第5話 その4

 通学路沿いにあるカフェに入った悦司は、そこで美穂から「中谷聖愛」という女子の話を聞いた。

 ――その話は悦司にとって、驚くべき内容のものだった。


 中谷聖愛をひとことで表現するなら「お笑いマニア」という言葉がふさわしい。

 重度のお笑いオタクで、お笑い芸人のネタを動画サイトで見たり、ライブに足を運んだりするのはもちろん、同年代のお笑いのスターだった悦司がいるからという理由だけで、この学校を受験するほどだった。


 現在も保健室登校を続けている中谷聖愛だが、実は入学式があった初日だけ登校していたらしい。

 悦司はそのことを全く覚えていなかったが……。


 その日、入学式が終わったあと、教室で一人ずつ自己紹介が始まったのだが、そこで聖愛は「笑いをとらないと!」と気負いすぎてしまった。

 それに加え、元スターの悦司が見ていたことも、かなりのプレッシャーになっていた。

 結局、聖愛は緊張のあまり、ひとつも笑いをとることができず……スベってしまった。……実際は本人だけがそう感じていただけだったのだが。

 それ以降、聖愛は恥ずかしくなり、教室に通えなくなってしまったのだという――


 そこまで聞いた悦司は、素直に疑問を口にした。

「自己紹介でスベったなんて、みんな覚えてないだろ。現にオレも忘れてるし」

「実際はそうなんだけどね。でもこういうのって、聞いてた方は忘れてるかもしれないけど、失敗した方は覚えてるんだよ」

「まぁ、失敗を引きずるってことはわからないでもないけど」

「しかもそれがさ、憧れの人の目の前だったらなおさらじゃない?」

「憧れの人?」

「悦司のことだよ」

「ああ、そうなんだ……」

 聖愛の保健室登校に自分が絡んでいるとは思ってもいなかった悦司だったが、少し申し訳ない気持ちになっていた。

「聖愛ちゃんはね、悦司に『おもしろい人』って思われたかったんだって」

「そうだったのか……」

 ――憧れの人の前で気負ってしまう。それは芸能界の数多くのスターたちに会ってきた悦司にもよくわかる感情だった。

 悦司はもしその場でスベったとしても、プロの芸人として切り替える術を知っているが、プロでもない彼女にそれができるとは思えなかった。

「もっと早くオレに話してくれれば、何か役に立てたかもしれなかったのに」

「それはごめん。私がタイミングを計っていたんだけど、あの一日で計画が全部狂っちゃった」

「あの一日?」

「私と悦司が一緒に保健室に行こうとしてた日」(※「第1話その4」より)

「あぁ、あったな」

 あの日、一緒に保健室に行こうとしていた二人は、保健室に着く直前で真幌と出会ってしまったのだった。

「もうあれはホント、予想外だったよ……」

「オレもだよ」

 その言葉に美穂は何か言いたげだったが、そのまま口を閉じた。


 グラスの氷がカランと音を立てた。

 それをきっかけに悦司は美穂に尋ねた。

「それにしても、なんで美穂がそこまで知ってるんだ?」

「最初はね、先生に頼まれてプリントを届けに行っただけ。それからだんだん話をするようになって……」

「そういえば、たまに保健室まで行ってたもんな」

「うん、そこから趣味の話とかをしているうちに、彼女のお笑いに対する「愛」と「熱意」と「努力」と「才能」を感じたんだ」

「なんかいろいろ感じとってるな」

「うん、だからこそ悦司の相方にオススメしたかったんだけど……」

「タイミングが悪かったな……」

「そうだね」


     ◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆


 ――前代未聞のゆるふわ女子高生コンビ「ホワイトブレンド」の存在が世間に知れ渡るまで、ほとんど時間がかからなかった。

 深夜のテレビのネタ番組で初めて姿を見せた二人は、またたく間にネットを中心に話題となった。


 そんな二人の活躍をよそに、悦司は放課後の真幌との打ち合わせを続けていた。

 ある日、真幌に「ホワイトブレンド」がテレビに出始めたことについて、どう思っているか聞いてみた。

 その答えは、予想外のものだった。

「うーん、正直どうでもいいかな~」

「えっ?そうなのか?同級生が有名になってるんだぞ」

「えー、だってさ、その人が売れようが売れまいが、わたしたちには関係なくない?」

「……」

「わたしが有名になるために、その人たちは何もしてくれないでしょ」

「そりゃそうだけど「女子高生」ってところが被ってると、使う側も使いづらいぞ」

「関係ないよ。わたしはそこに価値があるなんて思ってないから」

 ここで真幌が使った「価値」という言葉は、以前、悦司が「落ち目になった理由」を説明した時の言葉だった。

「わたしはわたし自身が「価値」になる。そこにはこだわりたいんだ」

 真幌の力強い言葉を聞いた悦司は、あの真幌が自分の在り方を考えながら、少しずつ歩んでいることに嬉しさを感じていた。

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