第52話 噂のルーキー 後編

「あら、レイラ。独り占めはズルいんじゃない?」

「ひゃぅ……」


 レイラさん一人でも対処不能の状態に陥っていたのに、俺の後頭部を胸の谷間に埋めるようにして、もう一人のお姉さんが後ろから抱き着いて来た。

 カウンターの奥にある鏡越しに見ると、どうやら灰色熊人の女性のようだ。


「セシリーよ、よろしくね、ニャンゴ」

「は、はひぃ……よろしくれす」


 セシリーさんは、身体にピッタリ密着する黒のニットドレスで、レイラさん以上にダイナマイツなスタイルの持ち主で、後頭部がふにゅんふにゅんしちゃっている。


「ねぇ……あたしにも、お話聞かせて下さらない?」

「えっと……えっと……」


 あっ、あっ、喉は、喉は、らめぇ……。

 セシリーさんに喉の辺りをスーって指の背で撫でられて、思わずゴロゴロ言っちゃいそうになった時、酒場の戸が乱暴に開けられて騒がしい一団が入って来た。


「よぉ、マスター! 酒だ、酒。それにツマミもジャンジャン持って来てくれ!」

「金なら心配いらねぇぜ、何せ黒オークを仕留めたばかりだからなぁ!」


 酒場に入ってきた連中は、ギルドに来る途中に出会った黒オークを仕留めたパーティーのようだ。

 どうやら買取の査定が終わって、その足で打ち上げに来たのだろう。


「よぅ、レイラ。こっち来て飲もうぜ、今日はいくらでも奢ってやるぜ」


 馬車の荷台で恰好付けていた茶髪の狼人の冒険者が声を掛けてきたが、レイラさんの返事はそっけ無かった。


「やーよ……豚臭い男どもとなんか飲みたくないわ……ねぇ」

「い、いや、俺に聞かれても……ひぅ」


 頬擦りされると、髭が当たって、またゾゾってなっちゃうから、らめぇ……。


「じゃあ、セシリーでもいいぜ、こっち来いよ」

「嫌よ、あたしはレイラの代理じゃないわよ……ねぇ」

「いや、だから俺に聞かれ……あっ、あっ……」


 だから、喉は駄目だって、喉はらめぇ……。


「おいおい、せっかく黒オークを仕留めたってのに、随分と冷てぇじゃねぇか、ちょっとぐらい……あっ? なんだ?」


 狼人の冒険者が、力ずくでセシリーさんを引っ張って行きそうな感じだったので、空属性魔法で壁を作って遮った。

 てか、セシリーさんもレイラさんも、俺をオモチャにしながらカウンター奥の鏡越しに鋭い視線を向けていた。


「どうした、どうしたボーデ。飲む前から酔っ払ってやがるのか?」

「そんなんじゃねぇ。ここに壁みたいなのがあって、前に進めねぇ」


 狼人の冒険者と水牛人の冒険者が、『ウォール』に遮られている様子を見て、レイラさんが左から、セシリーさんが鏡越しに、俺にジーっと視線を向けてくる。


「ねぇ……どうやってるの?」

「ちょっとお姉さんに教えてごらんなさい」

「ひゃぅ! えっと……空属性の魔法です」


 二人の密着度がアップして、このまま昇天しちゃいそうだ。


「あら? あたしは火属性だって聞いたけど」

「あたしも強力な火属性って聞いたわよ」

「いや、そこは、ちょっと秘密というか……ふぁぁ」


 だから、喉とか、脇とか、耳は、らめぇぇぇ……。


「おいっ、おいっ! そこのガキ! 手前がやってやがんの?」

「舐めた真似してっと、畳んじまうぞ、こら!」


 二人の冒険者は『ウォール』に蹴りを入れ始めたが、肉体強化も使っていない蹴りではビクともしない。

 畳んでやるとか言われても、手が届かなければ怖くもなんともない。


 二人がエキサイトするほどに、レイラさんとセシリーさんは、見せつけるように密着度を高めて来るので、色々柔らかくて、はぁ……幸せ。

 でも、この状況は、完全に恨みを買うパターンだな。


「おい、ボーデ、バルガス、いい加減にして飲もうぜ」

「馬鹿野郎! こんなガキに舐められたままでいられっかよ!」


 パーティーの他のメンバーが声を掛けても、狼人の冒険者は引き下がるつもりはないようだ。

 これがゼオルさんの言っていた、冒険者としての面子みたいなものなのだろうか。


 どうやって収めたら良いものかと、むにゅんむにゅんに包まれて、かなり失われてしまっている思考力をフル活用していると、聞き覚えのある声が響いてきた。


「おぅおぅ、今夜はまた随分と賑やかじゃねぇか、何の祭りだ?」


 声を張りながら酒場に入って来たのは、ボードメンのリーダー、ジルだった。


「ボーデ、黒オークを仕留めたって聞いたが、何をそんなに荒れてやがんだ?」

「いや、あのガキが……」

「ん? どこに……おう、おっ? ニャンゴじゃないか」

「どうも、ジルさん、こんばんは」

「おぅおぅ、両手に花どころか、花に埋もれてるみたいだな」


 ジルが俺の名前を出した途端、ボーデとバルガスの顔色が変わった。

 俺の名前を聞いてビビった訳ではないだろうが、ただのガキではないと認識して気を引き締めたといったところだろう。


 舐め切ったままでいてくれた方が相手をするのは楽だったと思うが、いずれは知られることだろうし、まだ手の内を全部知られている訳じゃないから対処できるだろう。

 ボーデと呼ばれた狼人の冒険者が、暗い視線を俺に向けたままでジルに尋ねた。


「ジルさん、こいつが例のニャンゴっすか?」

「そうだぜ。ただの猫人だと思って舐めてっと火傷すっぞ」

「へぇ……そうですか、こいつがねぇ……」


 さっきまでのように『ウォール』を蹴りつけ、喚き散らしている時は色々と隙だらけに見えたけど、静かになったボーデは少々不気味だ。

 カウンター奥の鏡越しに俺を睨みつけていたが、ふっと視線を逸らして仲間が待つテーブルへと歩み去って行った。


 ジルがこちらに歩み寄って来たので、『ウォール』を消して通れるようにする。

 さっきまでボーデが通れなかった場所をジルが通り抜けてくるのを見て、レイラさんとセシリーさんが笑みを深めた。


「へぇ……」

「噂以上かもねぇ……」


 だから、喉はらめぇ……耳、ふぅーってしちゃらめぇぇぇ……。


「さすがは噂のルーキー、モテモテだなニャンゴ」

「ジルさん、いったいどんな噂を撒いたんですか?」

「そいつは誤解だ、俺じゃねぇよ。うちの若い連中も噂はしていたが、メインは元レイジングの連中だな」


 レイジングは卑怯者のテオドロがリーダーを務めていたパーティーで、ブロンズウルフの討伐の時に仲間割れして解散している。


「奴らは戦闘に参加していなかった分、状況を良く見ていやがったからな。ブロンズウルフを拘束したのも、止めを刺したのも、見知ったイブーロの冒険者じゃないって分かったんだろう。どんな手を使ったかまでは分からなかったみたいだが、それだけに色んな憶測を展開していたみたいだぜ」


 止めを刺した魔法は、一見すれば火属性の魔法のように見えるが、それだとどうやって拘束したのか説明が付かない。

 ブロンズウルフの前足による薙ぎ払いを『エアバッグ』で止めたが、そもそも相手の攻撃の勢いを削ぐような属性魔法など存在しないと思われているはずだ。


「俺も詳しい話は聞かせてもらっていないが……今日は先約があるみたいだから、またの機会にするぜ」

「あっ、ちょっ……ジルさん?」


 ジルは、レイラさんとセシリーさんに軽く手を振ると、ヤケ酒を煽っているボーデ達の所へと歩み去って行った。

 もしかすると、上手く取りなしてくれるつもり……なんて期待したら駄目だな。


 これからは、イブーロで一人の冒険者として活動していくのだから、自分の身に降りかかる火の粉は自分で振り払わなきゃ駄目だ。

 というか、この腰砕けになりそうな拘束状態からは、どうやって抜け出せば良いんだろう。


「そいつは、今後はイブーロで活動するようになる。まぁ、ジックリと時間を掛けて楽しんでくれ。今夜は、俺との送別会だからな、そろそろ返してもらえると有難い」

「あら、そうなの……じゃあ、これからヨロシクね」

「また今度、じっくり可愛がって、あ・げ・る!」


 ゼオルさんの話を聞いてレイラさんとセシリーさんは、俺の鼻先にキスするとフロアーへ戻って行った。

 むにゅんむにゅんの拘束から解放されて、ホッとしたような、名残り惜しいような……やっぱり俺には、まだ早い気がする。


「気をつけろよ、ニャンゴ」

「骨まで齧られる……ですよね?」

「いいや、そうじゃねぇ。後ろを振り返ってみろ……」

「えっ……うっ!」


 レイラさんとセシリーさんに相手をしてもらっている者を除けば、殆どの冒険者から怨嗟の視線が降り注いでいた。

 そう言えば、酒場の女はみんなのもの、前世の恋愛禁止のアイドルほどではないのだろうが、独り占めみたいな形になれば恨まれるのも当然だ。


「ゼオルさん、そろそろ場所を変えませんか?」

「がははは、前途多難だな、ニャンゴ」


 明日からのイブーロ暮らしを考えると、マジで頭が痛くなってくる。

 しばらくは、ギルドの酒場には近づかない方が良さそうだ。

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