第19話 終わり

 寛は土手の下で目を覚ました。

 真っ暗な空に向かって、仰向けに倒れている。

 目には涙が溢れていた。

 何が起こっているのかも理解らなかったが、即座に立ち上がり、歩き出した。

 しばらく回らぬ頭のまま、それでも内側から溢れてくる焦燥感に駆られて歩いていると、インドカレー屋の前で、インド人の店主と思しき人がホームレスと思しき人にナンの入った袋を渡しているのを見かけた。

 それを見て、寛は理由は頭に思いつかずとも、走り出した。

 出せる限りの力で走った。歩こうとする足を無理矢理、意識的に引き上げて走った。

 一時間以上もそうして、苦しくて、脇腹の痛みも無視して、呼吸をするために馬鹿みたいに口を開けて、それでも走った。

 ツキミの家が見えてきた。

 他の家々の灯りは真っ暗で、ツキミの家もツキミの部屋以外は真っ暗だった。

 ツキミの部屋からは、カーテン越しに薄らぼんやりと淡い光が漏れている。

 何時かは理解らない。時間の感覚がおかしかった。まるで時間の迷宮に迷い込んだかのように体内時計が混乱していた。

 また、そんなことはどうでも良かった。

 ただ一つのことだけ、言葉にするのももどかしい想いだけが、願いだけが寛の体を突き動かしていた。

 だから、ただただ愚直にツキミの部屋を目指して、塀をよじ登り、屋根に飛びついた。

 胸を強打する。一瞬遅れてアゴも打った。

 しかし、なんとか腕だけは屋根の上に残した。

 ここに着くまでに全力で走ってきたから、既に筋肉は悲鳴を上げている。

 それでも歯を食いしばり、息を止め、無理矢理体を屋根の上に引き上げる。

 頭の片隅で自動的にこんなところを見られたら警察に通報されるだとか、振られた女の家に深夜、屋根をよじ登り忍び込もうとしているだなんてヤバイ奴だな、などと言う声が響いたが、心底どうでも良かった。

 そんなことよりも、何よりも優先させることがあるのだ。

 使ったことのない筋肉を使ったからか、首筋に攣ったような痛みが走った。しかし、なんとか屋根の上によじ登ることに成功した。

 息をつくこともなく、窓辺へと向かう。

 そして、遠慮なしに窓を手のひらで叩いた。さすがにいきなり割るようなことはなかったが、それも辞さない勢いだった。

 勢いよくカーテンが開いた。

 ツキミだ!

 生きている!

 その現実が、目の前にそびえたっていた圧迫感をぶち壊し、なんとも言えない開放感を寛に与えた。

 そして、確信した。目の前の人こそ、自分の求める幸福そのものなのだと。ツキミは自分にとっての美であり、善であり、真ですらあった。

 彼女の姿を見ただけで、醜かったはずの世界がどうしようもなく美しく感じられる。体にのしかかる重力が軽くなり、疲労困憊だったはずの体の内側から活力が漲ってくる。そして、窓の向こうに手を伸ばしたい。ツキミに触れ、どうか、笑って欲しいと心の奥底より希求された。

 リスクを取るということは、ただ徒に利益に向かって手を出せばいいというわけではない。なんなら、人生で一度きりでもいい。人生で一度しか無いチャンスを、二度とは訪れないと思われる幸福に根ざしたチャンスを逃さないということが大事なのだ。この瞬間、寛にはそう感得された。

 窓がゆっくりと開く。

「何してるの?」

 ツキミがつぶやくように言う。怒ったような顔をしている。目には涙が溢れている。手には自殺薬のケースを握っている。

 だが、すべてのことをそのままに、寛はツキミを抱き寄せた。窓の外に、ツキミの体がはみ出す。

「好きだ。愛してる。ずっと、そばにいて欲しい」

 そう、はっきりと伝えた。


 七ヶ月後、寛は北京の空港に居た。

 ツキミとはあの日以来、話していない。

 学校に居ても目を合わすこともない。

 周囲はなんとなくその雰囲気に気づいている様子だった。

 寛は必死にバイトして金を貯めた。高校には週一程度でしか行かなくなった。それもすぐに帰ってしまう。ファミレスのキッチンとお好み焼き屋と中華料理屋を掛け持ちした。

 親は何も言わなかった。

 海外旅行に行ってみたいから、と言うと黙って、セーブニッポンを起動させ、海外渡航の許可をくれた。もちろんパスポートや旅行費はすべてバイト代から出ている。パスポートの作成費用や出国税はどうしてこんなにも高いのか。納得の行かない気分で払ったのを覚えている。

 一週間ほど前に着き、とびきり安いホステルに逗留している。

 街中を歩き回り、色んな店を冷やかした。

 しかし、寛は空港で色々な人が行き交うのを眺めるのが一番好きだと思った。

 多種多様な人々がそれぞれの歩幅で、それぞれの行き先に向かって、てんでばらばらに歩いている。

 それを見ていると、なんとなく嬉しい気持ちになってくるのだった。

 頭上のスクリーンに中東での戦争のニュースが映る。多くの人はもう何年も前からやっているから、新鮮味を感じないのだろう、一瞥もしないで通り過ぎていく。こんなに平和な場所に戦争の映像が日常の風景として溶け込んで、受け流されてしまっている。

 しかし、一部の人は熱心にニュースを見つめていた。特に中東系の人がそうしている場合が多かった。

 心の距離に比例して、人の悲しみに自分たちは鈍感になる。これだけマスメディアやテクノロジーが発達すると四六時中不幸が起きては、それを知らせてくれるわけで不感症にならざるを得ないのもわかる。しかし、本当にそれでいいのだろうか?と寛は思った。

 他者の痛みを想像するというのは、社会を良くする上で必須のものだろう。

 自分及び仲の良い周辺のみが良ければいいという世界観であれば、例えば特に仲の良いわけではない人々が死んでもどうでもいいわけだ。確かに事故で誰か知らない人が一人死んだりしても、自分の生活に影響は何らないだろう。

 しかし、そういった酷薄な世界観の人々ばかりとなった社会では、見知らぬ人に対して非情なわけで、社会は決して良くならないだろう。なぜなら、社会とは見知らぬ人ばかりで構成されているのだから。

 そして自分もまた、他人から見たら見知らぬ人である。もしもいざ自分が酷い目にあった時に、他人から無視されたり、さらに酷薄な態度を取られたらどんな気持ちになるだろう。そして、そんな社会ではそういった事態はいつでも、どこでも、誰にでも起こる。人心は荒れ、社会は荒廃の一途を辿るだろう。

 目の前の人に親切に接することは、その人のためだけではない。社会全体のためでもあるし、巡り巡って自分のためでもある。情けは人の為ならずというわけだ。

 逆に目の前の人に不親切であれば、社会全体に良くない影響を与え、自分のためにもならない。

 私達はそういった意味で社会に対して責任を負っている。

 もちろん実際上、親切にするのは目の届く範囲ということになるだろう。しかし、だからといって、意識の範囲を狭めてはならない。

 自分の善行と悪行が社会に対して影響を及ぼしているのだという意識を常に持つべきだ。ただし、この国のようにポイント制を導入するのは論外だ。仏作って魂入れずであり、容易に支配層によって恣意的な正義を入れられてしまうことだろう。あくまでも一人ひとり、『個人』として主体性をもって、社会に臨まねばならない。

 また、露悪的な人に攻撃を受けることがある。例えば戦争や悲しい出来事が遠い地で起こり、その人々に対してすぐに何か出来ないのなら、偽善であるというのである。しかし、それは間違っている。人間は少しずつしか良くなれない。それは偽善ではなく、未善とでも言うべきだろう。

 だから、他者への共感を捨てる必要はない。他者の痛みを想像することをやめてはならない。

 願い続ければ、いつかは彼らのために何か出来るかもしれない。しかし、願いを捨てれば、決して出来ることはないだろう。良くなることはないだろう。個人の夢と違い、社会の理想は個人が願い続けることが本当に重要だ。

 個人の夢には資質や環境や時間など制約が多い。しかし、社会の理想であれば多くの制約をクリア出来る。多種多様な資質が結集し、時間もかけることが出来る。

 諦めて目を瞑ってしまえばどうなるか。歯止めが効かなくなるだろう。いずれ他国のことだけでなく、自国のこともどうでもよくなり、今度は自分の周りの事以外どうでもよくなり、最後には自分さえどうでもいい存在になってしまう。なぜなら、自分もまた他人にとってはどうでもいい存在であることを受け容れざるを得なくなってしまうからだ。そうなってしまえば、結果として、自分の幸福を追う気持ちも薄れてしまうだろう。どうでもいい存在なのだから。自身を見知らぬ人にしてはならない。それは主体性の喪失を意味する。

 社会は大きくなりすぎ、テクノロジーも発達しすぎた。だから、世界中の悲しみに押しつぶされそうになることも現代ではあるだろう。

 しかし、それでも目を瞑ってはならない。願い続けなければならない。願い続けることは、何が出来るかよりも個人のレベルでは重要だ。これはもはや、意識の上での闘いだ。

 この闘いに敗れれば、自分は社会においてどうでもいい存在になってしまう。自分が他者と対等な存在である以上、それは受け容れなければならない事実だろう。

 この闘いに終わりはない。願い続けることが勝利条件なのだから。それは一人ではとても苦しい闘いだろう。だから、人は手を繋ぐのである。

 もし闘いに敗れれば、階級的な世界観を構築し、自分を特権的な存在であり、他者を対等でない存在とするしかないだろう。それは醜悪なるものの一部となるということだ。そして、恐ろしいことにそれは取り込まれた本人には無自覚だ。

 しかし、特権的な存在、つまり最上位層となることは全くもって容易ではない。努力や才能でどうにかなるものでもないかもしれないし、また、そこに至るまでは、上位層にとって自分は服従しなければならない存在となってしまう。

 結果として、支配層の専有化が起こり、いつまでもつまらない思いをし、他人にもさせることとなってしまうのがオチだろう。そして、人心も社会も荒廃し、スクラップとなってしまう。また同じような社会をビルドしても、それは繰り返される。いい加減この愚かなループを止めなければならない。

 欲は確かに幸福を求める原動力であり、社会も成長させる。しかし、行き過ぎれば社会自体が壊れることになってしまうだろう。一夏の果実のために、せっかく育てた木を切り倒してしまうのは愚かなことだ。

 階級構造であれば、いずれは破滅に至る。しかし、テクノロジーの発達はスクラップのまま長期維持することに成功したのかもしれない。なぜなら、これまでのモデルであれば下からの不満がたまり、いずれ支配層を倒す原動力となる。しかし、あまりに発達したテクノロジーは、彼我の武力差を考えると下からの反乱のみで倒すのはもはや難しいだろう。より長期的なヘゲモニーが成立してしまう。何せ江戸時代でさえ、三百年近く続いたのだ。

 しかし、いずれは綻び、破滅を招く。長い時を待たねばならないだろうが、必ずその時は訪れる。

 自分たちはずいぶん長い時間、社会を営んでいるのにいつまで経っても下手だ、と寛は思った。いくら長い歴史を持つと自尊しようとも、真に民主的な国でないと他国に認められない理由はここにあるだろう。

 せめて自国の中でさえ、人々がお互いに優しくなれない社会がどうして他国の人々に優しくなれる可能性を秘めているだろうか。要は信頼関係を結べる相手ではないとみられるのである。

 当たり前だ。上下でしか捉えられない人間観を有し、国家を擬人的に捉えるのならば、侵略・被侵略でしか関係を結べないということを示している。また、家族国家観で言えば、ドメスティック・バイオレンスをふるう人間が信頼できるのか?ということになるだろう。

 社会を良くするためには「自分がやられて嫌なことは他人にもするな」では足りなかったのかもしれない。他人に迷惑をかけさえしなければ良いということになってしまいがちだ。自分がやったんじゃないから、知らないということになり、多くの無関心を産み、正当化してしまう。

 もう一歩進む必要がある。「もしも自分が相手の立場だったらどうだろう?」と考えることだ。それが、社会を良くする第一歩だ。つまり、他者の痛みを想像することだ。

 結局の所、社会をより良くするためにはみんなが『個人』になる必要があった。それは檻に囚われた貧相な個人ではなく、気軽に「困った時はお互い様」だと言える豊かな個人だ。

 そしてそんな『個人』が多数居て、社会を支えていれば、社会もまた豊かに成り得ただろう。実行者は少数でも良い。多くの人が願い、後ろ楯になってくれれば実行者は正当性を得られる。安心して人を助ける事が出来るだろう。また、多数の願う人の中から、少数の実行者へとなる人もおり、より社会は良くなっていく。

 だが、もし多数の人が願うことを止め、それどころか冷笑的に振る舞い、あまつさえ少数の実行者を馬鹿にし始めたらどうだろう?

 安心して人を助けることは出来ず、少数の実行者になろうという人も減ってしまうだろう。

 また、冷笑的に振る舞い始めてしまった多数の人々は、その時点で対等な『個人』であることを放棄してしまっているのである。

 それは本当に多くのことを放棄することにほかならない。目先の利益に囚われて、幸福であることも自由であることも止めてしまい、ついには社会を壊し、平等や幸福、平和まで壊してしまう。彼らは無自覚のまま破壊者となってしまうのである。

 人は弱い。辛い現実に押しつぶされ、無力感から願うことを止めてしまうこともあるだろう。心無い人の言葉に惑わされることもあるだろう。しかし、願うことさえ止めなければ、無力な人などでは断じて無い。力ある人だ。

 強く、優しく生きられるだろうか?

 たとえ一人でも、権力者や多数に迎合せず、正しいことを正しいと言える強さを持てるだろうか。

 そしてその正しさに触れた時、迷わず手を伸ばす優しさを持てるだろうか。

 真に強いということは、真に優しいということを含んでいるのだと寛は思った。

 力が強いだとか、権力を持っているだとかは本当に強いということではない。

 ピストルを持った子供が世界ボクシングチャンピオンを殺したら、その子供は強いだろうか?同様に、どんな大きな権力を持っていようとも、それは本当には強いわけではない。ただ、子供がピストルを持つように、権力を持っているだけに過ぎない。

 彼らは本当には弱いから、それを欲するのだ。そのことには無自覚だろうけど。

 強く、優しく生きるのは難しい。

 それは一つの規範だろう。それは『個人』の一つの到達点のように思えた。

 なれるだろうか?

 現時点では、寛には自信がなかった。

 だけど、迷ってでも、自信がなくても、せめて手を伸ばせる自分になりたかった。

 願い続ける自分でありたかった。

 正しさに触れた時、胸が熱くなる子供のような気持ちを裏切りたくなかった。

 取り残された子供を、もう見たくなかった。

 俺は弱い。それは認めよう。だけど、正しさを感じる心までも失ったら、俺には何も残らない。醜悪なものの一部となるか、死を選ぶかしか残っていないだろう。

 英雄のような『個人』には俺はなれないかもしれない。

 他人の幸せを心より願える聖人のような真の個人にも、まだまだ道は遠い。

 しかし、醜悪なものには死んでもなりたくない。

 あくまでも欲と理想のせめぎ合う、俗人、凡人の類だろう。

 それでも、安いプライド、ハッタリ、やせ我慢。すべて駆使して抗おう。『個人』であることを守ろう。

 そうすることが、俺やツキミ、そして他の人々、ひいては社会の幸福のためになるのだと信じている。

 自分たちにまずは必要だったのは、強い個人になることではなかった。

 弱くても、善き個人で在りつづけることだろう。大切なものを手放さないでいられる粘り強さだろう。

 そうすれば、民主的な社会を失わずに済んだ。

 社会への責任を個人はどこまで持つべきだろう?

 どこまでも持ち、すべてを捧げるというのなら、一億総火の玉や滅私奉公となり、自分を犠牲にするということになってしまう。それは容易に支配層に利用される結果となることだろう。特に社会が国家に完全に乗っ取られてしまっているとそうなってしまう。国家は社会にも個人にも侵入してくるのだ。

 だから、他者の幸福もそうだが、決して自分の幸福も蔑ろにしてはならない。バランスが肝心だ。

 人は社会に確かに責任を持っている。他人の幸福を搾取するような身勝手さや公共の破壊や簒奪などはしてはならない。

 しかし、自分の幸福もまた、公共の福祉を傷つけない限りにおいて確かに追求しなければならない。もしも他者の幸福を簒奪することに何の罪の意識も待たぬものが、実際に危害を加えてきたら、闘わねばならないだろう。

 さらに言えば、社会が壊れたり、構造上問題があり、生命の危機や幸福を簒奪され続けるような状況にあっては、個人は自己保全のために動かなければならないだろう。

 社会に責任を持つよりも、自分の生命や幸福に責任を持たなければならない場面があるということだ。それは非常にギリギリの、差し迫った状況だ。本来であれば、そんな差し迫った状況にならないよう監視しておかなければならないが。

「動くな」

 後ろから声が響く。背中に硬い物を押し当てられる感触。

「手を上げろ」

 その軽やかな鈴のような声には、笑みが含まれている。

 寛も嬉しくなって、自然と頬が緩んだ。

「良かった。無事会えたね」

「うん!」

 振り返ると同時にツキミが抱きついてくる。柔らかで愛しい香りに頭がクラクラした。

「おいおい、まだトランジットだ。目立つ振る舞いは避けるように」

 そう注意しながらも、寛の頬は緩んでいる。

「へへー」

 ツキミは寛の首に腕をまわしたまま、満面の笑みを向けた。

 ツキミは黒いコートを着ていた。

 話すのは七ヶ月ぶりだった。

 あの夜、二人は亡命の計画を建てた。

 この死んだ社会で二人が幸せになることは不可能だという結論に達したからだ。

 国家が処方した改憲とは、社会を殺す自殺薬でしかなかった。そこに個人が生きる場所はない。

 二人がまずしたことは、決定的な仲違いをしたのだと周囲に信じ込ませることだった。欠片でも駆け落ちを匂わせれば、海外渡航の許可は出まい。

 必要な連絡は教室に置きっぱなしにしたノートで行った。

 早い時間帯に寛がツキミの机の中にノートを忍ばせて、ツキミも連絡事項があればそのノートに書いた。

 ツキミは友達との卒業旅行だという名目でおじさんの許可をとっていた。結婚前の最後のお願いということで押し通したらしい。

 そうして二人はここで落ち合った。

「コーラ買ってきたよ」

 背中にさっき押し当てられた硬い感触はこれだったのか。

「貸して」

 寛はコーラを受け取り、開けてやる。

「ありがと」

 ツキミは一口飲むと、寛に渡した。

 寛は照れずにそれをグビグビと飲んだ。

「何?」

 ツキミがじっと寛を見ていた。

「べっつにー」

 一度つまんなそうにそう言ったが、気を取り直したように寛の首筋に手を伸ばした。

「えっ、何?」

 寛はこれにはさすがにドギマギした。

「アダムの林檎って言うんだってね。いつの間にかこんなに立派になっちゃって」

 そう言って、寛の喉仏を優しく撫ぜた。

 もちろん、いつの間にか口元にはニマニマ笑いが宿っている。

 その表情を見れば、自分がどんな表情をしているのか知れようというものだ。

 しかし、寛は今、非常な幸せを感じていた。ようやくツキミの幸せそうな笑顔が見られたのだ。日常を今、自分たちは取り戻そうとしているのだということが実感された。

「じゃあ、ツキミはイブだね」

 くさいセリフに二人して吹き出した。

 これから向かう地が楽園となればいいと思った。もちろんそう甘くはない。お金もそれほど無いし、働くことを見越して調理系のバイトばかりしていたが、そう簡単に物事が運ぶとも思えなかった。

 しかし、それでも二人なら。

「そろそろ行こう」

 ツキミの手を取る。

「うん」

 ツキミが微笑む。

 ガラス張りの向こうにある飛行機発着場。もう迎えの飛行機は準備完了していた。

 真っ暗な空。

 そこには幾筋もの流れ星が走っていた。

 空を覆い尽くすような、光の線が駆け巡っている。

 ツキミが歓声を上げ、近くで見ようと近づいていった。

 けど、寛は何故か近づく気にはなれなかった。

 まったくそれを綺麗だとも思えなかった。

 ツキミがくるっと振り返って言った。

「ねえ、どんな願い事する?」

 ツキミは笑っていた。

 真っ暗な空。

 いくつもの流れ星が降る空を背景にして。

 寛はそれに答えられなかった。

 もう、自分の願いが叶うことは無いと知っていたから。

 けど、それでもやっぱり答えた。歯を食いしばって答えた。

「世界平和、かな」

 涙が一筋、自然と流れた。

「くだらないと思う?」

 ツキミは黙って、笑顔のまま首を横に振った。

                            【正修十☓年 記】

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