第2話 月島直

「初めまして。えーと、お名前は?」


 神経質そうな男が履歴書に目を落とし、不躾に聞いた。眼鏡越しの鋭い目に、対面に座っていた青年はびくりと身を震わせた。


 頼りない顔をしたその青年は、曲がった背筋をさらに曲げる。


「つ、月島、直、です……」


 蚊の鳴くような声でそう答え、彼は目を伏せた。


 その様子を見て、眼鏡の男が不愉快そうに目を細める。


「……それで、わが社の志望動機は?」


「そ、それは御社の商品が、その、僕の学科で扱っていまして、それで、興味を持って、あ、持ったから、です……はい」


「それはどの商品ですか?」


「あ、と、その、えーと……」


 無情に質問を重ねられ、直はあちこちに視線をさまよわせた。


 誰かに助けを求めるようなうろたえ様に、面接官はさらに厳しい顔になった。


「君、就職活動は何時から?」


「あ、はい、ええと、去年の10月から……」


 面接官が机に置かれた卓上カレンダーに目を向ける。


 過ぎた日付に引かれた斜線が、六月の半ばまで列を作って並んでいた。


「結構前からだね。にしては、もうちょっと面接に慣れててもいいと思うけど」


 高圧的な言い方をされて、さらに直は縮こまった。


「すいません、気を、つけます」


「……結構です。返答は、早ければ来週中にお知らせします」


「……ありがとうございました」


 直は立ち上がり、礼をして面接室を後にする。自信の無さを表わすように、その背筋は曲がったままだった。


 戸を閉め、彼は小さくため息をついた。


「……また、駄目だった」


 第七志望会社のエントランスを抜け、丸まった背のまま直は帰路へと付いた。


 駅まで二十分かけて徒歩で行き、往復でニ万ほどのチケットで新幹線に乗る。


 馴染みの駅に着いたらそこで降り、自転車に乗ると十数分で帰宅を果たした。着いた頃には太陽は沈み、辺りがうっすらと暗くなり始めていた。


 駐輪場で自転車の鍵を抜き、借りている部屋の扉に向かう。


 鍵を差し込み、半回転。


 たやすくガチャリ、と開いた隙間に、彼は身を入れた。


「ただいま……」


 返事を期待した一言ではない。半ば慣例のように口にした言葉だ。


 このまま何もなければすぐに眠ろうと前に足を踏み出す。


「おかえりー」


 部屋から別の声が上がった。


 返事が返って来た事に直は耳を疑う。


 しかしすぐに玄関に目を落とし、見覚えのある靴を見てああ、と嘆息した。


 直は靴を脱ぐと、キッチンとユニットバスとに挟まれた短い廊下を通り、居間に入る。


 そこには、テレビに向かって座っている、Tシャツと短パンというラフな格好の後姿があった。


 長い髪の毛先が肩甲骨の間や両肩を撫でており、その小さな両肩がせわしなく何度も上下してる。


「んしょ、とっとと、んにゃろ……」


 テレビの中では、二人の人物がせわしなく跳び回っている様子が見られた。


 両者互いに近づき合っては殴り合い、離れてはまた近づいて蹴りや拳打を繰り出し合う。


 格闘ゲームをやっているのは明らかだ。


「うわっ、いった。痛い、痛い、痛い!」


 テレビの前にいる人物は、まるで自分が攻められているように悲鳴を上げる。


 テレビの中では、狐の耳と尻尾を生やした女性キャラが、対戦相手であるぼろきれを着たネズミに一方的にやられている最中だった。


 なすすべもなく次々と繰り出されるネズミの攻撃にさらされ、女性キャラの体力ゲージがみるみる減らされていく。


 テレビの前でも、コントローラーのボタンが遮二無二押され、がちゃがちゃという音を立てている。


 しかしそんな抵抗も叶わず、すぐに狐の女性キャラはその体力をゼロにされてしまった。長い悲鳴の後に彼女は倒れ、渋い声がテレビから上がる。


「You Lose」


 テレビの中で、ちーちちち、という、ネズミの笑い声が上がる。


 コントローラーの主は、そこで投げやりにほっそりした手足を投げ出し、仰向けに倒れた。


「あー駄目だー!あいつ強―い!」


 そうぼやいた声の主は、自分を見下ろす直の視線に気付き、真顔になった。眉間に皺を寄せる直に対し、真ん丸な目を向ける。


「直君、面接どうだった?」


「それより僕に教えてよ。なんで志乃ちゃんがいるの?」


 直は動じず、率直な疑問を口にした。志乃と呼ばれた人物は、よっこらしょと上体を起こした。


「だってあたし、合鍵持ってるし」


 直は首を捻った。彼女は中学生の頃からの長い付き合いになる友人ではあるが、そんなものを作った覚えも、渡した覚えもない。


「……なんで持ってるの?」


「そうだ、対戦しようよ。一人プレイじゃ四面くらいまでしか進まないから、もう飽きちゃった」


 志乃は直の問いに答えず、もう片方のコントローラーを差し出した。


「僕そんな気分じゃ……」


「いいからいいから」


 直は腑に落ちぬ顔をしたまま、上着を脱いでネクタイをほどき、彼女の隣に座ってコントローラーを受け取った。


 志乃は自分のコントローラーでゲームをタイトル画面へと戻す。


『Knock Out Smashers』


 テレビ画面に大きくゲームタイトルが表示され、ゲームのBGMがテレビから流れた。


 最初こそ落ち着いた雰囲気の旋律ではあるが、次第に曲調が勇壮な、闘争心をあおるものへと変わっていく。


 志乃がコントローラーを操作し、ゲームを対戦モードに移した。ゲームの登場人物の一覧が表示され、二人は選択の機会を与えられた。


 志乃が何も言わずに、慣れた調子でカーソルを移動させ、先ほども使っていた狐の特徴を持つ女性キャラを選択する。


『妲己9thダッキ・ナインス!』


 選択された妲己9thは自慢げにくるりと身をひるがえし、画面のこちら側に投げキッスを送った。


「ほら、ゲームしよ」


 志乃は直にゲームを促す。


 直は未だに腑に落ちない顔で、やはり慣れた調子で他のキャラを選んだ。


『月狼ユエ・ラン!』


 選ばれたのは、狼に似た姿をした男だった。背を反らし、高らかに吠える。


「直君そいつ好きだよねー」


「まあ、使いやすいし、何だか他人の気がしないんだよね」


 直は画面を見ながら答え、対戦ステージを選ぼうとカーソルを動かす。


 そこで直は視線を感じ、隣の志乃の方を見た。


 目が合った。


「どうかした?」


「……何でもない」


 志乃はふいと、視線を彼からゲームへと戻した。


 直は彼女の様子に疑問を持ったが、すぐに画面へ意識を戻した。


 画面の中では、すでに妲己9thと月狼とが向かい合っていた。


『Round 1, Fight!』


 ラウンドコールの後、両者が同時に宙を跳んだ。


 距離を空けた後じりじりと互いに距離を詰め、直と志乃の操作を受けて激しい攻防を繰り広げる。


 直はせわしなくコントローラーを動かしながら、画面から目を離さずに志乃に話しかける。


「ねえ」


「何?」


 志乃も画面を見たまま直に返事を返す。


 画面の中では、月狼が妲己9thの頭上へかすめるような蹴りを喰らわせていた。


「志乃ちゃんは、もう僕に構わなくてもいいんじゃない?」


 月狼が妲己9thへ次々と攻撃を繰り出す。妲己9thは攻撃の度に大きくのけぞり、体力ゲージを減らされていく。


 志乃は窮地を脱しようと、コントローラーをがちゃがちゃ言わせながら口を開いた。


「どういう事?」


「僕は就職活動が上手くいってないし、志乃ちゃんだってそろそろ自分の就活を考える頃でしょ?僕なんかに構ってる場合じゃないよ」


 月狼が大きく踏み込んで妲己9thを殴り飛ばし、距離を空けた。


 怯んだ妲己9thに、月狼が更に詰め寄る。


「隙あり」


 志乃が妲己9thを屈ませ、月狼の足元に強キックを食らわせた。足を払われた月狼がダウンを取られる。


「あ」


 直が月狼を起こそうとコントローラーを動かす。


 しかし妲己9thはすでに月狼と距離を詰め、反撃を開始していた。


 小パンチから続く怒涛の猛攻に、今度は直がコントローラーでもがく。


「直君は私の心配なんてしなくていいの。直君にできて私ができない事なんてないんだから。なんなら、私が直君を養ったっていいんだよ?」


 これに直は渋面を作った。彼女にこれまでに何度も言われ、その度にその方が現実的だとすら思わされた事だ。


 妲己9thが月狼を、手を緩める事なく攻め続ける。


 反撃を許さぬ猛攻に、月狼はみるみる体力ゲージを減らされていく。


「今度寂しい事言ったら、流石に怒っちゃうからね」


 その一言を皮切りに、妲己9thが超必殺技を発動した。


 九つの狐の尻尾が月狼の全身をくるみ、そのまま妲己9thが高く跳躍。尻尾の球を尻に敷く格好で、月狼の全身を地面へ叩きつけた。


 手籠めドロップと呼ばれるその大技で大ダメージを食らった月狼の体力ゲージはついにゼロになり、『K.O』のコールが上がった。


 直はその結果に呆然とし、コントローラーを握る手から力が抜けた。


 つい最近まで、彼は志乃にこのゲームで負けた事がなかった。


 初めて喫した敗北に呆然とする直に、志乃がにやりと笑う。


「これでも、私が上になったね」


 その言葉に、直は深くうな垂れた。


 また言われた。


 直にとって、これは彼女から最も言われたくない一言だった。


 彼女と直とは中学生の頃からの付き合いになる。


 彼女はことあるごとに彼と張り合い、何をするにしても、最後には必ず彼よりも優位に立っていた。


 直の方が最初上手かったとしても、彼女は必ず彼よりも上達して彼を打ち負かしにくるのだ。


 直は彼女に負かされる度に先ほどのように言われてしまい、その度に直は自信を失ってしまうのだった。


 直が黙りこくってしまうと、志乃は自分の膝を押すようにして立ち上がった。


「そんじゃ、ごはん作ろっか。何か食べたいものある?」


 声をかけられた直は彼女を見上げる。


「いや、いいよ別に。自分の食べる分くらい……」


「あたしのごはんの方が美味しいでしょ」


 直はそれを否定できなかった。それを引き合いに出されると拒否し辛くなる。


 キッチンに向かう彼女を見送り、直は再びテレビ画面に目を向けた。


 妲己9thは倒れた月狼の傍で、わざとらしいくらいに高らかに笑っていた。もちろんそういうキャラクターだからなのだが、直はそれが、自分があざ笑われているようにも思えた。


 高笑いする妲己9thの姿が志乃と重なり、直はちらりと志乃を見やる。


 キッチンに立った志乃は、当たり前のようにエプロンを巻いて鍋を火にかけ、その横で野菜を刻んでいた。


 こうして食事を作ってもらうのも一度や二度ではないし、感謝もしている。悪い気もしない。


 しかしふと、彼女に飼い殺しにされているような、言い知れぬ不安を感じてしまうのだった。




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