第23話 奇人と数字と人間工学

「初めまして、大徳寺より派遣された、無月と申します」

綺麗に剃られた頭が眼の下にまぶしい。まだ14歳程度の子供が京都から豊後まで尋ねてきた。


「これはまた若い方が来られましたな」

 と万寿寺(大分市で一番栄えた寺)の坊さんが驚いている。

 都から僧侶が来る。ということで出迎えに参加したのだ。

 まあ才能に年齢は関係ない。ガロアという天才数学社は十九歳の若さで新しい数学を発見したし、プログラマーのような新技術を取り込む職だと30歳くらいがピークと言われている。

 逆に若い人なら現代社会の知識も抵抗無く吸収できるかもしれない。技術の一部をおぼえてもらって学校の先生にでもなってもらおうか?

 そんな事を考えながら、親睦を深めようと屋敷に招き入れようとした途端に


「私は一族から変わり者と呼ばれております。今回も豊後という当主が殺害されるような危険な辺境で死んでも問題ない者として派遣されました」と言い出した。


「これ!何を言い出すのか!」

 万寿寺の坊さんが慌てて咎める。

 坊主さんを招いた一色の娘さんはもちろん、ほかの家臣たちも固まるのが分かる。


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「なんて失礼な方なのでしょう!」

 と歓迎の宴の席の裏で一色の娘さんが怒る。

 自分が呼んだのに面目を潰されたというのもあるのだろう。

 おまけに、酒を勧めても「飲めない」と断るし、話も大して弾まない。

 無月さんは社交性をどこかに放り投げてきたような人間だった。

「何様だ」と怒ったとしても仕方ないのかもしれない。だが

「いや、あれは大当たりかもしれないぞ」

 と俺は判断した。

 僧というのは『口がうまくて相手の望む答えを与えて尊敬を勝ち取る占い師』というか、高い空気を読むスキルを持った人間の方が偉いと思われるふしがある職業だ。

 俺としては、頭が柔らかくて小学校の先生みたいに未来知識を分かりやすく説明してくれるような人間が来れば、これから始めようとしている改革が進むなぁと思っていた。

 だが、目の前でぶすっと黙っている奇人は、それ以上の存在になりそうな気がした。

「あの社交性が欠けた、漬け物石のような方がですか?」と一色さんは言う。

 容赦ない評価だな。まあ、わかるけど。

「まあ、人と言うのはある程度つきあってみないと内面まではわからないものさ」と言って様子を見るように説得した。

 俺の口調があまりにも自信たっぷりだったためか「あの方が誰かご存じなんですか?」とさねえもんから聞かれた。

「いいや、ぜんぜん」

「だったらなぜ?」

「似てるからさ」

「似てる?」

 社交性を放り投げて得意な分野にスキルを全振りしたような人を俺は知っていた。

「人付き合いは悪いし酒も飲まないけど『この人でないと難しい左官仕事は無理』と言われた職人さんと似ているんだ。あの人」と俺は言った。


 翌日


「科学様がお告げで教えてくれた事を説明しよう」と書きためたメモ帳を広げる。

「これは…」

 そこにはアラビア数字を少し改良したものと、練習問題が書かれていた。

「これはな、科学様が考案された新しい梵字で一~九までの…」

「これはもしかして、数ですか?一筆で書けるように記号化した」


 説明する前に、言い当てた。


「え?なんで分かるんですか…」

 と、さねえもんが後ろで驚愕していた。


 アラビア数字というのは日本にはまだ入っていない。

 というか明治時代まで日本では漢数字しか使われていなかったのである。

 しかも無月さんに見せたのは、半分俺のオリジナルである。



 話をすこしさかのぼる。

 無月さんが来る前の話だ。

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「さねえもん、ちょっとこれを見てくれるか?」

「なんですか、この暗号みたいな数字は?」


 俺がこの時代に来て不便だと思う物はいくつもある。

 ネットがないのは諦めたが、断熱材のない壁に、塩素消毒されてない水、スーパーに該当する店の不在、街頭の不在など多岐にわたる。


 その中でも一番不便なのはアラビア数字がないことだ。


 たとえば、数を計算したとしよう。


 1245+345=?


 こう書けば暗算もできるが、戦国日本で一般的に使われている計算式だと


 千二百四十五+三百四十五=?


 となる。漢数字だと分かりにくい。

 これはひとえに桁合わせができていないからだ。

 10は十、100は百。

 一目見てどれだけの量があるのかわからない。これでは食料の在庫を数えたり兵士の人数を集計するのに日が暮れてしまう。

 なので、まずは計算の基礎となるアラビア数字を「新しい梵字」と設定することでで普及させようと思ったのだ。


 なのだが、誰もアラビア数字を知らない世界である。せっかくだから俺は微妙に形を変える事にしようと思ったのだ。

「何かを決めるとき基礎をしっかり作っておかないと全部が台無しになるからな」

 と基礎工事の失敗で学校工事の事例を思い出していた。3億円以上の損害が出て会社が潰れた事例として、今でも大分の建築業界では語り継がれている。

 本当に基礎は大事なのである。


「たとえば、3は急いで書くと2と間違えやすいから△にする」

 記号として見やすいし書くのは楽だ。

「あと、7は上の部分が短いと1と区別が付かないので「C」の左右反対にした形にしようと思うんだ」

 これなら下がJのように跳ねていれば7だとわかる。

「なるほど、殿のメモだと区別が付かない時が多かったですからね」さねえもんが言うが聞こえない振りをする。

「次に8も急いで書くと5と混同する時があるよな」

「ええ、殿の悪筆で何度も泣かされました」

 実感のこもった同意をするが聞こえない。

「なので、漢字の八の末広がりという形を生かして「へ」の字の上に丸を書く形にしようと思う」

 ℓ(リットル)の丸を小さくした感じだ。

「ふつうに漢字の「八」ではだめなのですか?」

「それだと11に見える場合もあるし、数字は1画、一筆で書けるべきなんだ」

 2画にすると0.01秒くらい書く時間が無駄になる気がする。

 一億人が使えばそれだけで百万秒の無駄となる。

 インターネットを作った人はURL『HTTP//』の『/』は一本でも良かった。自分が2本にしたせいで余計な手間を増やしてしまったと嘆いたという。

 この「やらなくても良い余計な行動やミスを誘発する要素をいかにして取り除くか?」を考える事を人間工学という。

 工事現場でも通行にじゃまな物を避けようとして一人一秒時間を無駄にすれば、それは現場全体で1時間の無駄に蓄積する場合がある。足元に注意しなくてはならず疲労が蓄積するかもしれない。

 そうならないようにスムーズに移動できるように通路を整備するのも人間工学の一部だ。


「4は9と区別するために上下逆にする。こうすれば6とは筆順が逆になるし、9と混同することはない」

「でも4を逆にすると5とすごく似た字になってしまいますよ?」

 そこが問題なんだよなぁ

 5を左右逆にすると2と間違うだろう。そうでなくても5はSと似ているのだ。五角形だと0と似るし。

 結局10の半分で区切りとなる数字としてLの左右を反対にするものにしてみた。だが、これ3と区別が付きにくくなるのでまだまだ改良の余地があるな。


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 このような試行錯誤で作った俺式アラビア数字を無月さんに見せてみたのである。


 その効果は絶大だった。

 食べるんじゃないか?と思うほどの勢いで我々自作の数学問題集にかぶりつく。


「なるほど!記号化した数字を使う事で効率よく計算できるように科学様はこの世界を啓蒙しようとされているのですね!これは…これは素晴らしいお教えです!!!」


 今までの仏頂面は吹き飛び、おもちゃを与えられた子供…というかボールを追いかけ回す犬のようなはしゃぎっぷりだった。

 特に「この0という記号は素晴らしいですね!これなら何もない桁を間違わずに記録できます!」と言われた。

「無月様、その丸はさように素晴らしいものなのですか?」

 一色さんがあまりの豹変ぶりに驚きながら尋ねると

「ええ!都では「空」と記述しておりました!唐国の算術書(九章算術)の教え通りに!それが…それがですよ!こうして百や千などの文字の代わりに記号で置き換えることで、どの桁に数字が存在しないのか一目で分かります!!!これは鉄砲などよりも大衆が助かる便利で偉大なる発見ですよ!あああああ、素晴らしい!素晴らしい!このようなありがたい教えをいただけるとは」と早口でまくし立てる。

 正直かなり引く。


 このころの日本では「1059」を「一 五九」と空白にすることで千や百を使わずに筆算できるように工夫していた人もいたという。 

 だが、この空白部分が何もないのか書き忘れただけなのかが分からなくなり、難儀しており、何もない所に「空」という記号を使う事までは思いつかなかったという。

 小学校で0を教えられた俺たちにとって、それは奇妙に感じるが、このころの算数は中国の算数書を持つ人間だけが独占する門外不出の秘密な技術だったらしい。

 なので都でも一部の人間が突出した数学の知識を持っていても、全体のレベルは低いのでそこまで発達しなかったという。

 つまり、高校数学までできれば戦国時代だと大学者にだってなれるのである(学者の家に生まれる事ができれば)

 数学の本で「0」がどれだけ偉大な考え方かを説明していたが、無月さんを見ているとすごくよく分かる。

「なるほど!1より少ない数を記述する場合は頭に0を置いて、このように書けば良いのですか!ああ、なんて分かりやすい!!」

 少数以下は割分厘で計算しているもんなぁ。この時代。

 75.3%なんて七割五分三厘なんて書くんだよ。

 むしろあれで計算できていた方がすごいと思う。


 みれば、説明もしていないのに無月さんは練習問題を解き始め、小数点や分数の概念も勝手におぼえていった。

 スポンジのように吸収する。

 という表現があるが、彼の場合、ダムの水が決壊したかのように才能が開花したという方が表現的に正しい気がする。

「………合ってます」

 無月さんの書いた答えを確認したさねえもんが言う。

 回答も漢数字ではなくアラビア数字で書かれていた。

 つまり初見でアラビア数字もどきを理解して自由自在に使いこなしたというわけである。ナイス化け物。君、もしかして未来から来てない?


「「採用!!!」」


 俺とさねえもんは、自然にそう叫んでいた。

 これだけの才能、余所にやってたまるものか。

 その日から、無月さんは科学教の筆頭顧問ということで豊後に20年ほど留まってもらうことにした。

「ありがとう!アンタ最高の奥さんだよ!」

 と、今までのやりとりをポカンと見つめていた一色さんの肩を掴んで礼を言った。

「へ?え…ええと、どういたしまして?」

 豊後の発展に多大なる貢献をもたらすSSR坊主を引き当てた豊後の王妃は、よくわからないながらも、そういった。


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 ガチの天才ってきっかけがあればものすごい一芸で才能を発揮することがあります。ただ、思考がぶっ飛びすぎてて一般の人と会話が成立するのは難しいので、天才を生かす土壌がなければ不遇のまま人生を終わる事もあるなあと「栄光無き天才たち」というマンガを読むたびに思います。

 なお、筆者は字が汚いので数字の見分けがつかないのを防止するため、独自数字を使うときがあります


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 おまけ そのころの入田さん2



「おええええええ…………ううう…死ぬ…気持ち悪い…」

 沖合の緩やかな波と違い、激しく揺れる船で入田は生まれて初めての船酔いを体験していた。

 地震でもここまで揺れたことはないと思うほどの衝撃で何度も背中や肩を船にぶつけていた。


 ここは琉球の種子島付近。


 日本で初めて鉄砲が伝来した土地である。

 大分とはかなり離れた土地なのだが、大友家と種子島家は書状でやりとりをしていたのだ。

 おそらく薩摩の島津氏よりも大友家の方が勢力が大きく、都への中継点として貿易の便宜を図るため交流があったと思われる。大友家は実際に訪れはしなかったが、ある意味従属国のような関係であり外用へ乗り出すにはちょうど良い中継点だったのである。

 1557年頃に宗麟は最新式の南蛮鉄砲を室町将軍に献上して『格別に喜ばれ』ている。


「旦那ー。この程度で酔っぱらってどうするんですかー?」

 うんざりしたように船頭が言う。


 こっちは50年山で育ったのだから無理言うな。


 そう豊後の元家老は言いたかったが頭がグラグラしてうまく反論できない。

 海にもてあそばれる入田の脳裏に浮かぶのは豊後で分かれた元主君の大友五郎義鎮の姿だった。

「タイってところにソ.・ントー鉱山って鉛の鉱山があるから、お土産に鉛を持って帰ってねー」と旅行みやげでも頼むような気軽さで命じられたので、大した事のない旅だと思っていた自分を呪いたくなった。

 虫をも殺せないような顔をしてとんでもない鬼畜である。

 猫がネズミをいたぶるようにごろごろと大海原の波で転がされながら『帰国したら義鎮の顔面の一発でもぶんなぐってやる』その思いだけが入田を支えていた。


「…ちなみに……船頭どの……タイ…とはあと何日かかるのかのう?」

 入田は期待を込めて聞いた。

 ここまでひどい目にあったのだから、あと数日で到着するだろう。

 そう思っていたら、

「知らねーよ。俺行ったことねーもん。ただ、今までよりもずっとずーっと先ってのは聞いたことがあるぜ」


「うそーん」

 入田の支えはポッキリ折れた。


 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 ※大分>種子島が約450km、種子島>タイのバンコクが3500kmほどでした。

 東南アジアへは晩秋・初冬の季節風を利用しないと難しいので半年ほど風を待たないといけないかもしれませんね。頑張れ入田さん。

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