第203話 聖女

 目が合った。俺の見間違いかもと一瞬迷ったが、あの法衣姿に整い過ぎた怜悧な顔は聖女で間違いない。

 だけど、俺の顔が分からないのか、気がついてているけど気がついていないように振る舞っているのか、どちらなのか分からないな。

 彼女は両膝をついた祈りの姿勢からみじろぎ一つしないでいたのだから。

 顔をあげたままで、ゆっくりコマ送りのように落下する俺を目線で追ってはいる。

「敵襲!」とかで供の者を呼ぶなんてこともなさそうだ。

 え?

 聖女の目から一筋の涙がつううと流れ落ちる。

 こいつはよろしくないのか?

 まさか俺の知らないうちに新しい神託が下ったとか……かも? しかし、少なくとも市中では新たな神託の噂は無かったんだけど。

 今しがた、よろしくない神託が、かもしれん。


「ただごとではなさそうなのかの?」

「分からない。だけど、このまま素通りするわけには」

「キミのことが恋しくて、顔を見たからつい、なのかもしれんの」

「そんなわけないだろうに。全く」

「ともかく、キミが泣かしたのじゃから、何とかするのもキミがせねばな」


 何そのとっても邪悪な笑みは。「おほほほ」とか声をあげて口元に手を当てそうな感じだよ。

 こいつ、「ライバルが」なんてことを言っておきながら、この状況を楽しんでいないだろうな。

 うーん、といっても聖女は確かに女子ではあるけど、セコイアの心配するような相手じゃない。

 何と言っても聖女だからな。男女の話にはならん。

 聖職者の事情くらいは世間に疎いセコイアでもさすがに知っているだろうし。

 となれば、彼女はこの状況を楽しんでいるだけだろ。


 だけど、残念。窓は内側からロックがかかっている。

 開かないんだよー。あははは。ざまあ。


「何をしておる。行くがよい」

「ちょ」


 窓がすううと勝手に動いて開いた。誰も触れていないってのに。犯人はこの狐だー。

 そんなことより、俺だけを押し込むとは何事だ。

 自慢じゃないけど、俺のバランス感覚は最低……う、うお。

 頭から落ちそうになるところを「ふんぬ」と体を捻り、何とか体勢を変え、れん。

 べちょっと肩から床に落ちた。頭をぶつけずに済んだからまあ良しとしよう。


「大事無いですか?」

「う、うん」


 口元に僅かな笑みを浮かべた聖女がカツカツと歩いてきて問う。

 この笑み。相変わらずだな。

 いつからだろう。彼女がこの笑みを顔を貼り付けるようになったのは。

 彼女が公宮に参じ始めたころは、よく笑い表情がコロコロ変わる少女だった。

 新しい聖女は先代と違って朗らかで暖かみに満ちた人になるんだなあ、と思っていたこともある。

 それがいつからだったのか、この笑みを浮かべ、神のため以外のことはしなくなった。

 超然と神の巫女として振る舞う彼女は、聖女らしい聖女と言えよう。

 それが良いか悪いかは別として。少なくとも聖女の在り方としては正しいのだろうな。


 こういう時、何て声をかければいいんだ。

 お日柄がよく、空から落ちるに良い日ですね。

 さすがにそれはない。

 え、ええと。

 じっと俺を見つめる聖女に向け口を開いて、また閉じるを二度繰り返してしまった。

 いかんな。縄無しバンジージャンプの影響で思考力が鈍っている。

 

「祈りを捧げていたのか?」

「はい。祈りはわたくしの役目ですから」

「役目……か」

「どうされたのです? ヨ……」


 彼女が俺の名を呼ぼうとして口をつぐむ。

 役目ときたか。

 やっぱり彼女にとって聖女という職務は大きな負担になっているんだな。

 「私」から「わたくし」に変え、聖女として相応しい自分を演じている。いや、そうじゃなきゃいけないとある種の強迫観念を抱いているのだと思う。

 人間は人間以外のものになんてなることはできない。

 神に仕え、神のために時間の全てを使うなんてことは、できるはずがないのだ。

 自分と異なる人格を、聖女だからと自我を押し込めていてはいつか綻びが生まれる。

 仕事の間だけならいい。でも、俺が得た情報によると、彼女は夜な夜な祈りを捧げることもあるという。

 寝ている時以外、ずっと他の誰かを演じているなど。

 迫りくる災害が、彼女により無理をさせてしまったのか。

 いや、俺の勘ぐりかもしれん。他の懸念を突っついてみよう。

 

「何か新たな神託が?」

「ヨ……公爵……ではありませんでしたね。今は何と」

「ヨシュアでいいよ。神の名の元には俺だってただのヨシュアだ」

「……あなたがローゼンハイムを去ってから、『流行り病』のお告げがありました」

 

 そう答えた聖女の指先が震えている。

 流行り病ならオジュロが克服したよな。まだ流行しているかもしれないけど、季節柄、この後バンコファンガスが脅威になることはあるまい。


「俺がローゼンハイムに戻ったら処罰とか、何かお触れが出ている?」

「そのようなことはありません。あったといたしましても、わたくしが何かすることはありません。世俗は世俗のことに」

「俺を追放刑にした時は、神託のよるべだから直接伝えたんだよな。神託に関わること以外は、政治的に関わらないだったっけ、確か」

「はい。神のものは神に。人のものは人に。神が人に何か告げる時は、わたくしが代弁いたします」


 ふむ。記憶が正しくてよかった。

 聖教のことを学びはしたけど、勉学に身が入らなくてな。

 身が入らなかったというよりは、他が押し寄せてきて座学の時間が取れなかった。

 うーん。聖女が聖女なら状況を知らず追放刑の中戻ってきた俺をかくまおうとして……なんてことはないと思ったけど、その通りだった。

 世俗は世俗に、か。

 しかし、聖女が公国のトップなんだよな。神のお告げ以外は政治的に何ら関わっていないはず。

 それはそれで、悪くはない選択かもしれない。

 

「あなたはどうして、そこまで自然体でいられるのです。理由はあれど、あなたをここから追い出したのはこのわたくしです」

「神託と予言からだろ? 別に誰がどうって話でもないさ。神様も公国北東部で発生した大災害を告げたのだろうけど、何故、ああいう文言にしたのか、俺も考えたんだ」

「神託と予言のことは耳に挟んだのですか?」

「うん。これだけ広まっていたら、誰だって知ることができる」

「そうですか」


 俺を追放した際は、俺が神託と予言の文言を知ってはいけなかった。

 自分では微塵も思っていないけど、世の中的に俺は不世出の賢者と呼ばれている。

 俺があの場で、「神託と予言の解釈はこうだ」なんて言い出してみろ。大混乱だぞ。

 もちろん、俺個人としては神託と予言の文言を告げられていたとしても、何も言わずに追放刑を受けたけどね。

 あの時の俺は浮かれていた。

 ち、ちくしょう。まさかこんなことになるとは。

 だけどな。ミスリードを誘ったのも神の意図があったんだと俺は思っている。

 北東部を犠牲にしてということは許しがたいがね。

 変に回りくどいことをするなら、北東部の住人を避難させるようにするなりして欲しかった。

 ……いや、アレが神託と予言の限界だったのかも。

 大災害は起きる。だけど、どのような大災害になるか、不確定要素が多数あったのかもしれない。

 神の見る未来など俺には予想できないので、全ては推測に推測。だからこそ俺は、「受け取り方」の問題だけを考えることにしたのだ。

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