第6話 恋愛の自由4
体の左側が熱くて、右側が寒い。寛の意識が第一に感知したのはそれだった。
「ああ、目が覚めましたね。どこか痛いところはありませんか?」
「う、いえ、特には」
話しかけてきたのは見知らぬ老人だった。老人は焚き火を挟んで、寛の向かい側にいた。焚き火の明かりが柔和そうな顔つきを照らしている。
寛は珍しいなとぼんやりする頭で思った。このくらい老齢の人物と話すのは初めてのことだった。
「それは良かった。それにしても、驚きましたよ。急に空から降ってくるのですから」
そうだ。俺は橋の下から落ちた。いや、飛び降り自殺をしたのだった。それがなぜ、生きているんだ?寛は不思議に思った。
「私のビニールシートの屋根に一旦落ちて、バウンドして川に落ちたんですよ」
表情を汲み取ってくれたのか、老人は寛の疑問に即座に答えてくれた。
「もしかしたら助けてしまって、余計なことをしましたか?」
なんと答えたらいいか、微妙なところだった。確かに寛はさっきまで死のうとしていたはずだが、だからと言って、自分を助けてくれたこの老人に余計なことだったなどと言うのは憚られた。なので、素直に言った。
「俺は死ぬつもりでした。だけど、助けてくれてありがとうございました」
「そうでしたか。ひとつ、お聞きしてもよろしいですか?」
「何をでしょう?」
「なぜ、自殺薬を使わなかったのですか?」
「それは、」
夢か現か判然としない頭の中で、ツキミとの約束を思い出した。甘美な思い出と苦い現実が混ざり合う。
「大切な人のもので、いや、今持ってないからです」
老人は少し不思議そうな顔をしながらも頷いた。
「なるほど。しかし、同じ自殺ならば楽な方がいいのではないですか?」
確かにその方が痛みもないし、確実だ。今の状態を考えればなおさらのことだと寛は思った。しかし、あの時は突発的な行動だったし、あらかじめ自殺するつもりだったとしても、国家に支給された自殺薬を使う気にはなれなかっただろうなと思った。
もはやあれは自分にとっても、彼女にとっても絶対のものでもなくなってしまったわけではあるが。
寛は言葉を探しながら、呟いた。
「多分、死ぐらい、自分だけのものにしたかったのかも」
老人は焚き火に木の枝を加えた。火の中で木炭が崩れて、火の粉が舞った。
「私もそうしたいと思っています。自殺薬は捨ててしまいました」
そう言って、老人は少し笑った。
寛はそんな事を言う大人を初めてみたので、興味を持って起き上がった。ほんの少し立ちくらみに似た感覚があったが、すぐに治まった。痛みも特に無い。自分の体を見た所、外傷も負っていないようだった。異様に運が良かったが、別段そのことに感謝する気持ちにもなれなかった。焚き火を挟んで老人と向かい合って座った。
「もう大丈夫なんですか?」
老人が心配して聞く。
「はい、大丈夫みたいです。ただ、少し寒いですね」
火にあたっていた方の左側はほとんど乾いていたが、右側の服は生乾きだった。
「暖かくなってきたとはいえ、まだ五月ですからね。よく火にあたってください」
寛は目の前で火が踊るのを眺めた。幼い頃にツキミの家と一緒にキャンプ場でバーベキューをしたことを思い出す。
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