ヴァージンロード
あれから二週間、オレはずっとレコーディングの毎日を送っていた。
連日徹夜なんて、久々である。
しかも、数年ぶりに本気モードの自分を解放した。
ぶっ倒れるまで仕事をしていた、あの頃のように。
さすがに四〇近いと辛い。
レコーディングはスムーズに終わった。健の亡霊に取り憑かれたかのような気分だ。
いよいよ、華撫に完成した曲を披露する。
最初に聴いて欲しい観客なんて、演奏前から決まっていたから。
「何よ、こんなすごい場所に連れてきて?」
オレは、華撫を稲垣の店に招き入れる。アニソンバーへ。
ステージのあるバーが珍しいのか、華撫はあちこちをキョロキョロと見回した。
「こっちだ」と、ステージが一望できる席に誘導する。
丸いテーブル席のパイプ椅子に、華撫は恐る恐る腰かけた。
この様子だと、まだ緊張が取れていない。
稲垣の奥さんが、華撫のためにジンジャーエールを運んでくれた。
「ありがとうございます」
軽く礼をして、華撫はストローで少し喉を潤す。
健が所属していた音楽会社の人も呼んであった。大友先生には、編曲をお願いしている。
「みんな、徹夜明けで済まない。これで最後だから、もう一踏ん張りしてくれ」
ステージには、レコーディングを担当してくれたミュージシャンに集まってもらっている。ちろん、もうすぐ公開される特撮番組の主題歌だ。
だが、オレにはもう一仕事ある。
一晩かけて作った曲を、華撫に聞いてもらうのだ。
「実はな、今日作った歌は、オレのオリジナルじゃない」
もらってきた楽譜を、華撫に見せた。
「これって……」
その楽譜は、高林健が残した、幻の楽譜である。
「じゃあ、聴いてくれ。タイトルは、『ひとりぼっちのヴァージンロード』……」
華撫に告げて、アコースティックギターを担いだ。
オレの動きに合わせて、ドラムがリズムを取る。
メジャーコードをマイナーコードに変えた。
たったそれだけの行為で、この曲は劇的に豹変する。
虚勢と嘘を塗りたくった仮面を叩き割り、真実の姿を映し出す。
そんなことに気づかないほど、健はすり減っていたのだ。
イントロを終えて、オレは歌詞を口ずさむ。
華撫が、瞳を大きく見開いた。オレの歌う歌詞が、自分のよく知っている内容だったからである。
健のロックに耐えられる歌詞というのは、もっとアダルトな詩でなければならない。
例えば、『人生に疲れた三十前後の女性』が書いたような。
華撫がオレに見せてくれたポエムを、健の楽譜に合わせたのだ。
楽譜を読ませても立ったとき、オレに電流が流れた。
今でもビリビリとした感覚が残っている。
あのシンクロ率ときたら。
あんな波長の合う歌詞と曲に巡り会えるなんて、この先一生ないのではと思う。
――人には、何か決定的な出会いってもんがある。望むにせよ、望まないにせよ。
大友先生から教わった言葉だ。まさか、華撫と一緒にそれを体験することになろうとは。
この出会いに、オレは運命を感じずにはいられなかった。
華撫と健のコラボレーションを、オレは命を削って歌い上げる。
オレの歌を聴きながら、華撫は涙を抑えようとはしなかった。
人が演奏しているにもかかわらず、ずっと号泣している。
嗚咽を漏らし、感情を爆発させた。
それでいい。そのためにオレは、声を張り上げているのだから。
健よ、お前は無理をしていたんだ。
子どもの感性に合わせようと。
でも違う。
すべての子どもたちのために歌わなくてもいい。
お前の音楽は、そんな甘ったるい、万人受けする味じゃないだろ?
たった一人に届けば、それでよかった。
これこそお前の、高林健の音楽だ。
ギターの演奏を終える。
「どうだった?」
「最高! もう死んでもいいくらい」
「おいおい、よしてくれ。オレが悲しくなる」
「最後の歌詞だけ、少し変えたのね」
一人でヴァージンロードを歩く主人公の隣に、ネコが乱入する。彼は花嫁の隣を歩くのだ。
その姿が、自由人だった父と重なる。
「勝手に歌詞を変えたの、気にくわなかったか?」
華撫は首を横に振った。
「ブーケをネコが咥えて逃げていくラストが、す……っごくカワイかったわ」
華撫とオレは、向かい合って笑う。
「ありがとう、博巳。素敵なプレゼントだったわ」
「この曲が、十月から公開される特撮ドラマの主題歌になる。ただ、金儲けはしない。それでいいか?」
華撫に発生する金銭は、交通事故で家族を失った子どもたちを支援する団体に寄付する。健の音楽会社とその場で話し合い、決めていた。
「ありがとう、博巳。最高の思い出をくれて。あたし、一人じゃなかった。ちゃんとパパは、ここにいるんだって分かった。だから、前に進めそう」
無理に笑顔を作ろうとして、華撫は袖で涙を拭く。
「あたし、新しいパパと暮らそうと思う。今ならできる気がする」
違う。
こいつはまた、辛い道を選ぼうとしている。
まだ、割り切っていい状態じゃない。
華撫にそんな決断をさせるために、オレは歌ったわけじゃないんだ。
「そうじゃないだろ。お前は諦めなくていいんだ」
オレは、華撫を立たせる。
「深歌に会うぞ。お前ら親子は、ちゃんと話し合わないとダメだ」
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