ミドリは危険!2 ミドリは黒幕?
五速 梁
第1話 終点の町は秘密!
――なんだ、全然、秘境じゃないじゃないか。
僕は出かかった呟きを飲み下すと、小奇麗な改札をくぐった。
ローカル線のどん詰まりだけあって、確かに駅舎は小さく人気もない。だが構内は綺麗だし、古びてもいなかった。僕は構内の様子を写真に収めると、メールに添付して秘境に行くと思いこんでいる妹に送信した。
――ちゃんと調べてものを言えよ。嘘つきめ。
僕は携帯をポケットに押し込むと、三十代くらいの女性駅員に声をかけた。
「すみません、この町でレンタカーを借りられそうなお店ってないですかね」
僕の問いかけに女子駅員は「レンタカー……ですか」と、虚をつかれたような表情を見せた。こりゃあ外れだな、そう思っていると案の定「ないですねえ」と素っ気ない言葉が返ってきた。僕は駅員に礼を述べ、出口のドアを開けて初めての町へと足を踏み出した。
一歩往来に出て振り返ると、切妻屋根の下に掲げられた『虹神村駅』というプレートが日差しをはじいて白く光っていた。僕は駅舎を写真に収めると、ぽつんと立っているバス停の時刻表をあらためた。
――二時間に一本か。ここらへんじゃやっぱり車が住民の足なんだな。
僕は時刻表から目を離すと、近くに人影がないか探し始めた。目的地に向かうのにバスが有効かどうか、土地勘のない僕には路線図を見たところでちんぷんかんぷんだからだ。
「あの、すみません」
僕は前方をゆっくり横切ってゆく人影に声をかけた。日傘を差した老婦人は僕に気づくと、見かけない顔だな、という風に小首を傾げた。
「このバスは月景山の方には行きますか」
僕が目的地の地名を口にすると、老婦人は黙って頭を振った。
「麓の集落までは行くけど、山道には入らないよ。上の方にはもう、誰も住んでいないからね」
そこまで言って老婦人はいったん言葉を切り、「待てよ」という顔になった。
「一世帯だけ山の中にいるけど、訪ねていく人は僅かだし、行くとしたら車しかないよ」
「……そうですか。ありがとうございます」
僕は老婦人に礼を述べると、ふうと大きく息を吐き出した。その車がないから困っているのに。ここへ僕を呼びつけた人たちは、どうやって来させるつもりでいたんだろうか。
僕はバス停から離れると、低層の建物がまばらに軒を連ねるメインストリートを当てもなく歩き始めた。
メインストリートは途中までパステルカラーの石畳が続いていたが、百メートルほど行くと突然、ひび割れたアスファルトに変わった。
それと同時に建物の数もまばらになり、僕は足を止めると遠くかすんでいる山並みに目をやった。どうやらこのまま進んで行っても、移動手段には行き当らないようだ。
――どうする?駅前に戻ってバスを待つか?
僕は交差点の手前にたたずむと、思案を始めた。仮に月景山のふもとまで行けたとしても、そこから目的地までは徒歩で行くしかない。僕の行き先は山の中にあるのだ。
僕は斜向かいに見える小さな郵便局を訪ねることにした。この先、町の情報が得られる場所があるとは限らないからだ。まったく往来のない交差点に、律儀に信号が変わるのを待って足を踏み出しかけた、その時だった。
「すみません、失礼ですが観光にこられた方ですか?」
ふいに背後で女性の声がした。僕はいったん出しかけた足を戻すと、後ろを振り返った。
「……そうですが、あなたは?」
僕の前に立っていたのは、トランクを携えた若い女性だった。ショートカットの似合う聡明そうな容貌から、二十代か三十歳前後のように思われた。
「あの、この町ってタクシー乗り場か、レンタカー屋さんのような物はあるんでしょうか」
女性は当惑したような口調で尋ねると、駅の方を振り返った。ははあ、ご同輩か。
「ないと思いますね。僕も駅で聞いたんですが、あるのは路線バスだけみたいです」
「そうですか……あの、月景山ってここから遠いんでしょうか。バスで行けますか?」
女性は意気消沈したそぶりを見せた後、おもむろにそう切り出した。なんと、この女性も僕と同様に山の方へ行くらしい。
「行くことは行きますが、聞いたところでは麓の集落で折り返すみたいですよ」
「麓で……あの、失礼ですが今日はどのあたりにお泊りのご予定ですか?」
女性はいきなり、不躾とも思える問いを放った。僕が面喰らいながら「山の中にある『宵闇亭』という古民家です」と答えると、女性の目が大きく見開かれ「まさか」という表情になった。
※
僕の名は秋津俊介、三十二歳。駆け出しの童話作家だ。
デビューしたのは一年半ほど前で、それ以前の職業は教師だ。
安定した職業を捨てて一念発起した僕が作家になれたのは、『えんぴつナイトの冒険』というフォト童話がたまたま書評で取り上げられたからだ。
ところが紆余曲折を経てやっと刊行した二作目『ひゃくえんせんそう』がさらに高い評価を得てしまったため、プレッシャーに弱い僕は三作目を書くことができなくなってしまった。あれこれ理屈をつけてどうにか待ってもらっているものの、このまま秋になったら確実に干されてしまうだろう。いわばこの数か月が、僕にとって人生の正念場なのだった。
今回、僕が編集者を待たせている身でこの『虹神村』を訪ねたのは次回作の構想を練るためではない。プレッシャーから逃れたい一心で、とある方面からの誘いにこれ幸いと便乗した結果――つまりは時間稼ぎの逃避行なのだった。
その誘いとは何か。児童文学の先輩にあたる神谷郷という作家が主宰する、田舎の古民家に新人を集めて合宿させ、コンペで選ばれた短編をドラマ化するという企画だった。
生来が引っ込み思案の僕にとって合宿は必ずしも気のりするものではなかったが、編集者から離れて田舎で思い切り息をしてみたいという欲求が出不精の僕を動かしたのだった。
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