涙目少女アメリ~壊れた世界の片隅で~
ここはメネス王国を統治していたエリオット家へと忠誠を誓った諸侯の一人が治めていたタオの街、だった場所。
清涼な青空の下には見るも無残な景色が広がっている。倒壊、もしくは焼け焦げて黒ずんだ建物があるばかりで、さながら戦の後のような有様である。
事実、世界の命運を握る戦いに打ち勝った死霊術士ジーナが操る怨魂具現体、葬民の群れへと攻め込まれたのだ。
現在は葬民が蹂躙するだけの死の街だが、今日に限っては違うようだった。
珍しく生者の影があったのだ。赤茶けたの絹のローブを着た十代半ば程の少女である。
時折後方を確認しては可愛らしい顔を苦悶に歪め、艶やかな亜麻色のミディアムヘアを振り乱して必死に走っている。
彼女は金切り声をあげる葬民に追われていた。何体かは廃墟の屋根上から、また何体かは地上からと生前の負の感情に突き動かされて少女を狩ろうとする。
「やっぱり生きている人は一人もいない、出てくるのは葬民ばかり! キリがないわ」
言ってボロボロの革鞄から取り出したのは、独特の印形が書かれた小さな長方形の厚紙。
世界創造神アルターの霊魂を宿らせた霊護符だ。少女は聖霊術士――聖なる創造神アルターの霊魂から借りた力を行使する者だった。
「この霊護符をくらいなさいッ!」
振り返り、一瞬で狙いをつけて投げる。
悪しき霊魂には絶大な効力を発揮するアルターの霊護符だが、
「あーんもう! 当たりなさいっての!」
避けられては意味がない。少女は涙目になりながら逃亡を再開した。
しかし駆けだした五歩目で石に躓き派手に転んでしまう。
「いっつ!。もう、こんなところで……」
痛みを感じるより早く立ち上がり、すぐに逃げようとするがそうはいかないようだ。
気がつけば四方八方に葬民がいた。進行方向までも塞がれじりじりと距離を詰められる。
「勘弁してよ、先回りされてたっていうの」
下唇を噛んで悔しがる少女を尻目に葬民の一体が前に出ると、尖った口を小刻みに釣り上げた。
「聖魔道士の娘ェ、今アルターの呪縛から救ってやる。魂の枷を外してやる」
地の底から這い出るかの声色で少女にとって意味不明な言葉を放つと、他の葬民も賛同するかのように体を揺らし始めた。
「お生憎様。あなた達死霊と違ってこちとら、まだまだ死ぬわけにはいかないのよ」
少女は哀れみの視線を向けて反論するも、葬人らは無言を貫いている。
ジーナの傀儡と化した化け物らは、最初から訊く耳もないようだ。
「オデらは違う次元にイく。シュマ様と一つになる……」
一体が飛び跳ねた。それを合図にして、葬民の群れが少女を襲う。
(落ち着け、私なら切り抜けられる。大聖霊術士アメリ様を舐めるんじゃないわ)
心の中で覚悟を決めた少女――アメリは丸く大きな碧色の双眸を鋭くし、次なる霊護符を構えた。
先の白色のものとは違い、全体的に赤みがかっている。
「こんなところで使いたくなかったけど命には替えられないわね」
前方から突っ込んできた葬民の一段に、赤い霊護符を飛ばす。
すると次の瞬間、突如として霊護符を中心に激しく波打つ炎の輪が出現した。
「――ガゥッ!?」
葬民達は避ける暇もなく極炎を被った。
助けを求めるかの如く仲間とぶつかり、炎にまかれた葬民は倍々に増えていく。
「炎将ヴァルの霊魂よ。聖なる炎はあなた達怨魂にはさぞかし苦しいでしょうね」
とっておきの一つ、炎の神の聖なる紅蓮で事態は一気に好転した。
アメリは様々な霊護符を行使できる実力者であったのだ。
しかし安堵する時間はない。彼女はばたばたと倒れ狂う葬人の間を走り抜けた。
炎を蒙らなかった者も完全にパニックとなり逃げ惑い、アメリどころではないようだ。
それでも苦し紛れに向かってくる葬民に対しては、アルターの霊護符でトドメを差す。
「よしッ。流石私だわ」
脱出成功。思わず拳を振り上げたアメリは勢いそのままに街の中心部へと進んだ。
そして、視線の方向がある一点に定まった。
大通りを抜けた辺りに立っている建物が、黒ずんだ街で一際存在感を放っている。
石造りの白い壁。高くそびえる青色の屋根。入り口の両脇にはアルター神のしもべである神獣――白蛇ビノの像。
メネス王国の国教、アルター教の教会堂だ。
(丁度よかったわ、あそこなら)
アメリは大粒の汗を流しながら、霊護符の残り枚数を急いで確認した。
(うん、やっぱりあとちょっと。こんなところで使い切るワケにはいかないわね、教会へ行くに決まりだわ)
今一度周囲を見渡す。
幸い前方には葬民は見当たらないうえ、アメリが巻いた葬民らも未だに混乱状態だ。
「こ、怖かった~。危機一髪ね」
へなへなと力が抜けかける両足。そして彼女の瞳からは安堵の涙がぽろり、ぽろりと流れたものの、
「あぁもう! こんなところでへばってどうするの! 私は、こんなところで死ぬワケにはいかないんだからッ」
己の頬を両手ではたいて一括。アメリは教会堂へと一直線に駆け出した。
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