第102話 閑話 ヨシュア追放後のルーデル公国 24日目その1

 ルーデル公国公都ローゼンハイム――。

 報告は迅速だった。

 ヨシュアの構築した報告網は、彼が不在となった後でも完全に機能している。

 彼の構築した報告網はとても単純な仕組みだったが、それ故、彼が不在となってからも以前と同じように動いていた。

 街で事件が起きると、巡回している衛兵に街の者から報告が入り、衛兵は詰め所にそれを報告する。

 各部の詰め所に入った情報は、その日のうちに中央へ伝達され大臣の元へ共有されることになっていた。

 その逆も然りである。

 

 聖女の神託「はやり病」が大臣に伝えられ、その日のうちに各詰め所へ情報共有が成された。

 翌日より、衛兵は「はやり病」に注視しつつ、巡回を行う。

 大臣も衛兵も市井の者に「はやり病」の事を漏らさぬようしていたが、誰しも内心戦々恐々としていた。

 というのは、「はやり病」の情報元は神託である。

 聖女の神託で告げられたとなると、街を覆い尽くすほどの深刻な事態になる可能性があったからだ。

 確実に「はやり病」に罹患する者は出てくる。

 だが、「はやり病」といっても軽い風邪のようなものから、幾人も命を落とす猛威を振るうものまで様々なのだ。

 神託は告げない。

 「はやり病」とは一体どんな病なのかと言う事を。

 神託とは、いつも曖昧なもので手が届きそうで届かない、そんな歯がゆさを伴う。

 それでも、神託で述べられた言葉は必ず近い将来に事実となる。

 

 病の報告はところかしこからあがっていた。

 どれが「はやり病」なのか見極めが肝要だ。

 衛兵を統括する騎士団長と経済を担当する大臣グラヌール、農業を担当する大臣バルデス、そしてヨシュア肝入りで新設された衛生を担当する大臣オジュロ伯の四人は、「はやり病」の神託以来、連日会談の場を設けていた。

 重々しい空気漂う中、騎士団長が口火を切る。

 

「病について報告いたします。孤児院で発生した奇病。激しい咳を伴う病、軽い風邪、腐り病、食中毒が発生」

「奇病が気になるところであるな。それ以外、報告にあがっている病について、まずはまとめておくとしよう」


 くるりと巻いた口髭を指先でピンと弾き書類から目を離さぬまま発言したのは、オジュロ伯だった。

 淡々と罹患者数を述べる彼は眉一つ動かさず、「事実」を述べている。

 その姿に傍らで彼を見守るグラヌールは内心辟易していた。彼が辟易しているのは、オジュロ伯ではない。

 毎日のように報告があがってくる罹患者の数に、だ。

 街でこれだけの人が病に苦しんでいますという数字を示され、鬱屈した気持ちになるのは自然なことだとはバルデスの言葉である。

 そうは言っても気持ちが晴れるものではない、とグラヌールは思う。

 彼を慰めたバルデスにしても、衛兵からの情報をまとめている騎士団長にしても、重苦しい雰囲気を伴っている。

 しかし、オジュロ伯は違う。

 彼は数字を数字としか捉えていない。

 衛生担当大臣は貴族の既得権益が及ばぬ新設部門。それでも、ヨシュアが据えたのはこの男――オジュロ伯爵であった。

 彼はグラヌールやバルデスのように貴族へと抜擢された者でないばかりか、法服貴族でさえない。

 公国南東部に領地を持つ封建領主なのである。

 封建領主は保守的な者が多数で、「新しいもの」を毛嫌いする傾向にあった。

 それ故、ヨシュアが次から次へと政治改革をしていくと、封建領主は離れていく。一方で法服貴族は離れたくとも、自分の領地がないので新体制に自己を合わせていくしかない。

 ヨシュアが「領民の健康を守り、一つでも多くの病を治療できるように専門の大臣を設けたい」と発言した時、グラヌールは感涙しもろ手をあげて主君に賛成した。

 しかし、主君が選んだ大臣には悪い意味で度肝を抜かれたものだ。

 よりによって封建貴族を選ぶなんて、と。それでも彼は新設された衛生担当大臣という役職に興味を持っていたことから、オジュロ伯について調べることにした。

 結果、伯がとんでもない人物だと分かる。

 彼はこれまで中央で文官の職についていた者ではなかった。それでも、自分の領地で辣腕を振るった者であれば中央へ召喚されることもある。

 気を取り直して、再度調べるグラヌール。

 しかし、調べれば調べるほど彼は首を傾けてしまう。

 オジュロ伯はこれまでずっと領地にいた。だが彼は領地経営を全て部下に任せ、自分は何ら政治に関与していなかったのだ。

 自分はまるで領地経営に興味がないと言わんかのように。事実、伯は有り余る時間と資金を使い書庫を充実させることに執着している有様だった。

 そんな人物を敬愛する主君が召喚しただなんて……我が主君は間違いを犯さぬ。きっとオジュロ伯を採用したことにも理由があるはず。

 だが、ヨシュアが追放されるまでに、オジュロ伯がこれといった成果をあげることは終ぞなかったのだ。

 

「オジュロ伯。失礼ながら、無知な我々にも説明して頂けませんか?」


 バルデスがグラヌールの言葉を代弁するかのように伯へ問いかける。

 伯は淡々と数字を述べるだけで、一人納得してしまうのだ。単に騎士団長が集めた数字を反芻するだけなら、無駄な時間だとグラヌールは思う。

 そうでないのなら、そうでないと説明すべきだ。

 それを伯は行わない。

 シビレを切らしたバルデスが、ついに口から言葉が出てしまったというのが問いかけの理由だろう。

 家格が遥か上の伯爵であるオジュロに対し、遠慮していたが、悠長なことを言っていては病に倒れるものが多数出てくるかもしれない。

 「はやり病」の件は、早急に対策を打てれば、それだけ苦しむ者も少なくなり、救われる命も増えるのだから。

 

「そうかね。興味があるのかね! そいつは良いことだ。うんうん。良いことだ」


 片眼鏡を光らせ初めて感情らしい感情を吐露するオジュロ伯に、バルデスとグラヌールの両名だけではなく騎士団長まで驚きで固まってしまう。

 そんな三人の様子をまるで察しようとしないオジュロ伯は、いつもの淡々とした様子ではなく、抑揚のある声で説明をはじめてしまったのだった。

 

「報告された四つ、「激しい咳を伴う病」「軽い風邪」「腐り病」「食中毒」のうち「腐り病」と「食中毒」は報告の必要はないのだよ」

「理由あってのことでしょうか?」

「もちろんだとも。食中毒は外部起因によって引き起こされるものであり、流行性の病ではない。腐った物を口にせず、食材に必ず熱を通すよう指導すればよいだけのこと。つまり、「はやり病」の定義から外れる」

「そうなのですね」


 半分くらい理解不能であったが、力強く断言するオジュロ伯に頷きを返すバルデスである。

 グラヌールとしても対応策が明確であるのなら、神託でわざわざ告げられるものではないと納得した。

 そう言えば、街にある飲食店に対し食中毒への対策のおふれが出ていた、とグラヌールは思い出す。

 もっとも、この分だと知らせを行ったのは伯の指示ではなく、伯から情報を得た彼の部下が行ったことなのだろうな。

 

「腐り病。これは、症状から察するに破傷風で間違いない」

「破傷風とは……? 聞いたことがありません」

「吾輩もまだまだ研究中なのだがね。ヨシュア様が教えてくださったのだよ。あの方は本当に素晴らしい! 私の知的好奇心、未知への探求心をこれほど刺激してくださるお人はあの方をおいて他にはいない!」

「そ、そうだったのですか」


 心情は違えど、オジュロ伯もまたヨシュアに心酔し、大臣となったのか。

 グラヌールは内心、ホッと胸を撫でおろす。

 オジュロ伯のことをまるで理解できないグラヌールだったが、理由は違えどヨシュアを敬愛する点においてのみだけであっても共通事項があったのだから。

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