第205話 安寧のあり方

「そもそもだ。アリシア。聖女の祈りとは何のために行うものだろうか?」

「人々の安寧を願うことです。ヨシュア様」


 聖女の顔に戻り、アリシアが即座に答える。

 何度も何度も自問自答したことなのだろうな。

 一言で「安寧を願う」といっても、表現の仕方は様々だ。心の中で「みんなが幸せでありますように」と寝る前に呟くのだって「安寧を願うこと」なのだから。

 彼女だって分かっていることだと思うのだけど、どうしても問わずにはいられない。


「別に大聖堂の中で誰も見ていない中、安寧を願わなくてもいいんだろうし、迫りくる猛獣から人々を護ってもいいわけだろ。どちらも安寧だ」

「猛獣ですか」

「後ろは気にしないでくれ。言葉のあやだ。安寧を願うといっても、いろいろやり方があるだろって言いたかった。これまでの慣習、伝統も大切だ。だけど、変えていくこともまた同じくらい大切だと思う。一歩踏み出すことは大変だけどな」

「ヨシュア様は踏み出されました。次々と改革を打ち出され、領民の笑顔を導かれ」


 今度はアリシア本来の顔で目を瞑り、彼女は両手を胸の前で組む。

 昔日の思いは美化されるものなのだけど、彼女も同じなんだろう。

 正直俺は、日々の政務に追われ過ぎて記憶が曖昧になっているんだけどね。

 ともかく……。


「あの時はなりふり構っていられなかったから。食べるものから何から何まで不足していて、何とかしなきゃって必死にあがいていただけだよ」

「ヨシュア様の行った改革のうち、一つ、伝統に従い元に戻ったものがあります」

「聖教を国教に戻したんだろ? まあ、そこは仕方ないだろうな。君や枢機卿が決めたわけじゃないんだから、気にすることはない」

「ご存知だったのですね」


 不本意であれ自己評価がどうであれ、俺が国の象徴だった。

 領民があれほど押しかけてくることから、それなりに慕われていたんだろうと思う。

 国の支柱がある日突然、やむにやまれぬ事情があったとはいえいなくなったらどうなる?

 特にローゼンハイムの動揺は相当なものだったはず。

 ならば、何かしらの支柱を立てねばならない。聖女や枢機卿が国の象徴になれればいいんだけど、彼らは聖女と枢機卿という役目を既に担っているのだ。

 だったらもう、聖教を前に出して落ち着かせるくらいしか手がなくなる。

 聖女は言った。

 「全ては神の元に」ってね。

 これも利用できる。聖女の影響力は俺ではなく大臣らの言葉から判断するに、公国内なら俺の次くらいに影響力があるとのこと。

 国外でも為政者と並ぶかそれ以上の影響力を持つそうだ。

 そんな彼女の言葉もあって、聖教を国教にする手を打つ判断に至った。

 ……というのが俺の予想である。

 

 神の名の元に、か。

 神の成すことに疑念を持たず、ただ神の示すとおりに行えばいいのだ、と。

 この世界では神の言葉が実在する。曖昧な言葉で神託や予言として世に伝わるわけだけど、百発百中で現実となるのだ。

 これがまた話をややこしくしているんだよな。

 「神の言葉通りに行えばよい」というのも、あながち間違っちゃいないんだ。

 神の示すとおりにってのは理想って言えば理想なんだけど、神はこまごまと指示を出してくれない。 

 結局、「神の元に」となっても、神託や予言で示されたことはほんの僅かで、それ以外の殆どのことは誰かが考えて実行しなきゃなんないんだ。

 

 あの時、俺の追放を止めることができたのかと問われると、難しいと言わざるを得ない。

 振り返っても仕方ないのだ。俺たちは今を生きている。

 あれ、俺、なんかいい事いった?

 

「ヨシュア様?」

「すまん。つい考え事をな」

「このひと時でヨシュア様の中でどれだけの世界が描かれたのか、私も見てみたいものです」

「いや、大したことは考えちゃいないさ」


 たははと後ろ頭をかき、苦笑いする。

 対するアリシアはくすりと笑い、口元に指先を当てた。


「アリシアも来るか?」

「私がですか」

「安寧は一つじゃないってさ」

「ですが、私は」


 アリシアが俺の胸に添えた両手を離す動きに合わせて、彼女の背に回した腕をほどく。

 不安な時、彼女が領民に語りかけることで、どれだけ領民が励まされるか。


「外には多くの領民が詰めかけていると思う。何しろ飛行船が大聖堂上空にいるからさ」

「船が? 空を?」

「外からなら見える。少し離れているからハッキリと確認まではいかなさそうだけど」


 彼女の手を握り、笑顔を見せる。

 できればその笑顔を領民に見せて欲しいと思うのは聖女という立場上難しいか。


「ヨシュア様……はい」


 迷う素振りを見せた彼女がはにかんで深く頷いた。


「セコイアは後ろじゃないのか」

「窓を開けたボクにも何かあってもよいはずじゃ」

「あはは。セコイアはいつもセコイアだな。ブレないのは良いことだ」

「褒めておるのかけなしておるのか何とも言えんの」

「褒めてんだって。んじゃ、ここへ来た目的を果たしに行くか」

 

 「ほら」とあいた方の手を差し出すと、ふんと唇を尖らせたセコイアが俺の手を握る。

 不機嫌そうに見せているけど、そのフサフサの尻尾がそうじゃないって示しているぞ。

 尻尾は何よりも物語るってな。

 

「キミは一応、追放刑を受けているんじゃろ。いいのかの、聖女と一緒に出て行っても」

「まあ、なんとかなるんじゃないか。ルンベルクと騎士団長が事前に握ってくれてるし。外の警備も騎士団がやってるはず」

「ヨシュア様。万が一の時は私が御守りします」

「それはちょっと……」


 聖女に身を挺して護らせたなんてなったら、事だぞ。

 下手したら聖教国家とドンパチするまで行くかもしれん。


「自分の立場は説明するつもりだ。終わればすぐに戻るさ」

「戻る時は気絶せんようにな」


 軽い調子で言ってやった。しかし、狐耳が余計な口を挟んでくる。

 飛行船への戻り方か。覚えたくもなかったので、何も記憶しようとしていないぞ。ははは。ざまあみろ。


「……知らん、俺は何も知らんぞ」

「忘れたのかの?」

「碌な案じゃなかっただろ。何しろ飛行船は遥か上空にいるし」

「よおく覚えておくがよい。その様子じゃと、演説しては華麗に立ち去るつもりなんじゃろ?」

「いっそ気絶させてくれ……」

「ボクやそこの聖女なら、キミの情けない姿を見ても今更じゃが、領民はどう思うかの?」


 ぐうううう。正論を言いやがって。

 聞きたくないってのに、意地悪な狐耳が語りやがるんだ。

 帰りはセコイアが空を飛んで飛行船に戻る。風を操作しロープを垂らして、俺に結び付け……もうやめてくれ。

 ロープが切れたらどうするんだよ、とか恐ろしいことしか考えられない。

 何? 万が一ロープが切れても大丈夫?

 落ちる速度を調整する魔法を俺にかけておくからって。

 それ、ロープが切れるってフラグじゃないの?


「ちょ、そこで黙るのやめてくれないか」

「さあのお。どうしようかのお」

「そうだ。思い出しだぞ。俺とペンギン二人を連れてでも空を飛べるって言ってたよな」

「そうじゃの。何もしていなければ、じゃがの」


 顔を上に向けるセコイアの顔はとっても嫌らしい。

 飛行船の維持ね。分かったよ、分かったさ。帰りは宙づり……。

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