第14話 泣いてない!

 心葉流派では門下生を集めた稽古が週四で行われている。

 試験後の休養期間ということで、ここしばらくは稽古がなかったのだけれど、ついに稽古再開の日が訪れた。


 何とかして、稽古の日までに妖術の基礎を習っておきたかったけど、作戦はことごとく失敗。

 昨日、忌々しい黒雷に笑われたことを思い出して私は顔をしかめた。


「お嬢さま、眉間にシワが寄っていますよ」


 女中のおたかが、私のムダに長い髪をいつものように手入れしながらつぶやいた。


「……稽古に行かなくちゃいけないと思うと、憂鬱にもなるわよ」


 私が小さなため息をもらすと、お貴のくしを動かす手が一瞬だけ止まった。

 同時に、驚いたように目をまたたかせるのが、鏡越しに見えた。


 心葉瑠璃の発言としては、ちょっとうかつだったかもしれない。


「な、なーんてね。ほら、今日はキリカがいないらしいから、残念だっただけよ」


 一応、嘘ではない。

 今日の稽古に希里華が来ないのも、それで心細いのも本当だ。

 どうやら、希里華は家族で秘湯巡りに行っているらしく、どうしても日程が今日までズレ込んでしまう、と試験終わりに言っていた。


 希里華がいないとなると、瑠璃の記憶がない私にとって、他の知り合いは凛之助だけ。

 まあ、いないよりはマシだけど、どうも凛之助は私のことを敵視というか、ライバル視しているようだし、できるなら初日は希里華にいて欲しかった。


「……もしも、体調が優れないのでしたら」

「ちがうちがう、ホントそういうのじゃないから」

「それならよろしいのですが」


 お貴は髪の手入れを終えると、薬の入ったお椀を私の横に差し出した。

 私はそれをグビッとひと息で飲み干す。


 うん、いつものようにマズい!





 他の門下生と違って、私の稽古場への移動はほとんど時間がかからない。

 というのも、稽古場のある場所が、屋敷のすぐ隣だからだ。さすがは流派が家名そのままなだけのことはある。

 こういう時ばかりは心葉家に転生した事実もありがたみを感じる。

 気分はさながら、学校の横に家がある小学生だ。


 稽古場の敷地を踏むと、春風にのった桜の花弁が顔に吹きつけてきた。

 目に入りそうになって、思わず顔を背ける。


「……もう」


 共に髪にくっついた桃色を、舌打ちと共にはらい落とす。下がった視線の先には、何度も踏みつけられて土に混じった無数の花弁があった。

 他の門下生たちは先に来ているみたいだ。

 私は教室に向かって足を踏み出した。


 ガラリと、引き戸を開けると、案の定、教室にはすでに多くの人がいた。

 年の頃はいずれも私と同じくらい。


 引き戸の音が目立ったのか、それとも単に心葉瑠璃という人物が目を惹くのか、教室内の目が一斉に私に向けられた。


「おはようございます、皆さま」


 よし、決まった。

 これぞ、脳内シミュレーションどおりの、お嬢さまらしい挨拶。

 出だしは好調。


「心葉さん、少しお話があるんですけど」


 私の前には頭半分くらい背丈の高い女の子が剣呑な目つきで立っていた。


 ……これ、ほんとうに好調か?


 桜色の生地に菱形ひしがた模様が散りばめられた着物。かんざしのモチーフも桜。挙句の果てに髪の色もゲームの世界らしく薄いピンク色ときたものだ。


 これは褒められポイントなのだけど、私は今日までに、クラスメイト全員分の名前をがんばって暗記してきた。

 大半はゲームでも聞き覚えのない名前で、その中に山桜やまざくらももとかいう名前があった。

 その字面があまりにもピンクピンクしいので、目の前の女の子と脳内で勝手に結びつけそうになってしまう。

 いや、でもゲームだしな。それでいいのかな?

 むしろ、この子じゃなかったら、誰が山桜やまざくらももなのよ。


「はい、なんでしょうか」


 こちらからの敵意は見せないように、なるべくやんわりと返す。


「あなた、試験の時に凛之助を泣かせていたでしょ。どういうつもりなの」


 返答次第では、いや、返答がなんであろうとタダじゃおかねぇとでも思っているような鋭い視線。

 視線で人を殺せるのであれば、先手を打って殺さねば、と思わされるほどの圧を感じた。


「前々から、あなたは凛之助に対して当たりが強かったけど、さすがに試験の場で嫌がらせをするなんて汚いとは思わないの?」

「いや、嫌がらせってそんなことは」


 助けを求めるようにあたりを見渡したけど、そういえば今日は希里華はいないんだった。

 というか、凛之助、当事者のあんたまでいないのはどういうことよ。あんたはいなきゃダメでしょ。


「わたしはあなたが凛之助を泣かせているところを、この目で、ハッキリと、見たの。言い逃れはできないわ」

「…………」


 よりにもよって、このピンクちゃんの言う「凛之助が泣いていた」が事実だから困る。下手に否定したら、私の嘘つきが確定するし、どう切り抜けたものか。


 私は何か良い案はないものかと、試験会場での凛之助の姿を思い出していた。


 思わずこぼれ落ちてしまったような涙。

 とっさに覆い隠し、背けた顔。

 差し出した手巾ハンカチ

 そして、頑なに泣いたことを認めない口。


『べつに、泣いてないし』


「ちょっと、なんとか言ったらどうなの」

「……泣かせてないわよ」


 桃色の少女の表情が曇った。


「まさか、あなた、そんなんで言い逃れできると思ってるの?」

「言い逃れも何も、事実そうなんだけど」

「だから、わたしは見たって言ってるでしょ!」


 怒りのせいか、少女は頬まで赤く染まっていた。


「わからない? その泣いてるのを見たってのが、見間違えだって言ってるのよ。どうせ、ゴミが入って目をこすってたとかでしょ」

「そんなわけないわ! 絶対に泣かせてた!」

「じゃあ、証拠を出しなさいよ、証拠を」

「そんなの本人に聞けばすぐにわかるわ!」

「その本人がいない時に、話を切り出しておいてよく言うわね」

「凛之助が来れば、すぐわかるんだから同じことよ!」

「そもそも、あんたが本当に見たって言うならね。何で――」


 ――何でその場で出てこなかったのよ。


 飛び出しかけた言葉を、すんでのところで飲みこんだ。


 困っている人を見逃すのはいじめに加担しているのと同じだ、なんて先生が言うようなセリフを使いたくはない。

 それに冷静になってみると、小学生くらいの相手に口論とか、大人気ないにも程がある。


「――やっぱやめた、今のなし」

「なッ! なによ! 言いたいことがあるなら言えばいいでしょ!」


 今までで一番大きな怒声が響いた。

 子どもは何がきっかけで爆発するかわからないから苦手だ。


 口論に収集がつかなくなってきた頃、横から他の少女が出てきて、桃色の袖を引っ張った。


「まあまあ、モモちゃん落ち着いて」


 ああ、やっぱりこの子が山桜やまざくらももなんだ。


「それに、心葉さんも、ね。お願い。とりあえず、謝っておけば、その、モモちゃんも納得すると思うし」

「……え、なんで?」


 私は純粋に意味がわからず、気づけば口を開いていた。


「山桜さんが怒ってるのは、私が凛之助を泣かせた……と勘違いしてるからでしょ。凛之助に謝れっていうならわかるけど、なんで山桜さんに謝らなくちゃいけないわけ?」

「え、えっとそれは――」


 山桜百の袖をつかんでいた少女は困ったようにあたりを見渡すと、


「その、わたしが口挟んだの余計だったね、ごめんね」

「いや、べつに、あんたも悪くはないでしょ」


 むしろ、仲裁に入ってくれて、私としては助かったくらいだ。

 でも、その気持ちは伝わらなかったらしい。仲裁の女の子は怯えるようにそそくさと、その場から離れてしまった。


 ……はぁ、ダメだな。

 やっぱり、学校みたいな無理やり他人を狭い空間に集めた場は苦手だ。

 ゲームの知識や、高校生までのリアル経験値があればなんとかなるかと思ったけど、ぜんぜん上手くいかない。


 私は稽古初日、しかも開始前から盛大にスタートダッシュを失敗したのだった。

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