不倫に純愛も真実の愛もないから。


「隣町のスーパーで米が安いから買ってきて。あとトイレットペーパーも」


 …と、お母さんからのお使いの命令を受けた私は、荷物持ちの兄と共に大型スーパーで買物を済ませて店を出た。帰りは兄の運転する車でスイスイ帰宅である。


「あら、あなたって嗣臣君と一緒にいた子よね?」

「……あ」


 店を出てすぐそこにあるカート置き場前で、ある女性から声を掛けられた。相手も同じお店に買い物しに来ていたようだ。

 嗣臣さんの名前に反応したのは私だけでない。10キロの米の袋をふたつ抱えた兄もだ。兄はこの人の顔を知らないようで、不思議そうに私とその人の顔を見比べている。


「誰?」

「…嗣臣さんの義母」

「え。…知り合いなん?」

「まぁ…ちょっと」


 兄は嗣臣さんの友人だ。彼の家の事情は知っている。友達である嗣臣さんが悩んでいたのを知っていたので、印象はあまりよろしくないであろう。


「よその男の子と出歩いて…紬の言うとおりだわ。随分お盛んなのね」


 失礼な。

 何も聞かずに勝手に人を尻軽扱いしてきたおばさん。私の顔が自然と険しくなってしまうのは仕方がないことだろう。


「困るのよね、うちの子はもうすぐ受験生になるの。嗣臣君の交友関係一つでこっちにも被害が及ぶのよ」


 この間は駄目父の前だからか一歩下がった感じだったのに、今日はズバズバと行くじゃないですか。駄目父の前では気弱な女を演じているんですかね。


「単刀直入に言うわ。嗣臣君と別れてほしいの」


 その言葉に私は口を閉ざした。

 そもそも付き合ってません。なぜみんな誤解するのか。そしてこの人は何様のつもりなんだ。


「わからないかしら? あなたみたいな異性関係がみだらな子が嗣臣くんと一緒にいると、私達まで同じ目で見られるの。…紬も泣いているわ。大好きなお兄ちゃんが可哀想だって」


 娘を憐れむように悲しそうな顔をしているおばさん。しかし私にはそれが白々しく見えて、新たに疑問しか浮かばなかった。


「…? 長年不倫してた人のご家庭のイメージがこれ以上悪くなると思います? あなた自身の手で印象悪くなってるのに…」


 紬ちゃんは…なんというか大人たちに振り回されて災難だなとは思う。グレてないのが本当に奇跡だと思うよ。不倫容認派なのかな、彼女。お母さんのことだから悪くいえないとかそういうやつかな。


 私の言っていることが図星だったからか、おばさんはムッとした顔をしていた。

 私は間違ったことは言っていないぞ。

 不倫というのは結婚という制度への不法行為。誰かを傷つける行為なのだ。それを美化しているのかは知らんが、周りからしたら単純に不倫した人間ってイメージしかないんだよ。私でも知ってるぞ、そんなこと。


「私とあの人はそんなただれた関係じゃないわ。好きになった人がたまたま妻帯者だっただけ。出会い方が異なれば、彼は私を選んだと言っていたわ」

「いやいや美化しないでくださいよ。アンタたちの不倫劇場に振り回された嗣臣さんの気持ちもわからずになに抜かしてるんですか?」


 自分は違うとでも言いたいのかもしれんが、同じだぞ。不倫は不倫。不倫を経て再婚したってだけだからな。周りからしてみたら同じことである。

 嗣臣さんの実母も不倫してたから傷ついてないかもだけど、実子の嗣臣さんはダブルパンチも良いところなんだぞ。


「……おい」


 先程から隣で黙っていた兄が口を挟んできた。

 てっきり米が重いとか、早く帰りたいとか言ってくるのかなと思ったが、兄貴はしらけた表情でおばさんを見下ろしていた。


「さっきから黙って聞いてりゃ何だ。兄が妹と一緒に出歩いちゃいけないなんて法律でも出来たのか? それで尻軽扱いとはびっくりだなそりゃ」

「あ、兄?」


 イスラム教徒もびっくりだ、と鼻で笑う兄貴。

 私と一緒にいたのが実兄だと知ったおばさんは驚いた顔をしていた。ていうか普通、米袋担いでデートとかしないでしょ。普通に買い出しだと思わないか? 兄弟という可能性は考えないのか。


「どーも、嗣臣の親父の新しい奥さん。あげはの兄で、つぐのお友達の三森琥虎でーす☆」


 チャラチャラしたノリで自己紹介した兄は作り笑顔を浮かべていた。


「不倫してたんだからイメージも何もねーだろ。周りは何も言わないけど、腹の底ではあんたらのこと不倫婚だってケーベツしてんだろ」


 にこやかに笑う兄の口から飛び出てきた言葉におばさんはぴしりと固まっている。


「世界は自分たちだけとでも思ってんのか? 自分たちのことしか考えてねぇんだな。話には聞くけど本当に脳内お花畑なんだなあんた」


 兄の言葉に反論しようにも頭が真っ白になっているらしいおばさんは口をパクパクさせて固まっている。


「嗣臣はあんたらのこと嫌ってんだよ。そんくらい察してやったら?」


 彼女はカッと頬を赤らめると、踵を返して速歩きでどこかへと去っていった。今日は駄目親父もいないからあっさり引いたな……。


「…兄貴、面倒くさくなるからやめてよ」

「だって腹たつじゃんよ」


 女たらしで、沢山の女の子をとっかえひっかえしている兄にも説得力はないと思うんだが、私はそれを口には出さなかった。兄は私と嗣臣さんを庇って言ってくれたんだ。その気持ちを受け取っておこう。

 相手に伝わったかはさておき、撤退してくれたので助かった。こうも短期間に会うことになるとは…。兄貴がピシャリと言い返してくれたけど、なんっか…もやもやするなぁ。



「よし、嗣臣に会いに行くか。ついでに飯誘おうぜ」

「え?」


 なぜ急に?

 突然兄貴はそんな提案をして米袋を抱え直すと、駐車場に停めてある我が家の車にスタスタ歩いていく。後部座席に荷物を乗せると、運転席に乗り込んだ。


「家にいない可能性もあるよ? 用事があるかもよ」


 せめて連絡しようよと止めてはみたが、兄はカラカラ笑って「大丈夫だろ、居なかったらその時」と返してきた。


「あげはがかわいーく誘えば、用事ぶん投げてでも来るって」

「かわいくったって…」

「あいつ口開けばあげはがカワイイばかり言ってんぞ」


 嗣臣さん…! 実兄にそんな話しないでくださいよ…話すこと他にないのか。急に頭が悪くなったみたいになってんじゃないか。

 兄から聞かされた話が恥ずかしくて顔があげられなくなってしまった。


 ピーンポーン

「つーぐおーみくーん、あーそびーましょー」


 アポ無しで来ても家にいるとは限らんよね、と思っていたけど、嗣臣さんは家に居た。インターホンに出ないで、そのまま玄関の扉を開けて出迎えてくれたのだ。


「…琥虎とあげはちゃん? なに、ふたりしてどうしたの」


 私と兄の組み合わせにキョトンとしている嗣臣さんは部屋着でお寛ぎ中だったみたいである。そんな格好でもイケメンなんて、イケメンはずるい。

 開けられた扉から少しお部屋の中が覗けた。ここが嗣臣さんの部屋。兄貴はここへよく遊びに行ってるのかな。


「あげはが嗣臣に会いたーいって駄々こねたから連れてきた」

「はぁ!? 言ってないよそんなこと! 兄貴が会いに行くって言ったんでしょうが!」


 なに人のせいにしてるの!? 私そんなこと一言も言ってないよ!


「嬉しいな、俺もあげはちゃんに会いたかったよ」

「だからちがっ」

「ちがうの?」


 黒曜石の瞳に見つめられ、私は黙り込んでしまった。違わないけど、なんか肯定してしまったら恥ずかしいし…

 私は恥ずかしくなって目をそらすと、自分の髪の毛を指でくるくるして気分を落ち着けた。


「これから飯食いに来いよ。どうせ暇だろ?」

「別に暇ってわけじゃないけど…課題も行き詰まってたから気分転換にお邪魔しようかな。着替えてくるから待ってて」


 そう言って奥に戻っていった嗣臣さん。私は部屋の中が気になって軽く覗き込んだ。ワンルームみたいだ。単身者専用マンションだろうか。兄の部屋よりは片付いているけど、すごいキッチリしてるわけじゃない。…全体的に落ち着いた色で統一されていて男の人の部屋って感じ…


「あげはが嗣臣の着替え覗こうとしてる。やーらしか」

「してないよ!」


 兄の言葉にハッとした私は慌てて顔を引っ込めた。いかんいかん、よく考えたら部屋を覗くのもよろしくないな。


「あげはちゃんなら見てもいいよ。その代わり責任とってね?」


 嗣臣さんのからかうような声がここまで飛んできた。


「見ませんよ!」


 私が否定すると、あっちで嗣臣さんが笑ってる気配がした。この野郎ども、人をからかって遊びやがって…

 なんか妙にこの間からこの兄は私と嗣臣さんをくっつけようとするな……。ニヤニヤしながら見下ろしてくる兄の顔を見ていると、ただ単に面白がられているだけのような気がしてきた。

 

 私のことよりも、まずは自分の身の回り(女関係)をどうにかしたほうがいいと思うぞ、兄貴よ。

 

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る