天論

「グッ。シュマ、ここからだ。まだ終わっちゃ――」

 意識が戻ったルイは自身が未だ生きている事を認識すると、身体を跳ねるように起こした。

 戦闘に霊剣を構えながら現在の状況を確認する。

(なんだ……これは)

 意味がわからず霊剣を下げて立ち尽くす。目を疑うような景色が広がっていた。

「どうなっている。ここはどこなんだ?」

 やけに声が響いた。ルイは広間のような場所に立っていたのだ。

 四方は複雑な文様が刻まれたいくつもの白く美しい円柱で囲まれている。その円柱一つ一つが驚くべき高さである。見上げると霧がかかっており、天井が見えない。

 目を擦ったが幻覚ではなかった。息を呑む壮麗さに感動すら覚える。神秘的、神々しさすら感じられる空間だ。

「うん?」

 寂寂たる場所と思ったが違うようだった。

 何故だろうか、聞き慣れたシューッという空気を細かく揺らす音が、足元から聴こえてきたのだ。

 静聴。床へ訝しげに視線を落としたルイは、

「うおぁッて、ビノ様!?」

 仰天して飛びのいた。今しがた目にした現状とは違う意味での衝撃だ。

 気がつかなかった。赤い瞳数え切れないまでに光っている。舌をチロチロと出しながら這いずり回る白蛇が、部屋中を埋め尽くしていたのだ。

(いや、ビノ様じゃない。神様の使いがたくさんいるんだ……ん、まさか!?)

 心臓の鼓動が急激に増していく。やっと平静になってきた心に波風で荒らされる。

 興味がなさげにルイの周りを通り過ぎていく白蛇達に、謎の神聖なる空間。先程まで戦っていた記憶が確かにあるのに、突然見覚えのない場所へ放り出された。

 怪奇としか感じられない状況であるものの、ここから導き出せる最悪の末路を想像してしまった。

「俺はシュマとの戦いに負けて死んだのか?」

 口に出すとますますそうとしか考えられなくなり、ルイの目の前が少しずつ暗くなる。

 魂の循環する仕組みは知識ではわかるが、実際死んだ時に人がどうなるかは知る由もないのだ。

 もしやその瞬間が今ではないのか。これから魂を選定でもされるのかと、ルイの頭の中では想像が広がる一方だ。

(だけど……おかしいよな。俺は確かに生きているぞ。戦いの傷だってそのままだ)

 ルイは自身の傷だらけの厚い手を見つめて考えた。

 血は通っている。はたして死しても人は生前と同じく思考し、自由に身体を動かせるのだろうか。

 そうして、真剣に悩んでいるところだった――

「霊剣の使い手よ。あなたは肉体を失ってはいません、生きています」

 柔らかで性別を感じさせない、全てを包み込む優しげな声が天井から響いてきたのだ。

「だ、誰だ!?」

 警戒。ルイはすぐさま声の方向へ首を向けた。

 またも不可思議な気分に見舞われる。神のしもべ達へビノを感じたように、こんな声色をどこかで聴いた気もしたのだ。しかし、相変わらず霧がかかって上の方は見えない。

 すると声の主が自身の正体――驚愕の真実を明かしたのだ。

「ここは神々の神殿。して我は人の霊魂を管理せし世界創造と秩序の神、アルターです」

 ルイは茫然とした表情のまま、発せられた言葉を理解するのに十を数えるまでの時間を要した。そして全身に稲妻が走ったかの感覚に見舞われて動転し、頭を抱えた。

「聖アルター神様ですって!?」

 息が止まりそうだった。最初は上手く口を開けず発声ができなかったが、なんとか言葉を吐き出す事ができた。それでもルイは信じられない。声を掛けてきた存在が本当に自身を初めとする大陸全土の人間達が信仰していた神なのかと。

「本当、なのですか? 夢ではなく御身が本物の――?」

「くどいですよ、運命に導かれし霊剣の者よ。身に起きている現実が真実であるとあなた

も本能的に理解しているはず」

「な、なんという」

 ここまで言われれば信じる他ない。なんらかの理由があって神に導かれたのでなければ見覚えない場所にいるという状況に説明がつかないからだ。

 ルイは現状を受け入れたのの、未だ不思議な面持ちで神がいるであろう霧の向こう側を眺める。

「霊剣の使い手よ、我の奇跡をあなたはその身をもって直接体感しているでしょう。戦いの最中に聴いた我の声と覚醒の力を」

「奇跡? あ、まさか突然声がしたのも霊剣が強化されたのも御身が!?」

 ルイは対ムット戦で突如舞い降りた奇跡をハッと思い出した。

「我が授けました」

 奇妙な出来事だった。霊剣が覚醒していなければ、ムット戦は更に苦戦を強いられただろう。信仰するアルタ―神の加護が体現した事が予感通り、真だったという事実にルイは感嘆のあまり跪き、感謝の言葉を述べる。

「聖アルタ―神の奇跡を身に受け自分は窮地から脱する事が出来ました。聖なる加護を直に頂くなど身に余る想い。強く奉謝致します」

「我が最初の戦いの際に霊剣を託した者から始まり、数え切れない数の邪に蝕まれた魂を救い、永劫に続く魂の循環に戻し続けたでしょう? その霊剣は魂を救えば救う程力を増していくのです」

「魂を救うなんて。自俺はただ葬民を倒すためだけに……この霊剣にそんな力が?」

 瞠目。ルイは握りしめた青白く輝いた透明な霊剣を改めて興味深そうに視線を寄せた。

 具現化した穢れた魂を退治するためだけの剣であるとずっと伝えられてきたのだ。

 切られた葬民に関しては、怨魂が消滅するという事は煉獄へも逝かず本当の意味で無に還るのだとばかり想像していた。それが知らずの間に朽ちた魂を救済し、あるべき循環へ戻すという神の域に達するまでの効力を行使してきたとは、微塵にも思わなかった。

 言葉を失った様子で唇を震わせるルイへ、

「ワタシがはるか昔、聖霊術を授けた人間へ語った際には世界の真理を断片的にしか教えませんでしたから。邪神に挑む運命に導かれし戦士の一人よ、神々の闘争に終止符を打たんとする今こそ全てを明かしましょう」

 聖アルタ―神が神々の真実を語ろうとしていた。

 ルイはばっと顔をあげて天上の奥をまじまじと見つめる。

「月と太陽、海原と大地、自由と孤独、そして善と悪。この世の全てが表と裏で構成されているようにお前達が邪神と呼ぶシュマとワタシは表裏一体の存在なのです」

「アルター神様が、邪神と対になる存在ですと?」

 思わず声が上擦る。驚天動地の心境だ。アルター神は変わらない声のトーンで続けた。

「えぇ。破壊と創造を司る我らは信念に従うまで。ですが我も作り出した世界が邪念に染まり破壊されるのを黙って見過ごしなぞしない。されど過度に干渉し完全守護するのは神々の意志に反する。ならばと聖霊術に霊剣という形でお前達へ施しを与えました」

 伝えられてきた教義の裏にあったアルター神の真意を初めて知ったルイは、人間の想像を超えた思量深さに心から敬服し、祈りの印を結んだ。

 しかし驚きおののくのはこれで終りではない。彼は自身に待ち受ける運命に直面する。

「先代から数えきれぬ魂を救い続けた霊剣の使い手よ、ここからが本題です。邪を払い続けた霊剣は邪神との戦いで限界を迎えようとしている。その時、霊剣が真の力を発揮します。その力を使えば邪神を完全に消滅させる事ができるでしょう」

「ほ、本当ですか!?」

 衝撃。願ってもいない朗報が舞い込んできたのだ。唐突過ぎて輝く未来に現実味が沸かなかったが、興奮と喜びはしだいに心の中を満たしていく。

(俺達は邪神に勝てるかもしれない!)

 だが、差引なしでは幸福は掴めない事もまたルイは知る事となる。

 彼の頬が緩んだ刹那――アルタ―神は平和と取り戻す代価を告げた。

「ただし、その力はいくら我の力とはいえ人が使うには荷が重すぎる加護。人間世界の英雄の末裔とはいえお前の身体は耐え切れず、代償に肉体を失うでしょうね」

 絶句。急に道が塞がったような空虚な感覚に侵されて瞬時に目が覚めたルイの表情は、途端に感情の色を失くした。

 天から地に堕ちた心持ちである。つまり邪神を倒す代わりに自身が死ぬという意味だ。

「我はそれを伝えるため、お前の魂と繋がりました」

 神が見通す未来は疑いようもない。

 絶対の死の宣告を受けたルイはしばし瞳を閉じて、深呼吸を繰り返した。沈黙の後、彼は澄み切った顔を見せる。

 そこに驚き動揺した様子はない。流石に聞かされた時は激烈な精神的ショックを受けたがそれでも不思議と短時間で死を受け入れる事が出来たのは、最終決戦前からすでに覚悟を決めていたからだ。

 彼の意志を受け取ったアルター神は、答えをわかっていても問いかけた。

「全てを救うためには一方で全てを失わねばならない。それは神々の意志だけではなく、人間に与えられた運命の循環という精神世界の理。その覚悟がお前にはありますか?」

 ルイは迷わず頷いた。

(世界平和を取り戻すなんて大業を成すには、何かを捨てなければ無理だ。それが自分の命でも)

 それは自身の命が相応しい。自己犠牲を受け入れるという自身でも驚く程の勇気を手に入れる事ができたのは、絆の力の他ならないとルイは強く想っている。

「俺が深い深淵から希望を得られたのは仲間達がいたからです。しからば愛する一族と民を失った悲しみに呑まれ、御身が期待する結果には至たなかったでしょう。聖アルター神に全てを誓います、たとえこの身を擲ってでも神の加護に尽すと」

 そして、心よりの決意を声高らかに宣言したのだ。

「その言葉に、嘘偽りはありませんね?」

 彼の中で命を惜しむ臆病さは毛頭ない。もう一度首を縦に振る。

「お前の覚悟は受け取りました。ビノにも我から事の顛末を伝えておきましょう」

「ありがとうございます。死する前にアルター神と対話できるとは最上級の幸福です。これで皆を救え、俺は心置きなく逝ける」

 これから最終局面を迎えようとしているのに、ルイの心はとても晴れやかだった。

 脳裏にはこれまでの人生、そして絆を共有する聖霊術士の少女と少年、神のしもべの姿が浮かんだ。

 ジーナに敗れ信頼する友を奪われた挙句、大事な人間を失い人類の命運を邪神側に傾かせてしまったと、ルイは生き残った己を恥じて自ら命を経とうまで考えた。

 失意と後悔にもがき苦しんだ彼は最終的にジーナ討伐の再戦を果たすため単身旅を続けたが、絶望に塗り潰された世界を見るたび自責の念にかられ精神状態は崩壊し、限界寸前であったのだ。

 そんな時フランクの妹であるアメリと偶然出会い、彼は責任を追及されるのが怖く素生を偽ってしまう。それでも明らかになった際、アメリはルイを咎めなかった。

 共に誓ったのだ。平和を取り戻し、フランクを救おうと。ルイはアメリの慈悲に救われ、心の穴が少しでも塞がった気がした。次いで同じく生き残ったビノとの再会を果たし、互いに励まし合う事もできた。

(父上に母上、俺ももうすぐそちらに逝けそうです)

 後悔はない。父と母にも胸を張れる逝き方ができるのだ。

 いつの間にか、辺り一面にいた白蛇達や円柱群が蜃気楼の如く薄くなっていく。

「後はお前次第です。さぁ、お行きなさい。過酷な運命を受け入れし勇気ある者よ。お前の高貴なる魂は幾年の時を経て再び芽吹く事でしょう――」

 アルタ―神からの激励の声が一際響いた瞬間、ルイの視界はとうとう真っ白になり意識も沈んだ。

 まっさらになっていた彼の心の中には、再び闘志の炎が生まれていた。

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