第63話 はじまりと、おわりの縁

63


――

――――


 ロゼットとイスカが必死で蘇生を試みていた頃。

 ニーダル・ゲレーゲンハイトは、真っ暗になった劇場の観客席に一人、座っていた。

 見覚えはある。彼が毎夜夢見て、ロゼットも一度は同席した、システム・レーヴァテインの抱く〝世界〟だ。


「な、なんじゃこりゃ!?」


 しかし、いつも見る夢にしては異常にすぎた。

 普段はギャンギャン煩い人魂達が沈黙して、劇場もまるで灰になったようにボロボロとひび割れてゆく。

 

「おいおい、どうした。レーヴァテインよ、何とか言ってみろ。いつものへらず口はどうした?」


 ニーダルは煽ったが、劇場の崩壊は止まらない。天井が裂けて、柱は折れて、壁も砕けた。遂には、雪まで降ってくる始末だ。

 

「レーヴァテイン、お前は俺の身体を奪うんじゃなかったのか。もっと踏ん張れよ、諦めるな。やる気だせ!」


 純白の雪が降り積もり、灰色の劇場を埋めてゆく。しんしんと、しんしんと、世界が白い闇に消えてゆく。


「馬鹿野郎。お前まで俺と一緒に逝ってどうするんだよ……」


 ニーダルは砕けた座椅子を力なくさすり、真っ白な大地をこつんと叩いた。

 宿主たる彼は生を尊び、寄生した炎は滅びを求めた。

 絶対に相容れない平行線だ。

 にも関わらず、両者はまるで同じ硬貨の表裏のように共に歩んできたのだ。

 

「……システム・レーヴァテインはね、〝神剣の勇者〟って呼ばれた人に『牙なき人を守る為の、牙になってくれ』って祝福のろいを託されたの。だから、その呪詛いのりを果たす為に、これまでも貴方を必死で助けようとしてたんだよ?」


 どこからか、そんな声が聞こえてきた。

 まるで緞帳どんちょうをあげるように、不意に雪がやむ。

 雪原の果て、白い空と白い大地が結ぶ地平線の果てから、一人の女が歩いてくる。

 白金プラチナのように輝く蜂蜜色の髪と、血のような赤と海のごとき青のオッドアイが特徴的な、巫女服を連想させる白い貫頭衣を着た美しい女だった。

 服越しにもわかるほど胸は豊かで、腰から尻、太腿にかけての稜線も素晴らしく、思わず息を飲むほどだ。

 

(……ロゼットが見たら嫉妬でキレそうだな。でも、乳も尻もむしゃぶりつきたくなるほどなのに、そんな気にならんぞ)


 ニーダルは、はてと首を傾げた。

 この娘を抱きしめたいと思った。頭を撫でたいとも感じた。胸でわずかに燃えるのは、奇妙な懐かしさと親愛の情だろう。

 にもかかわらず、結ばれたいとか押し倒したいとか、そういった性的な衝動がまったく湧いてこない。


(どこかで会った気がするが、まったく記憶にない。ひょっとしてタカシロ・ユウキの知り合いで忘れてしまったのか? いやいやいや、日本にこんな不可思議ネエちゃんがいてたまるか)


 ニーダルは状況を把握しようと、まず名前から尋ねることにした。

 

「はじめまして、お嬢さん。俺の名前はニーダル・ゲレーゲンハイトだ。どちら様かな? ひょっとしてどこかで会ったことがあるか?」


 まるでナンパの台詞だなと思いつつ、正真正銘、下心なしの本音だった。


「えへへ、死に神です」


 女は茶目っ気たっぷりにそう言って胸を張ったが、説得力はなかった。

 あどけないというか、背伸びしている小娘というか、えらく見覚えのある仕草だ。


「アハハ。こんな死に神なら大歓迎だよ。でもお嬢さん、嘘はいけないぜ。俺の娘も腕まくりして料理を作ろうとする時、そんな風に胸を張るんだが、たいてい卵のカラや野菜の根っこが混じるんだ」

「ほ、本当だよ。そう、〝死んだ人の魂を自由にする〟っていう力があるの。〝わたしっていう世界〟に迎えて、楽しく過ごすの。そういう〝融合体〟なんだよ。ね、死に神でしょう?」

「わぁお、説得力あるなあ」


 ルートガー・ギーゼギングは、使いこなせていなかったといえ、第一位級契約神器ギャラルホルンで、世界を自由自在に書き換えていた。

 ヨゼフィーヌ達〝融合体〟は、自己を複数の生命として成立させるという奇跡を成し遂げた。

 だからひょっとしたら、そんな出鱈目でたらめな存在が生まれる可能性だって、零ではないかも知れない。

 

「でも、な。お嬢さん。それはもう、死に神じゃなくてラスボスだ。ラス☆ボス子ちゃんだよ」

「そうです。わたしはラス☆ボス子ちゃんなのです」


 美しい女は、まるで向日葵のように破顔すると、雪原を蹴って飛びついてきた。

 ニーダルは雪原から立ち上がると、慣れたかのようにボス子を腕の中へ抱き留めた。


『……パっ』


 彼は娘を知っていた。知っているのに忘れている。あるいは、知っているからこそ、わからない、そんな意味不明な状態に陥っていた。


「ねえ、運命のひと。やっと、終わったね。仇も討ったし、イスカやロゼットも助けられたよ。だからさ、――元の世界に、地球に戻らない?」


 ニーダルには、ボス子の言い分が理解できなかった。それは、不可能なことだ。

 七つの鍵と呼ばれる第一位級契約神器を手中におさめ、世界の中心たるトネリコの樹にたどり着いて初めて叶えられる奇跡だ。

 しかし、あるいは、ひょっとしたら、この娘ならば……。


「わたしなら、その願いを叶えてあげられる」

「いいや、駄目だ。俺には約束と、やるべきことがある」


 ニーダルは、救いの手を振り払った。

 その手を取るわけにはいかない。慈悲にすがるわけにはいかない。なぜなら。


「俺には約束がある。ロゼットにもう一度会うんだ」

「うん」


 蜂蜜色髪をした青と赤のオッドアイの少女は、わかっていたとばかりにニーダルを強く抱きしめた。


「俺にはやることがある。この世界に来る前に、タスケテという声を聞いた。俺は――お前の声に――応えた。だから、やり遂げるまでは帰らない。そうだろう、……イスカ?」

「なん、で?」

「身体が大きくなろうが、世界が違っていようが、娘を間違える親がいるか」


 ニーダルは、胸の中で涙を流す女を抱きしめた。


「パパは、イスカを助けてくれたよ」


 そう。

 この娘はイスカではないのだろう。

 ニーダルが、ロゼットが、歴史を変えた。

 名を奪われた少女は、イスカ・ライプニッツ・ゲレーゲンハイトとして成長し、ラス☆ボス子は現れない。


「娘の力になるのが親父ってもんだ」


 だが、そんな理屈は知ったことかと、ニーダルは決めた。

 白い雪原へ消えた灰に、赤々と火が灯る。

 ニーダルが魂を震わせた熱を喰らい、瀕死だったシステム・レーヴァテインが再起動したのだ。


「よう相棒、元気そうで何よりだ」

『フンっ』


 燃える人魂は憮然ぶぜんと鼻を鳴らすも、結びつき繋がりあって、見慣れた劇場を組み上げてゆく。


「……おねえちゃん、よかった。間に合った」


 ボス子は、ニーダルに自分の正体を告げなかったけど、リンゴのように真っ赤に染まった彼女の顔と、こぼれた言葉が雄弁に正体を告げていた。


「次は、ロゼットと一緒に会いにくる」

「うんっ!」


 そうして、ニーダルの視界は闇に包まれた。けれど怖くはなかった。懐かしい温もりを感じていたから。


「ロゼット」




 

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