第362話 港町タハリ

「ニャンゴ、レイラ、シューレ、ミリアム、セルージョ……全員いるな? ガド、出してくれ」

「おぅ!」


 ライオスが点呼を行い、ガドが手綱で指示を送ると、チャリオットの馬車はゆっくりと進み始めた。

 兄貴が呼ばれないのは、御者台のガドとライオスの間が定位置になっているからだ。


 押しつぶされたり、邪魔になったりしないか心配になるが、護衛の依頼ではなく旅をしているだけだから大丈夫なのだろう。

 まだ夜も明けきらぬ早い時間なのに、ホテルの前ではオーナーのネッセルを始めとして従業員達が手を振って見送っている。


 マハターテでの休暇を終えて、いよいよ俺達はダンジョンのある旧王都へと向かう。

 さらば、お魚……でも、俺はきっと戻って来るからな。


 寂しいけれど、今は暫しのお別れだ。

 馬車の後ろから、見送りの人々に手を振り返していると、セルージョが声を掛けて来た。


「ニャンゴ、ちゃんと魚に別れは告げたか?」

「にゃにゃっ! にゃんで、それを……」

「うわっ、マジで魚に別れを告げてたのかよ……あれだけ群がって来ていた女どもの立つ瀬が無いな」

「いや、だって……みんな目がギラギラしてて、ツバサザメより怖かったよ」

「ふはははは、そらそうだろう。みんなニャンゴをパクっと食っちまおうとしてたんだからな」

「いや、笑いごとじゃないよ……ホントに」


 ネッセルのホテルに滞在している間、次から次へとマハターテの女性達がアタックを仕掛けて来て、全然気が休まらなかった。

 海で遊んでいる時も、レストランで食事をしている時も、部屋で眠っている時でさえ油断できなかったのだ。


 常に兄貴かレイラと一緒にいたから間違いは起こらなかったけど、俺達が遊んでいる砂浜に通りかかったフリをして、わざと転んでポロリしてみたり、浜から上がるシャワー室に全裸で突入してこようとしたり、手段を選ばない必死さは鬼気迫るものがあった。


「片っ端から相手してやれば良かったんじゃね?」

「やだよ。旧王都に、あなたの子供よ……なんて訪ねて来られたりしたら、どうするのさ」

「そりゃーパパになるだけだろう」

「俺は、まだパパになる気は無いからね!」


 セルージョには言い切ったけど、大丈夫だよねぇ……と、レイラをチラ見してしまった。

 いや、何その意味深な笑みは……。


「そうね、俺はパパになるから冒険者はやめる……なんてニャンゴに言われちゃったら、ダンジョンを楽しめなくなっちゃうものね」

「ほら、レイラだって、こう言ってるんだから、俺にはまだ早いんだって」

「確かにな、俺もその方が助かるぜ」


 ネッセルのホテルが見えなくなったところで、レイラの横に腰を下ろす。

 日が高く昇って、気温が上がってくるまでは、俺の仕事は尻の下にクッションを作る事だけだ。


 気温が上がれば馬車を囲って、冷却の魔法陣で冷やさなければならない。

 まぁ、冷房用の魔法を使い続けるのにも慣れたから、別に苦になるほどではない。


 旧王都までは、マハターテからは四日半ほどの道程らしい。

 マハターテを出発した馬車は、王都へ向かう北の街道ではなく、東へ向かう街道を進んでいる。


 次なる目的地は、二日半程の距離にあるタハリという港町だ。

 タハリはマハターテと同じ大きな湾に面した港街で、外洋に近い交易港として王都が移動する以前から栄えているそうだ。


 海岸沿いにタハリまで進み、そこから二日ほど内陸にむかうと旧王都へと辿り着く。

 旧王都には確実に近づいていくし、海から離れないから途中の宿では美味い魚が食べられそうだし、素晴らしいルートだと思う。


 それにしても、セルージョがやけにスッキリした顔をしている。

 いつもは、もっとギラギラしているというか、脂ギッシュな感じなのだが、熱湯を掛けて脂抜きしたみたいだ。


「セルージョ、マハターテで何かあったの?」

「はぁ? あぁ、いい月が出てただけだ……」

「えっ? 月って、空に浮かんでる……?」

「いや、海に浮かんでるように見えてたな」

「へぇ……」


 何だか意味が分からないけど、セルージョがマハターテの休日を満喫した事だけは確かなようだ。

 途中の漁村や街で、お魚うみゃうみゃしながら馬車は順調に進み、マハターテを出てから二日目の夕方にタハリの街へと到着した。


 海沿いの低い峠を越え、途中の下り坂から見下ろしたタハリの街は、北東から流れ込む川の両岸に広がっていて、川は旧王都へと通じているそうだ。

 街の面積は、新王都にも匹敵しそうな広さで、港の近くには大きな倉庫がいくつも並んでいる。


 街道は倉庫街の中を通り、川に沿うように曲がって上流へと続いている。

 途中、対岸へと渡る大きな橋があり、橋の周囲が街の中心地となっているようだ。


「うわぁ、大きな街だね。ライオス達は、タハリにも来た事があるの?」

「何度かだが、あるぞ。来る度に街が広がっている印象だな」

「あっちの道が新王都へ通じる道?」

「そうだ、北西に延びる道が新王都、川に沿って続いているのが旧王都へと向かう道だ」

「あれは……何してるんだろう?」

「ん? どれだ?」

「ほら、あの港の中から何か引き上げているみたい」

「ふむ……かなり人も集まっているみたいだな」


 街の広さに目を奪われていたが視線を港へと戻すと、倉庫街の岸壁では何かを引き上げる作業が行われていて人だかりが出来ている。

 やがて、街道脇に植えられた樹木によって視界を遮られてしまったが、遠目に見えていたのは船の残骸のようだった。


「ガド、ギルドに行く前に、ちょっと港に回ってくれ」

「あいよ……」


 タハリの街へと入り、港が近付いてくると焦げたような臭いがし始めた。

 港を見渡せる岸壁沿いの道へと出ると、大勢の男達が太い綱を引き、港の底から船の残骸を引き上げているところだった。


「ガド、その辺りで止めてくれ、あまり近付かない方が良いだろう」

「あいよ」


 港の岸壁では屈強な男達たちが、声を合わせて綱を引いている。

 馬車を下りて聞き込みに行くライオスに空属性魔法で作った集音マイクを持参してもらい、馬車の中にスピーカーを作って会話を聞かせてもらった。


『マハターテから着いたところなんだが、こいつは何の騒ぎなんだ?』

『船幽霊さ、昨日入港したばかりのヌビアス商会の船が燃やされちまったそうだ』

『船幽霊……何だそれは?』

『何だい、あんた船幽霊を知らないのか?』

『あぁ、俺達は北のラガート領から新王都やマハターテを経由して旧王都へ向かう途中なんだ』

『ほぉ、そいつは長旅だな。それじゃあ知らないのも無理はないか……船幽霊ってのはな……』


 ライオスが聞き込みを行った相手によれば、船幽霊とはタハリの港に現れる魔物というか怪異の一種らしい。

 人々が寝静まった夜中に船の見張りをしていると、急に海から生ぬるい風が吹いてきたかと思うと、白いヒラヒラとした異国風の服を着た女が海の上に現れるそうだ。


 女は青白い炎に包まれながら水面を滑るように近付いて来て、舷側にへばりつくと炎の固まりとなって船を燃やすらしい。

 しかも、船幽霊は一体ではなく次から次へと現れて、狙われた船は成す術も無く炎に包まれて、焼け落ちて沈められてしまうそうだ。


『ヌビアス商会も災難だな。船を失い、積み荷も殆どが駄目になり……こりゃ店も傾いちまうかもな』

『その船幽霊ってのは、度々現れているのか?』

『そうだなぁ、月に二、三度程度……いや、もう少し多いか』

『そんなに船を燃やされていたら、商売にならないんじゃないのか?』

『船幽霊は、必ず船を燃やす訳じゃなく、現れたと思ったら、すぐに消えちまう時の方が多い』

『ほぉ、それじゃあ、あの船はどうして狙われたんだ?』

『さぁな、何か気に入らない事でもあったのかもな……』


 船幽霊に狙われた船は千差万別で、外洋を行く交易船もあれば、漁船や遊覧船、渡し舟や桟橋の小屋が燃やされた事もあるらしい。

 これまでにも船幽霊の討伐が何度も試みられたそうだが、真夜中の暗い海から突然現れて、炎の塊となってしまうので対処のしようが無いらしい。


 今のところ外国の船には被害は出ていないそうだが、このような騒動が続けばタハリの港を使う船が減り、街が寂れてしまうのではないかと心配されているそうだ。


『なるほどなぁ……とりあえず、陸にいる俺達では何もできそうも無いな』

『海に関わっているワシらだって、自分らの所には来ないでくれと祈るしかできんわ』


 声だけしか聞こえないが、ライオスの話し相手も打つ手が無く、途方に暮れている様子が伝わってきた。

 そういえば、こちらの世界に転生してから随分と経つが、ゾンビとかリッチとかアンデッド系やゴースト系の魔物の話は聞かない。


「セルージョ、幽霊ってどうやって退治するの?」

「知らねぇよ……てか、幽霊なんか居ねぇだろ」

「えっ? だって、船幽霊に燃やされたって……」

「どうだかなぁ……本当に幽霊の仕業なのかぁ?」


 どうやらセルージョは幽霊の存在には懐疑的なようで、それは横で頷いているシューレも一緒のようだ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る