2.8
現れたのは、フーカだった。
「ジル様。テッド様がお帰りになりました。すぐにでも、検査を始められるとのことです」
「分かった。これ食べたらすぐ行くよ」
フーカは丁寧に頭を下げ、部屋から去っていった。
ジルは残っていたサンドイッチを口の中に放り込み、居間の隅に置かれたタンクから直接水を呷る。
水は庇護居住地の各所に設置された製水機と浄水機から手に入れることができる。製水機は大気中の水分から水を精製し、浄水器は稀に降る汚染された雨を浄化して貯蔵する装置だ。どちらもアヴァロンが設置したもので、既に枯れてしまった井戸よりも安全な水を安定して供給してくれる。
そんな若干薬臭い水で喉を潤したジルは、自分を心配そうに見つめるセリカの視線に気が付いた。
「どうした? 水なら心配しなくても、まだたっぷり残ってるぞ」
「……違う。さっき、フーカが検査って言ってたでしょ? ……体、調子悪いの?」
そのことか、とジルは小さく溜息をつく。
「心配すんな。腕の動きが少し変に感じるから、それを見てもらうだけだよ」
尚も顔を曇らせているセリカの不安が移ったのか、メイも心配そうな視線を向けてきた。
ジルはもう一度溜息をつき、二人を安心させるように右腕をプラプラと振る。
「ほら。ちゃんと動くだろ? ほんとに少し変に感じるだけなんだよ」
「……検査、私も手伝っていい? 外で何かあった時に……私が直せるように……」
必要ない。ちょっと手伝ったくらいでどうにかなる技術じゃないだろ。自分でも最低限の整備はできる。
そんな言葉が口から出そうになるが、ジルはそれを呑み込んだ。
セリカは頑固だ。簡単に引き下がるとは思えない。それに、メイの目がある。
言い争って、喧嘩するわけにもいかなかった。
「……好きにしろ。邪魔はするなよ」
「……うん」
ジルはメイの頭を左手で少し乱暴に撫で、サンドイッチを急いで口に詰め込んだセリカと共に、フーカを追って居間をあとにした。
扉の先は食糧や衣類、日用品や薬品、サバイバル道具や弾薬など、様々な物が置かれた倉庫。そこからさらに奥にある扉へ歩きながら、ジルは声を殺して言った。
「メイの前であんなに心配するな。ただでさえ体が弱いんだ。余計な心配させてストレス与えたくない」
「……ごめん」
言い過ぎたか。セリカの痛々しいほど落ち込んだ顔を見てそう思い、ジルは三度目の溜息をつく。そしてメイと同じように、左手でセリカの頭をクシャリと撫でた。
「まぁ……心配してくれてるのは嬉しいよ。ありがとう」
「……うん」
セリカは照れながらもようやく笑顔を浮かべ、その笑顔を見てジルも笑う。
倉庫を抜けると、そこは油の匂いが漂う作業場だ。四メートル四方の開けた空間で、左右の壁際にはよく分からない機械や工具類が置かれている。
そしてその中央、姿勢正しく立つフーカの横で、目当ての人物が椅子に座っていた。
「やぁジル。セリカちゃんも、二〇日ぶりくらいだね。元気にしてたかい?」
黒ずんだ作業着を着たボサボサ頭の男、テッドは穏やかにそう言った。
「まぁ、それなりにはね。テッドも元気そうだな」
「実はね、そんなに元気ではないんだよ。重い機械を運んでいたら腰を痛めちゃって、いやぁ参った参った。もう歳かねぇ」
テッドはまだ二六だ。歳を気にするには早い。顔は比較的童顔で、それを気にして無精髭を生やしている。しかし、元々髭が薄いのだろう。大して伸びておらず、量もポツポツ生えているだけで、歳の嵩増しはうまくいっていないようだ。
「大丈夫なんですか? 私、軟膏持ってますよ」
「いやいや、放っておけば治ると思うから、大丈夫だよ。でもありがとうね、セリカちゃん。――ところで、セリカちゃんも僕に用事なのかい? 僕にしてあげられることがあれば良いけど」
「いえ……ジルの検査を手伝おうと思って。その知識が外で役立つかもしれないから……」
テッドは優しい笑顔で「そっか」と頷き、脇にあった椅子を二つ差し出した。
「それじゃあ始めよう。フーカから腕の動きが変だっていうのは聞いてるけど、せっかくだから全身の検査をしちゃおうか。とりあえず、裸になってもらえるかい? ――あぁ、下着は脱がなくても大丈夫。セリカちゃんも、そんなに顔赤くしなくてもいいよ」
ジルは言われた通り、下着を除き靴も含めた衣服を脱いだ。
露になった、ジルの体。
顔を除く右半身と、左足。その付け根までが硬質な黒い機械で出来た、ジルの体。
血管の代わりに青い光の筋がいくつも走り、鼓動に合わせて淡く瞬くジルの体。
その姿を見て、セリカは歯を食いしばり顔をしかめる。
そして、誰にも聞こえぬ小さな声で呟いた。
――ごめんなさい、と。
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