可愛くて強い女の子は、可愛くて強い女の子が好き

@SO3H

第1話 君はそのままで可愛いのに

「10kg痩せたら、高橋先輩に告白する」

麻子の声には固い決意が滲んでいた。手に握ったチョコレートバーから目を逸らし、それを静かに幸香の机に置いた。くれるらしい。


幸香から見れば、麻子は少々顔と腹が丸いが、それはそれで可愛らしく、黒い髪の艶は羨ましいくらいだった。何より人の話をうんうんうなずいて傾聴する健気さは、高校で出会って2ヶ月程度の付き合いながら、麻子のことを好ましく思うに足る彼女の美点だった。


しかし麻子は高橋先輩とやらに好意を伝える為にはその体型を変える必要があると考えているようだ。

幸香にはその必要があるようには思えなかったのだが。

「さよか」

幸香は短くそう答えた。チョコレートバーの包みを、少し手こずりながら開ける。開け口が見つからない。不親切だ。


「幸ちゃん、バドミントン部でどんなトレーニングしてる?参考に教えてほしいの」

口をキュッと結んで、揃えた膝に拳を並べて、麻子は待てをする犬みたいに真剣に聞いた。いきなりそのメニューについていけるとも思えなかったが、気圧されて幸香は自分が毎日走っている距離と、トレーニングの方法を伝えた。麻子はいつものようにうんうんとうなずいた。




床に落ちたシャトルを器用にラケットで掬い集め、ポールやネットを倉庫に片付ける。これは幸香たち1年生の役割だった。雨音を聞きながらするするとネットを巻くように畳む。あれから1週間が経った。幸香が麻子にメニューを教えた翌日、梅雨入り宣言が出され、ここのところ毎日窓の外は暗い。


幸香は知らなかったが、高橋という2年生はサッカー部のエースらしい。麻子が言うには爽やかな目元と、少しビッグマウスなところも良いのだと。スポーツマンなんて、多少なりとも自分を信じられないとやっていけないだろう。幸香も同じだ。だからエースだという彼が少々気が大きいらしいのも納得は出来た。


この雨でなかなか外で練習が出来ないサッカー部が廊下でトレーニングをしているのを休憩中に見かけた。なるほど、顔は良いのかもしれない、と幸香はぼんやり思った。

なんとなく様子が気になって、部活前に麻子に送ったメッセージ。幸香が先輩たちに遅れて帰る準備を終えた時には、まだ返事がなかった。


幸香が家に帰り着く頃、携帯に通知があった。麻子からだろう。傘を閉じ、玄関ですぐに画面を確認する。


『ごめんね。ランニングと筋トレしてて気付かなかった』


『動いたらお腹空いちゃった(笑)』


『でも我慢(笑)』


『毎日これを続けてる幸ちゃんたちは凄いね』


幸香は深く深く溜息をつき、携帯を握りしめた。強く握りすぎてヒビが入るのではないかと自分でも心配になるくらいだ。

「……よぉ頑張っりょるんね」

力を抜き、独りごちた。長雨に濡れて咲く花が浮かんだ。頭を乱暴に掻いた拍子に、伸びかけの髪を結んでいたヘアゴムが床に落ちる。




梅雨が明け、もうすぐ夏休みが始まる。日差しが目に痛くなってきた。

体育館の使用は持ち回りで、使えない日は校舎の周りを走ったり、外のコートを使ったりして過ごすことになっている。準備運動どころか、立っているだけでも汗が首を流れるほどの暑さを、チームメイトと声をかけあって紛らわす。

外練習だと、ポールを片付ける手間がない分、帰り支度が短く済むことだけはありがたい、と幸香は思っていた。流れる汗を拭いつつ、顧問の前に集まり連絡事項を聞く。


解散の号令と同時に、幸香は目の端に、見覚えのある黒髪を捕らえた。

その足が向いた先に、サッカー部を認め、彼女の目的を悟った。麻子は1ヶ月半で随分と変わった。顔や首が細くなり、もともと身長が低いこともあってまるで小動物だ。腹回りも肉が落ちたのか、制服のスカートを必死で詰めていた。心なしか背筋も伸びたように見える。

幸香の胸に広がる苦い何かを、今の麻子に伝えられる訳もない。幸香は先輩達に肩を叩かれ、コートを後にした。明日素直に祝福できるかだけを気がかりに。




「おはよう!」

張り上げた声が響いた後、教室の空気が一瞬だけ固くなったのを感じた。伸びをしがてら入り口に顔を向けると、幸香も一拍遅れて目を丸くした。

麻子の黒い髪は肩に触れないほどに短くなり、雀の尻尾のように細いゴムでまとめられていた。幸香と同じように。

「アンタ、その頭」

「切った」

麻子は短くそう答えた。隣の席の幸香にはわかる程度に、その瞼は腫れぼったい。

「そっか……」

それ以上、幸香には何も言えなかった。


「高橋先輩にさ、笑われちゃった。キミあの狸型ロボットみたいな子でしょ?無理だよーって」

肩を竦め何気ないように麻子は言った。そもそもあれは狸ではなく猫なのにと笑っている。

「はぁ!?高橋ってそんな奴なの!?」

気づけば幸香はそれを遮り、声を荒げ立ち上がっていた。こんなに直向きな子を嗤うような男のために麻子の1ヶ月半(惚れた時から考えるともっとか?)が費やされたのかと思うとやるせなかった。麻子の良いところなんて知らない癖に。麻子は元から可愛いのに。それを変えた癖に。


幸香の煮えたぎる憎悪を他所に、麻子はそれ以上は語らず、代わりに先ほどより強く、高らかに宣言した。

「それより幸ちゃん、私もバド部入ることにしたから!」

「はぁ……え!?」

予鈴が鳴り、教室の人口密度も上がってきた。幸香の驚嘆はその喧騒に紛れた。

「せっかく痩せたのに、運動続けなきゃもったいないしね!今日春山先生に入部届出すから!これからよろしくね!」

「よろ、しく……」

麻子は、こんな台風のような子だったろうか。人の話を聞く方が得意な、凪のような子だと思っていた。そういえばダイエットを始めると言った時も押しは強かった。幸香は呆気に取られた。麻子の瞳はどこか輝きと自信に満ちている。


これからチームメイトになるクラスメイトのなんとも言えない表情に気づいたのか、麻子は眉を下げ、今更ながらに弁解した。

「どっちもどっちだよ。アタシも高橋先輩のこと、表面しかわかってなかったんだし。むしろここでわかって良かったよ」

何か言おうと開きかけた幸香の口を遮り、麻子は続ける。

「それにね」

ホームルームのために担任が入ってきた。慌ただしく椅子を引く音がいくつも響いた。


麻子はノートにさらさらと何か書きつけると、破って幸香に放った。担任がプリントを配る間の隙をついた完全犯罪だ。

『私、自分のことちょっと好きになれたの。鏡を見るのが嫌じゃない。先輩ってば見る目ないし、残念な人だなぁって思うくらい』

それは、言いかけた言葉の続きだった。幸香は、高橋に対して刺がある文面にほくそ笑む自分に気づいた。

『幸ちゃんがいっぱい応援してくれたお陰。ありがとう』

顔を上げると、歯を見せて笑う麻子がいた。出会った頃より日に焼け、細くしかし逞しくなった隣人。幸香は口元を押さえ俯くと、手紙の端に一言添えて投げ返した。

『とびきり可愛いよ、麻子』


まだまだ夏は暑くなる。顔が熱いのは太陽のせいにしておこう。

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