3.8
ジルは尚も腕に食らいつく昏獣を引き剥がすために右腕を振るい、セリカは弾倉を亜音速弾からより威力の高い徹甲弾に切り替え、再び照準を合わせる。
だが発砲する直前、二人の無線機から焦りを含んだトンテの声が響いた。
『オイ! 銃声ガ、聞コエタ瞬間、見張ッテタ昏獣ガ、四体全部、水溜リニ向カッテ、走リダシタゾ! 真ッ直グ、ソッチニ、向カッテイル!』
こんな状況で新手。それも最初にトンテから無線で聞いた話を考えると、新手は西の方角からこちらに向かっている。
西。それは最悪の方角だ。
現在セリカは三日月形の水溜り、その凹んだ部分に居る。そしてそこは、水溜りの西側。つまりこのままでは、東、南、北の三方を毒溜りに囲まれているセリカは、強制的な背水の陣で昏獣と戦わなければならなくなる。
なんて運が悪い……などと、ジルは思わなかった。
運ではない。確実に必然だ。
迫って来ているのは凶暴だが足の遅い昏獣。まともに獲物を追っても逃げられる。
だが獲物の逃げ道を封じることができれば、あとは純粋な戦闘に持ち越せる。
この人工的に整えたと思えるほど綺麗な三日月形をした水溜りは、獲物を逃がさないために用意された障害物。毒を分泌する昏獣が住み着くことを想定された、狡猾な檻だったのだ。
もしかしたらこの蛙型の昏獣も、追われて逃げて来た獲物を横取りできると考えわざと利用されているのかもしれない。
たかが獣だと一蹴できないほど知性を持ち合わせているのは、明白だった。
不味い、とジルは焦りながらも、必死に思考を巡らせる。
まずは接近されればまともに戦えないセリカをここから逃がすべきだろう。ただ一人で逃げろという指示をセリカが容認するとは思えない。例え逃げたとしても、近場で援護を始めかねない。
そうなれば、銃声を聞いた新手は手の出せない毒溜りの中の自分より、セリカを狙い始めるだろう。新手の足は遅い。追われても逃げること自体は難しくないかもしれないが、その逃げた先で別の昏獣と遭遇したら最悪だ。
身軽で素早く体力もあるトンテならともかく、逃走して疲労を抱えた状態のセリカでは絶対に対処し切れない。
そんな結末を避けるためには、やはり自分の今の状況を打開する必要があった。
この水溜りから早急に脱出し、セリカと共に新手を相手取り、隙を作って共に逃げるしかない。
ジルは焦る心を無理やり抑え込み、無線越しにトンテに向かって、そしてセリカに向かって声を荒げた。
「トンテ! こっちも昏獣と戦闘中だ! そっちの昏獣は杭缶全部使ってでも足止めしてくれ! 可能なら別の方向への誘導も頼む! セリカは引き続き狙撃! 新手が来たらそっちを優先! 弾の出し惜しみはなしだ!」
『了解!』
「了解!」
それぞれが指示を受けて動き出した。
ジルは左手で腰のナイフを引き抜き、右腕に食らいつく昏獣の右目に向かって振り下ろす。ナイフ越しに固いゼラチンを引き裂くような感覚が伝わり、昏獣はしわがれた絶叫を上げながら、だが腕は放さぬまま暴れ出した。
幸か不幸か水底の泥に足が固定されていたジルは態勢を崩すことなく、噛まれた右腕をそのまま口に押し込み暴れる昏獣を抑え込む。
ナイフを突き刺した目からゴポゴポと溢れ出る赤い血。それを見て、ジルは己を叱咤した。
迂闊だった。何故気付かなかったのだ。撃たれたのなら、体に傷を負ったのなら、血が出るはずだ。この白濁とした水溜りに、血の赤が混ざるはずだ。
しかし、水溜りのどこにもそんな色はない。セリカはそのことに、昏獣を仕留め切れていないという事実に、違和感という形で気付いていたのだろう。だが自分は、収穫のことだけを考えていたせいでその違和感を無視してしまった。
己の無能さに腹が立つ。ジルが苛立ちで奥歯を噛み締めた、その直後。トンテが杭缶を使ったのだろう。西の方角から爆音が響き渡った。
立ち上る煙から、既に新手は一〇〇メートル程度の距離まで近付いていると推測される。
早くこちらを片付けないと。ジルを助けないと。
セリカはそう思い、湧き起こる、そして思い起こされる恐怖を呑み込み、狙いを定めて徹甲弾を発射した。
貫通力に特化した形状と構造の弾頭を有し、火薬量も多い徹甲弾。反動でライフルが先程よりも大きく暴れ、セリカは自身が撃たれたかのように後退りながら上半身を仰け反らせる。
だが流石の威力。
セリカの撃った弾丸はジルへ迫る一体の昏獣の背中に直撃し、へばりついていた強固な泥を砕き貫いた。
しかし無理な姿勢、狙い難い近距離、そして焦りのせいで、狙いは上に逸れ過ぎていた。
徹甲弾が穿ったのは背中の被毛と泥のみ。
昏獣本体に傷はない。
セリカは次弾を装填し、狙撃の反動で痛む肩と腕、半ば痙攣する指に活を入れながらライフルを構える。
すると再び西の方角、それもかなり近くで爆発音。さらにトンテからの通信が入った。
『一体仕留メタ! モウ一体トンテガ、引キツケテル! ダガ、アト二体、ソッチヘ、向カッタゾ!』
トンテの言葉通り、少しして二体の昏獣が西の巨大な岩の裏から姿を現した。
見た目は四肢と首が長く太く、体長二メートルを超える巨大な亀。背負う甲羅には太く鋭い攻撃的な突起が無数に生えており、爪は鉈のように分厚く鋭利で、顎は鉄なら容易く噛み千切れそうなほどの力強さが見て取れた。
この絶望的な状況を切り抜けられるのだろうか。
そんな不安を振り払うように、ジルは突き刺したナイフを昏獣の右目から引き抜き、そのまま左目に振り下ろす。
切り抜けられるのか、ではない。
切り抜けなければならないのだ。
切り抜けなれなかった。それはすなわち『死』。
こんなところで死ぬわけにはいかない。
ジルはナイフを突き刺したまま、捻じりながらさらに奥へ突き刺し脳をかき混ぜる。
ようやく絶命した昏獣の口から腕を引き抜き、新たに猛然と飛来した蛙型昏獣に機械の拳を叩き込み、セリカに狙いを定めた亀型昏獣の元へ駆け出しながら、ジルは心の中で叫んだ。
絶対に――生き延びてみせる。
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