第五章 最後の日

第25話 目覚め

25


 夢は終わった。

 ニーダルは眠りから覚めて、瞳を閉じたまま深呼吸した。

 上体を起こすと、首元で炎が揺らめく。黒々とした殺意が、胸の中でぞわりと膨れ上がる。


『全てを殺せ。殺戮の果てに、久遠の平和を手に入れろ』


 まるで二日酔いの痛みのように、剣呑な声が頭の中でガンガンと鳴り響いた。


(黙っていろ。呪いがジメジメと喚くんじゃない)


 人間が人間であるためには、理性と感情が必要だ。

 こんな破壊衝動に突き動かされるだけの『人形』では、目的は達しえない。


(だから、創り上げる。灰となった燃えカスに、焼け砕けたタカシロ・ユウキの欠片を拾い集めて上書きし、『ニーダル・ゲレーゲンハイト』になるんだ)


 システム・レーヴァテインは、一千年前に世界を救った勇者が残した、契約神器のレプリカだ。

 残された文献によると、本来ならば、第一位級契約神器に対抗するための緊急手段として開発されたらしい。

 しかし一千年たった今では、絶大な力と引き換えに精神を焼き滅ぼす、ハタ迷惑な呪詛に成り果てていた。

 確認できる記録の上では、使用者のほぼ全員が一年以内に狂死し、あるいは廃人となって黄泉よみの川を渡った。

 けれど、ニーダルはまだ生きている。

 生きているのならば、復讐と守護の誓いを果たさなければならない。


(昨夜はロゼットが劇場に来ていたな。どんな顔をして会えばいいものやら?)


 ニーダルは、益体やくたいもないことを考えながら、まどろみの中でたゆたうこと数十セシウト

 ふと隣にぽかぽかとした何かを感じた。


(ああ、昨夜は誰と寝たんだっけ?)


 ニーダルは、人肌の温もりが好きだった。

 ぬくもりに触れていると、雨上がりの灰のような冷たい自分が、まだ人間であるかのように錯覚できるから。

 だから、彼は一夜の恋を求めて夜の街を流離さすらうのだ。


「はい?」


 ニーダルが黒い長髪をかきあげて両目を開くと、蜂蜜色の髪と下着に包まれた白く小さな身体が視界に飛び込んできた。


「……なん、だと?」


 二〇番ツヴァンツイヒが、同じベッドの上で穏やかな寝息を立てていた。

 ニーダルの背から、冷や汗がたらりたらりと流れおちる。


「……お、落ちつけ。ま、まだ、あわわわててる時間じゃない」


 ニーダルはモゴモゴと呟きながら、浅い呼吸を繰り返す。

 いくら記憶があいまいだからといって、こんな子供に手を出すほど、『自分』は無節操ではないはずだ。


「そうか。きっと一人じゃ寂しいからもぐり込んだんだな」


 まあ、彼女たちは大部屋で布団をひいて雑魚寝だったわけだが。


「ひよっとしたら、雷が怖くてやってきたのかも知れない」


 ただし、昨夜は雨もあがっていい星空だった。


「だいたい俺は女と寝るとき以外は、このコートを着ているだろう。間違いなんて起こるはずが無い」


 いつも着ている紅い外套がいとうは、ベッド脇に丁寧に畳まれていて、上半身は思いっきり裸だった。


(つまり、俺は夢の中で長姉に甘い言葉を囁きながら、現実で末妹を抱いていた。と)


 あえて言うならば、最低のクズである。

 ニーダル・ゲレーゲンハイトは、全身からザァァァァァァァと血の気が引く音を自覚した。


「や、やっちまったああっ!」


 ニーダルが動揺のあまり、ベッドから転げ落ちると、待っていたかのようにドアが開いた。


二〇番ツヴァンツイヒ、大丈夫かっ!」


 姉弟からは、一二番セバルツと呼ばれる少年が、徹夜明けらしい充血した目を見開きながら、部屋の中へ飛びこんできた。


「おいそこの出歯亀野郎」

「は、はい」


 罪には罰を。これはけじめが必要な案件だった。


「俺を殴れ。お前達兄弟には、その資格がある」

「へ? え、えええ?」


 ニーダルは困惑する一二番セバルツを引きずって、寝室を後にした。


「ン? さむくなった?」


 残された二〇番ツヴァンツイヒは、騒ぎで一度目覚めたものの、布団にくるまって再び寝息をたてはじめた。

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