葉桜の君に
伊東デイズ
第1話
またあの女だ。
教壇から見下ろす俺の気を引こうとでも言うのか、片頬を歪めてニヤリとした。美形だけに視覚的インパクトはある。わざとやってやがる。
その笑みは絶対に俺を捕まえるという決意であり、かつ面倒くさい決断を俺にぶん投げたいという意思なのだ。
今回は肩よりすこし長く黒髪を古風に結っている。不変のきつい目つきと意思の強そうな口元。その美貌とは裏腹に中身は空っぽだ。で、バカなのにクラス委員長だったり、学級取りまとめ役だったりその他もろもろの役職に就いている設定も同じだ。
秋田先生、と最前列の女子生徒が呼んだ。
俺はここでも
桜子は俺の昔付き合っていた女の名前だ。やつらは容姿も声までも似せて俺を追わせている。で、俺が幸せになるとでも?
いつも教室内で俺は覚醒を迎える。
同時に俺がこの世界にとって異邦人であるという確とした感覚が強烈に蘇る。
目があった桜子もほぼ同着のはずだ。
次第にこの世界の俺のプロフと、生徒たちとの関係とかが頭の中で明瞭になっていく。
秋田葉太。二十七歳。独身。このクラスが初担任だ。実のところ初担任はもう何十回もやっていて毎朝の歯磨きくらい新味がない……。
だんだんはっきりしてきた。油染みたガラスがレンズクリーナーの一拭きで次第にクリアになっていくような、あんな感じだ。
俺も慣れたもので覚醒後の立ち回りがすっかりうまくなった。
俺は桜子から目を離し、教室内にさっと目をやる。
窓ぎわにブラウン管式のテレビが架台に乗っている。暖房器具はパネルヒーターではなく、配管式のスチーム暖房だ。床はワックスで油染みた木組み細工。窓外の景色から見てこの教室は三階だろう。建物は鉄骨構造、ということは国の耐震基準が変わるずっと前、前回のジャンプ地点から少なくとも四十年はさかのぼっていると見た。生徒は全員黒髪で、茶パは一人もいないのが時代を感じさせる。
教卓にあるテキストは日本史だった。当たりだ。
以前の俺は数学教師として覚醒し、えらい難儀した。まあ数学に関係のある歴史漫談でお茶を濁したが。ガウス非人類説とフェルマーギャグはけっこう受けたっけ。
よし、立ち位置は確認した。
「すまない。天気がいいから陽気に当てられたようだ」
十三時五分。前回より少し早い時間だった。
腕時計を見ていた桜子がおもてを上げ、再び目が合う。セーラーカラーを揺らして、ちょっと肩をすくめた。目が笑っていやがる。クソ女が。
こいつはだんだん賢く、タフになっている。
チートコードを仕込んだPCゲームのキャラが一晩で勝手にレベルアップしている、そんな感じだ。学習機能があることは俺も気がついていた。
俺は桜子から目をそらしてテキストに目を向けた。
「本日は教科書の百八十ページ、戦後の社会から」
何が戦後だ。まるで世界最後の戦いに終止符を打ったような記述にイラッとしながら、俺は授業を進める。このあたりの歴史はなんどか実体験しているから立て板にジェット水流並みに語り尽くせる。……半ば怒りを込めながら。
終業のチャイムが鳴った。
俺の喋りっぷりに呆れたのか、若干引き気味の生徒を放置して逃げるように教室を飛び出した。
しばらく歩いて階下へ降りる。元いた教室にちらりと目をやったが今回は追いかけてこない。余裕か。完全につかまえる気満々という気がした。
用心して職員室を素通りして裏玄関へ足を向ける。学校の教室は全国どこでも南面しているから裏玄関は北側にあるはずだ。
探し当てた裏玄関をでて、中靴のまま外へ飛び出した。行き先の公園は学校から歩いて三十分はかかるはずだ。両足は機械人形のように完璧なリズムを刻んで進んでいく。抗うことは不可能だった。
交通マナーの悪いオート三輪が煤煙をまき散らしながら俺の横をかっ飛んでいった。この世界の人間がエコ意識を発明するのはまだずっと先の話だ。
咳き込みながら俺は思い出していた。やつらは公園があらゆる時空でランドマークになるといった。だが、桜子(のようなもの)にはその情報は未入力だという。
なので、あいつが毎回ランダムウォークして偶然、俺を発見することになる。公園での遭遇時刻はいつもバラバラだった。
俺は腐れ縁的磁力といささか怪しい因果律とともにあの女とつながっている。
俺の目の前で惨殺された女……春川桜子に。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます