[1-4]昼食と急患


 食堂ダイニングへ行くと、厨房ちゅうぼうにいたスタッフが焼きたてのガレットを出してくれた。

 ミルクで溶いた麦粉の生地に、チーズと燻製くんせい肉と玉子を乗せて包み焼く簡単料理。忙しさから食事をおろそかにしがちなイーリィに健康的な食事をさせようと、所員たちが取り入れたものらしい。食が細くなりがちなアサギでも食べやすく、お気に入りの料理だ。

 葉物の野菜、オレンジとリンゴが添えてあって、彩りが目にも美味しい。ロウルも気に入ってくれると良いのだけど、と思う。

 イーリィが温かい豆のお茶をれて、二人の前に出してくれた。


「さ、冷めないうちに食べようか。で、食べながら僕の質問に答えてくれるかな?」

「……うん」


 手を合わせて食事前の挨拶をし、フォークを取る。ロウルは不思議なものでも見るように皿の上のガレットを見つめていたが、アサギが食べだすと、その動きを横目で観察しつつ食べ始めた。

 イーリィは二人の向かいで目を細め、しばらく黙って見ていたが、やがておもむろに口を開く。


「ロウルといったっけ。君は、半竜……つまり、人族と竜の間に産まれた子、でいいのかな?」

「……そう。ぼくの父は『いにしえの風竜』で、母は、魔族ジェマだったと思う」


 フォークでガレットを少しずつ口に運びながら、ロウルは素直に答える。

 両目は濃さの違うオッド・アイ、背に青い鳥の翼、同じく青い獣毛に覆われた長い尻尾。今は半獣の姿をしているけれど、アサギが最初に出会ったとき彼女は全身竜の姿だったのだ。

 人族と精霊が愛し合って子を成す事例は知っていたが、竜も同じなのだろうか。それでも――精霊の子は、必ず人族として産まれてくるのであり、こういう半獣の姿にはならないそうだけれど。


「それで、アサギはロウルをどこで見つけたのかな?」


 ぼんやり考えにふけっていたら、父の質問が飛んできた。アサギは慌てて口に入れた物を咀嚼そしゃくし飲み込んで、答える。


「今朝いった川沿いの市場マーケットだよ。魔石とか魔法道具を扱ってる店の軒先で、おりに入れられて……あッ!」

「何、どうしたの」

「首輪だよ! 急いで外してやらないと……ロウル、ちょっと


 すっかり忘れていたことを、内側の誰かから叱責された。アサギ自身もパニックで思考にゆとりがなかったのだという釈明は、誰に向けて言えばいいのか。

 アサギにいきなり詰め寄られ、長衣ローブ襟元えりもとくつろげられたロウルは一瞬、目を見開いたが、慌てる様子なく上目遣いで聞いてきた。


「これ、ウツギには外せないと思うんだけど……アサギになら外せるの?」

。て、何言ってるんだよ僕! 壊したら反動が」

「……今どっち?」

「なんで君は、そんなに! !? いやだから落ち着け僕!」


 恐らく魔法製の首輪なので、力任せに外してはいけないのだ。それなのに、自分の指が他人のもののようにいうことを聞かず、アサギは焦った。はたから見れば、趣味の悪い一人芝居に見えるだろう。

 向かいに座っていた父が、無言で席を立ったのがわかった。食堂ダイニング内の照明が、彼の長身でふっと遮られる。


「アサギ、『僕を見て』」

「あ、……はい」


 強制力をもって心を引っ張られる。あらがえず顔を上げた先の視界に、父の銀目と手が見えた。細く長い指先がまっすぐ自分に向けられている。


「僕は、ひとまず落ち着いてアサギと話したいんだよ。だから……『ウツギ、君は少しの間、眠っていなさい』」

「……は、い」


 ゆらゆらと眼前で揺れる指先から目を離せず、意識までもがぐらりと揺れる。恍惚こうこつ深淵しんえんへ引きずり込まれそうになったところで、パチン、と指を鳴らされ、アサギははっと我に返った。朝からずっと目の前を覆っていたガラス板が突然取り払われたかのように、思考も視界もクリアになっている。

 途端に自分が少女の襟に手をかけている現状を自覚し、大慌てで手を離して後ろに飛び退いた。


「うわぁっ、ごめん! ロウル、なんか僕がいろいろごめん!」

「……責任とってくれる?」

「何の!? そんなに嫌だったなんて本当ごめんね!?」

「嫌じゃないけど」


 聞き捨てならないロウルの台詞にアサギが固まったところで、イーリィがこんこん、とテーブルを叩く。


「冷めるよ。早く食べてしまいなよ」


 くふ、と忍び笑いを漏らしたロウルが、席に座り直して再び食事に取りかかる。もてあそばれた気分で、アサギはおずおずと隣に座った。そろり目を向けた正面では、父が面白がるような笑みを浮かべて自分を見ている。


「……ごめんね、父さん」

「大丈夫だよ。大体わかった、というか二択に絞れた。あとで改めて問診するから、心配しなくていいよ」


 たったあれだけの事で大体わかったと言い切る父の慧眼けいがんには、感服するしかない。父が大丈夫というからには、今すぐ慌ててどうこうしなくても良い症状なのだろう。

 その事実にほっとして、アサギは大好きなリンゴをフォークで分割すると口に運んだ。





 ようやく落ち着いて食事ができる、と思ったのも束の間。廊下を慌てた勢いで駆けてきた受付スタッフが、食堂ダイニング内にイーリィを見つけ飛び込んでくると、何やら耳打ちを始めた。

 ロウルと一緒に食後のデザートを選んでいたアサギは、険しくなった父の表情を見て胸騒ぎを覚える。聞こえないかと耳をすませてみたものの、ひそひそ声を聞きわけるには少し遠い。

 イーリィは硬い表情でスタッフと二言三言、言葉を交わし、椅子から立ちあがった。食べかけの食事もそのままに食堂ダイニングを出ようとする父の様子に直感する。急患が来たのだ。


「ロウル、ここでチョコケーキ食べててくれる? 僕、父さんを手伝ってくる!」

「……うん?」


 あれだけチョコを食べたがってたのに、チョコケーキをおあずけにして一緒に連れて行くのは気が引ける。

 きょとんと首を傾げる彼女への説明もそこそこに、アサギは父を追って食堂ダイニングを飛びだした。目指すは待合室、そこにいなければ診察室だ。


 どんな緊急事態でも廊下を走ってはいけない。自分の怪我や、スタッフの怪我につながるからだ。はやる気持ちをなだめつつ診療所の待合室へ向かい、戸を開けると、見慣れた姿がそこにあってアサギはびっくりする。

 赤紫色マゼンダの癖っ毛、鮮やかな朱色の翼。ついさっき別れたばかりの親友が、深紅の目に濃く不安を映して立ち尽くしていたのだ。


「スイ!? どうしたの?」

「アサギ! 大変なんだ、ヴィヴィが襲われた!」


 え、という声は喉から外へ出てこなかった。薄藤色ライラックの髪に青紫色ヴァイオレットの目、はにかみ笑う年下の少女を思いだし、アサギの心臓が嫌な熱を帯びて鼓動を速めていく。

 人間族フェルヴァーである彼女が襲撃されるという事案は、想定外ではない。むしろ、そんなことを起こさないためスイは毎日のように彼女の家を訪ねていたのだから。


「……それで、容態は」

「まだ、わからないんだ。先生がすぐてくれたから、今はその、結果待ち」


 スイがここで待っているのなら、診察室に付き添っているのはヴィヴィの母親だろう。悔しそうにうつむく親友の様子が痛々しくて、アサギの胸に罪悪感が湧きおこる。

 今朝スイが彼女の家に行けなかったのは、自分に付き合ってくれたからだ。襲撃を防げなかったのは、自分のせいだ。

 彼女に万が一のことがあれば、何をしても償いきれない――……。


 カチリと、診察室への扉が開いた。

 期せずしてスイと同時に顔を上げたアサギの視界に、白衣を着た父の姿が飛び込んでくる。イーリィの表情は険しいままで、それはアサギの不安をますますかき立てた。


「スイ、……とアサギもいたのか。ちょっと、来てくれるかな」


 


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