復讐と恋愛においては、女は男よりも野蛮である。【1】
真っ暗な道に外灯の明かりが照らされ、2人分の影が地面に映る。
頭1個分くらい身長の違う兄と肩を並べて歩いていた私は、ぼそっととあることをつぶやいてみた。
「『面白い女だな…よし、お前俺の女になれよ…』とか言って変な女に夢中になりそうだよね、兄貴って」
「あげは、変な本でも読んだのか? 兄ちゃんはそんな惚れっぽくないぞ」
クラスメイトの綿貫さんが読んでいたWeb小説にそんな話があったんだ。暴走族のチームに気に入られた姫がみんなに溺愛されてどうのって恋愛小説だった。
その暴走族のリーダーが女好きの喧嘩好き男だったので、ふと我が兄を思い出したのだ。兄はいろんな女性と浮名を流してきたが、そこへ規格外の女性が現れたらクラッとしてしまうんじゃないかなと思ったんだよ。
「それよりお前嗣臣と仲直りしたんだろ? 付き合うのか」
「……それは……」
どストレートな質問に私は口ごもってしまった。
去年のクリスマスに仲直りしてからは再びうちへ足を運ぶようになった嗣臣さんだが、以前と変わらないような雰囲気で接してくる。彼から付き合おうと言われたわけではないし、返事も求められていない。
付き合うのかと言われたらすごく返事に困るな……
「待たせるのはいいけど、待たせ過ぎは良くないぞ」
「兄貴にだけは言われたくない」
ジト目で見上げると、兄貴は肩を竦めてとぼけた顔をしていた。ぶん殴りたい、その顔。
だいたい、嗣臣さんは受験生としてやっと本腰入れて毎日勉強してるみたいなのに兄貴は何なんだ。同じ受験生なのか? 全く…進学先が違うからってこうも違うのか……
【ピロピロピロン、ピロリロリン♪】
自動ドアが開かれると、コンビニ特有のチャイムが鳴った。そう、私と兄はコンビニへお買い物に来ていた。
別に仲良しとかそんなんじゃないよ。豆腐と冷凍うどん、それと卵を買いに来ただけ。お使い頼まれたけど、夜道に女ひとりじゃ危ないからとお母さんが兄貴についていけと命じたんだ。
なら行くのは兄貴1人でいいじゃんって話だけど、兄はひとりでお使いコンプリートできるか信用されていないらしい。
「あ、それと肉まん一個」
「ちょっと…」
「はんぶんこすれば夕飯に響かねぇって」
そうじゃない。お使いじゃないものを買ったらお母さんに怒られるだろうが。しかも家では腹をすかせたタダ飯喰らい共がお茶碗持ってお腹を鳴らせているというのに……
もうすでにコンビニの店員さんは肉まんを袋に詰める作業をしている。…仕方ない。
外に出ると早速肉まんを袋から取り出した兄貴は、それを半分に割って片方私に差し出してきた。湯気が上がっていて、見るからに熱そうだ。
「うんま」
ほふほふと口の中で冷ましながら肉まんを頬張る兄貴。…この人は本当なんにも考えてなさそうだな……思わずため息が出てしまう。
私は諦めて共犯の道へ進んだ。
…うん、肉まん美味しい。
「──琥虎! ……誰? その女……!」
至福の時間の終わりを告げたのは、女性の悲痛な叫びであった。
私は口に入れた肉まんをむぐむぐと咀嚼しながら、突然現れた女性を見下ろした。ギャル系風の女の子だ。恐らく、同じ高校生くらい。
…なんだけど、化粧とか洋服が着慣れていないと言うか少しばかり浮いている。……最近ギャルデビューした子かな?
隣で兄が「あー…お前か」とぼやいている。また女の後始末せずに放置していたのか。
「電話にも出ない、メッセージは未読で……新しい女見つけたってわけ!?」
「……あのなぁ、なんか色々勘違いしてるみてぇだけど、俺とお前、付き合ってねぇぞ?」
その言葉に女性は目を大きく見張っていた。
じゃあどういう流れで男女関係に陥ったのかと問いたくなるが、兄の生々しい異性関係とか聞きたくない。なぜなら、ますます私の淑女への道が遠ざかりそうだからだ。
「なんでっ…なんでそんなひどいこと言うの!」
兄のせいで女性は泣き出してしまった。私はこんな修羅場を見たのは初めてではない。それほど我が兄は下半身がゆるゆるなのだ。
何故兄がこんなにもモテるのかが不思議でならん。私はシラけた目を兄に送ってあげた。
「なんだよあげは、そんな目でみるなよ。俺は初めに言ったんだぞ? 遊ぼう? って」
「……」
「やだ、そんな目で見ないで!」
路端に広がった誰かの吐瀉物を目撃したかのような視線を送ってあげると、兄が嘆き悲しんでいた。泣きたいのはこっちである。
駄目だこいつ、早くなんとかしないと。
とりあえず斜め45度の角度から叩いておけば直るだろうか?
「…なんなのよ…私のこと可愛いって言ってたじゃない! 私がコンプレックスに感じてるところ全部好きだって、可愛いって言ったくせに!! 結局は天然の美人が好みってわけ……!?」
私と兄のやり取りをどう解釈したのか、泣き顔の彼女は嫉妬の形相でこちらを睨みつけてきた。
マジかこの兄。そりゃそんな事言ったら心惹かれるに違いないじゃない。性衝動で早く事を行いたいが故に口走ったとか言うなよ。
「あ、あの…落ち着いて? 全面的にこの男が悪いのは察していますので……」
興奮状態に陥った彼女を落ち着かせようと私が彼女の肩を叩こうとしたその時だ。
ガリッと音を立てて肌を引っ掻かれた。手の甲に走る熱に反応した私はぱっと手を振り払った。
「触らないでよ! なによ、弄ばれた私を哀れんでいるつもりなの!?」
まさか、とんでもない。
このバカ兄貴の妹として申し訳なくとは思っています。
「腹の中では笑ってるんでしょう! 憧れの人にようやく相手にしてもらえたと思ったら、ただの遊びだったって…こんなのってない……私が何したっていうの!」
わぁっと堰を切ったように泣き出してしまった。兄貴…遊び相手にしちゃいけないタイプを相手にしちゃったんでないの……
それと……考えたくないが、とんでもない誤解をされている気がする。
「…あげはちゃんは琥虎の妹だよ。血の繋がった実の妹。彼女じゃない」
冷静なその声に反応したのは私だけではなかった。
「えっ…妹さん…!?」
外灯しかないのでよくわからないが、恐らく化粧がぐちゃぐちゃになっているだろう彼女はぱっと顔を上げて私をまじまじと見つめてきた。
「…三森あげは、このクズの妹です」
「あげは、兄ちゃんはクズじゃないよ!?」
「クズ以外の何物でもないわ!」
隣で棒立ちしている兄の腹に思いっきりエルボーを食らわせておく。肘がいい所に入ったみたいで、兄が「グッファア…!」と呻く声がした。
彼女は泣くのを止めて、私と兄を交互に見比べていた。動揺が隠せていないようで、言葉が出てこないみたいだ。
「琥虎、自分で土下座でも何でもして謝罪しなよ。お前は遊び方が下手なんだよ」
「うぅ…」
お腹を抑えてうずくまる兄を、どうしようもないバカを見るかのような視線で見下ろした嗣臣さん。
「俺はあげはちゃんと先に帰ってるから。じゃあな」
兄の返事は必要としていないらしい。
嗣臣さんは自然な動作で私の背中に腕を回すと、兄を放置したまま歩き始めた。
兄たちのことが気にならないのかと聞かれたら気になるが、私はお使い途中だったので、おとなしく帰宅することにした。
「今日は遅かったんですね」
進学校の制服姿の嗣臣さんはいつもよりうちに来るのが遅かった。大学受験の対策のために朝から晩まで学校で勉強漬けらしい。
「学校で色々とごたついてね。試験本番までもう少しだから、今が正念場なんだ」
「その割には余裕ですよね」
いつも付けている伊達メガネを外して、制服の胸ポケットに入れた嗣臣さんは「そんなことないよ」と謙遜していたが、この人の場合そんなことがあるからな……グレながらもトップクラス維持してるんだ。勉強の仕方が上手なんだろうなって思うよ…
「今日は鍋か何か?」
コンビニで購入したものを持ってくれると言うので預けると、その中身を見た嗣臣さんが今晩のご飯を推理した。
「豚のすき焼きですよ」
「美味しそう。楽しみだな」
大型スーパーで特売の豚の細切れ肉特大パックを購入したから、それですき焼きってことになったけど、実際に食べようとしたら卵がない。豆腐も足りないかもって話になってお使いを頼まれたというわけである。うどんはシメに食べるの。
「そうだ、大丈夫だった? 手を振り払われていたでしょう」
「彼女も冷静じゃなかったんで仕方ないですよ。全面的に兄が悪いですし」
今も手の甲はヒリヒリしているが、こればっかりは彼女を責められない。わざとじゃなくてたまたま爪が当たっただけのようだし。
辺りが暗いから患部がどうなっているかわからないが、触った感じ一部ミミズ腫れしてるみたいだ。
しかし……彼女は兄のどこが好きなんだ? 顔はいいかもしれない、187cmの高身長でもある。だけどお世辞にも頭がいいというわけでもない、ヤンキーである。喧嘩好きのバイク馬鹿なんだよ? 女好きであちこち遊び回ってる男のどこがいいんだか……
どっちかといえば、隣にいる嗣臣さんのほうが将来安泰というか……顔いいし、身長高い方だし、強引な部分はあるけど基本優しいし、頭良くて将来有望だと思う。それに一途だ。…隠れヤンキーなのは置いておいての話だけどさ。
私が見上げていることに気づいた嗣臣さんは「ん?」と優しく微笑んで首を傾げた。
それを直視してると、なんだか恥ずかしくなってしまった私は目をサッとそらした。
「…うちに帰ったら消毒しようね」
嗣臣さんの言葉が斜め上から降り掛かってきた。
だけど消毒するほどの怪我じゃないと思うのだが…と自分の手の甲を見ていると、横から手が伸びてきた。制服の袖から腕時計が覗く。私よりも大きく骨ばった男の手だ。
「これは応急処置」
そう言って彼は私の手の甲にチュッとキスを落としてきた。
「──!?」
「勉強ばかりして疲れたから、あげはちゃん補給しなきゃ」
なんだよ、それ。ただのセクハラじゃないか。
彼が握る手は優しい。だから嫌なら簡単に振りほどける。なのに私はそれができなかった。
嗣臣さんの柔らかい唇が皮膚をなぞる。
怪我をしているからか、いつもよりも感触がはっきり伝わってくるようだ。
「つ、嗣臣さん、血液はばっちいので止めたほうがいいですよ……」
「あげはちゃんに汚いところなんてないよ」
「そ、そういう意味じゃなくてですね……」
何を言っているんだこの男は。
受験勉強のし過ぎで頭がおかしくなってるんじゃないか?
患部は手の甲だけなのに、手のひらにもチュッとキスをしてくる。はぁっと白く変わった息が生暖かく手のひらに伝わってくる。
彼の唇がゆっくり離れると、熱く感じていたはずの部位が急に冷たく冷えた気がした。
私を見下ろす嗣臣さん。私は彼の瞳にとらわれて動けなくなった。黒曜石のような瞳に吸い込まれてしまいそうだった。
「…あげはちゃんが可愛すぎて、なんだかキスしてきたくなったんだけど、してもいい?」
「だっダメです!」
「ダメかー…」
ほんっとに何を言っているんだ!
戯けたことを言う嗣臣さんの手を振りほどいた私は、彼に持ってもらったコンビニの袋を強奪すると、速歩きで先を歩く。
「あげはちゃん、待ってよ」
「……」
後を小走りで追いかけてきた嗣臣さんはごめんと言いながらもあまり反省していないようであった。
「可愛い顔していたからつい、ね。悪気はなかったんだよ」
よくもまぁヌケヌケと…!
私のことをからかって楽しんでいるんじゃないのか!
外はこんなにも寒いのに、コートの下の体はカッカと熱い。
この間から私は変だ。
妙に調子を狂わされるんだ、彼によって。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。