第41話 悪夢の始まる時間は秘密!

 怪奇の館にそぐわないハーブと夏野菜のパスタを食べ終えた僕らが、リビングで食後の休息をとっていると、車いすに乗った家主とマーサが唐突に姿を現した。


「皆さん、重要なお話があります。奥様の具合がよろしくないため、今日と明日の二日間、麓の病院に行ってまいります。私と安藤は今日中に戻ってきますが、奥様がお留守の間、宿泊客の皆様はそれぞれのご予定に沿ったスケジュールで変わりなくお過ごしください」


 マーサは要件を淡々と告げると、車いすを押してリビングの外へと消えていった。


「さて、僕はちょっとイメージ固めに『離れ』に行ってくるよ。秋津先生が『魔女』さんから聞いた話が本当なら、屋敷周辺であそこが一番ドラマチックな場所のようだからね」


 弓彦はそう言うと、カメラを手にリビングを出ていった。


「私は部屋でひと眠りするわ。ラストシーンを書く前に、頭をすっきりさせなくちゃ」


 みづきが宿泊棟に引っ込むと、広いリビングは僕一人になった。小説を仕上げねばならないのは僕も同じだったが、正直、半分を過ぎたあたりで意欲が萎えてしまっていた。


 ――ちぇっ、残すはラストシーンだけなんて、どいつもこいつも裏切り者め。


 自分のふがいなさを棚に上げてぼやいているうちに、知らず睡魔が僕を襲っていた。

 

                ※


「――秋津先生、秋津先生」


 名前を呼ばれて目覚めると、険しい表情の百目鬼がすぐ傍に立っているのが見えた。いつの間にかリビングには照明が灯っており、日没が近いことをうかがわせた。


「すみません、つい居眠りしちゃったみたいで。……どうかしたんですか、百目鬼さん」


「さっき迷谷先生にお話をうかがおうと思ってお部屋を訪ねたんですが、一向に返事がないんです。神楽先生も戻ってこないし、いったいどうなってるんでしょうね、ここは」


「神楽先生が?……もう夕方ですよね」


 僕は時計の文字盤に目をやった。かれこれ姿を消してから四時間近い。『離れ』に行って戻ってくるだけなら滞在時間を含めてもせいぜい一、二時間と言うところだろう。


「確かに変ですね。……迷谷先生の方は、散歩に行ったとかじゃないんですか」


「さあ、僕が外から戻ってきたのが一時間ほど前ですが、屋敷の周りでは見ませんでした」


「……わかりました。もう一度部屋に行ってみましょう。僕も一緒に呼びかけてみます」


 僕らは宿泊棟に移動すると、階段で二階に上がった。僕はみづきの部屋の前に立つと、強めにドアをノックしながら「迷谷先生、いらっしゃいますか?」と呼びかけた。


 静寂の中、僕と百目鬼は困惑顔をつき合わせて反応を待った。だが、二度、三度とノックを繰り返しても、みづきが応じる気配はなかった。


「参ったな。合鍵で中に入ろうにも、マーサさんがいないんじゃあどうしようもない」


 僕が百目鬼に万事休すを伝えた、その時だった。奥の家主の部屋から物音が聞こえた。


「おかしいな。家主さんは確か麓の病院に行っているはずなのに」


 僕は戸惑いながらドアの前に移動すると、思い切って取っ手をつかんだ。


「開けますよ」


 まさか開くことはなかろう、そんな思いに反してドアはあっけないほど簡単に動いた。


「――まさか」


「あっ……」


 開け放たれたドアの向こうに見えたのは、ベッドにぐったりと横たわるみづきの姿だった。僕は室内に足を踏み入れると、ベッドの上のみづきに呼びかけた。


「迷谷さん、迷谷さん。……大丈夫ですか?」


 僕の呼びかけにうっすら目を開けたみづきは、低く呻くとゆっくりと身体を起こした。


「なにがあったんです」


「さっき、また『しかばね』が……」


「なんですって?顔は見ましたか?」


 僕が性急に質すと、みづきは頭を振って「そんな余裕、なかった……急に後ろから羽交い絞めにされて」と小さく漏らした。


「いったい、どうなってるんだこの屋敷は」


 僕がベッドから降りたみづきに肩を貸そうと腰をかがめた、その時だった。廊下の方から百目鬼の物と思われる叫び声が聞こえた。


「ごめん、ここにいてくれ」


 そう叫んで廊下に飛びだした僕の目に飛び込んできたのは、『しかばね』らしき人影ともみ合っている百目鬼の姿だった。


「百目鬼さん!」


 僕が叫ぶと、狼狽えたのか『しかばね』は百目鬼を突き飛ばすようにして階段の方に去っていった。僕は追いかけるのをあきらめ、廊下にへたりこんでいる百目鬼に駆け寄った。


「大丈夫ですか、百目鬼さん」


「ええ、一応……まさかこんなところで襲われるなんて」


「相手の顔を見ましたか?」


 僕が尋ねると百目鬼は一瞬、躊躇うような素振りを見せた後、おもむろに口を開いた。


「一瞬でしたし、気のせいかもしれませんが……目のあたりが神楽先生に似ていました」


「なんですって……」


 みるみる全身から力が抜け、僕は気づくと百目鬼の傍らに力なくしゃがみこんでいた。


 ――ついに神楽先生まで……もう悪ふざけはたくさんだ。明日の朝にでも、帰ろう。


 僕は百目鬼と共にふらつく足で、みづきを待たせたままの部屋へと戻っていった。

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