

 それはさておき。それ以外の外交関係である。まず南にある伊予(愛媛)の河野氏とは、村上水軍を通じて協力関係を築いていく。

 九州は義隆くんを人質に預かったことで北九州の筑前(福岡北西部)、豊前(福岡北東部から大分北部)の大内氏とは一応の同盟関係になった。大内氏が攻められた場合は後詰めに出る必要があるが、基本お付き合い程度。あとは遠くない将来を見据えての情報収集を兼ねて薩摩(鹿児島西部)、大隅(鹿児島東部)の島津氏と日向(宮崎)の伊東氏に接触する。

 肥前(佐賀から長崎)の少弐氏は家臣の龍造寺家兼さんと縁があるので少し強化。筑後(福岡南部)と肥後(熊本)は豊後(大分南部)の大友氏が無双するので大友氏ともども手を付けないことにする。

 とりあえずこんなものだろう。


 内政に関してはいままで通り。新規事業としては

・数年をかけて安芸から長門の山陽道と出雲から長門の山陰道を整備。

・輸送用の市杵島いちきしま級と戦闘用の宇夜弁うやつべ級の新規建造。

・周防と長門で新しい産業を興す。

となった。


「ずいぶん大胆なことをするのぉ」


「でありますな」


 石見(島根西部)矢滝城で行われたかなり遅めの新年挨拶と宴会の席で、司箭院興仙さんと桂広澄さんが呆れたような声を出す。

 この二人を呆れさせたこと。それは石見と安芸の親尼子派の国人が最低限の守りを残してすべて西伯耆(鳥取西部)と西備後(広島東部)の尼子領に兵を移動させたことだ。

 安芸銀山城の武田光和さんを筆頭に脳筋もとい武闘派の国人の中には、本拠地を家臣に任せて最前線にある城の城将に収まった人もいる。

 これは、尼子氏が東に毛利氏が南と西に進むことが元就さまと尼子経久さんとの間で確認されたことが理由だ。かなり大胆だと評価されてるが、その手のゲームを遊んだことがある俺からするとそこまでの驚きはない。というか、石見にある毛利氏の余剰戦力を長門に送るように元就さまに進言している。

 荒廃した長門を復興するためにも人手は必要だしね。


 - ☆ -


「お楽しみたーいむ」


 司箭院興仙さんが小躍りしながらガチャ箱の前に座る。もう日本語だよね?って感じで使われている感じの英語は意味も含めて教えたよ。学校でも使ってるらしく「ラッキー」とか「チャンス」とか子供たちが使ってるのを聞いたよ。

 それから司箭院興仙さんと一緒にエクスチェンジボックスに表に出せないあれやこれやの書類、正月飾りやら生徒たちが使用した教材やらを投げ込みレーティングを上げていく。完全にゴミ箱、もといリサイクルボックスです本当にありがとうございました。


「何が出るかな、何が出るかな、ちゃらぁららら、ららららぁ、ぽちっとな」


 怪しいリズムを口ずさみながら司箭院興仙さんがガチャ箱のボタンを押す。


 がしゃん


 出てきたのは・・・小さな窯にろくろ。土の塊とレベル1の焼き物製作の巻物。SR陶工セットだった。


「欧仙よ。これはなんじゃ?」


 司箭院興仙さんが興味深げに窯を眺める。


「これは磁器を作るための道具ですね」


「磁器というとあれか?明や李氏朝鮮で作られているという」


「それです。ああ、周防・長門は焼き物に最適な土が採掘されるハズです。殿に進言しておきましょう」


 俺はぽんと手を打つ。周防・長門で作られた萩焼は1604年(慶長9年)に元就さまの孫である毛利輝元の命によって、朝鮮人陶工が御用窯を築いたのが始まりだけど、それに先駆けるのも良いだろう。

 武家の嗜みとして茶道が流行るというか流行らせるつもりだから、茶碗は数が有った方が良い。白磁とかは欧州にも売れるからね。


----------------


尼子国久さんの長女である久ちゃん。名前は創作です

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