ティット・フォア・タット

「クローディア、大丈夫?」

 モルの声が聞こえたのはわかった。でも目の前のことに手一杯ですぐには答えられなかった。

 キアラが突っ込んでくる。両手でサブマシンガンを構えて牽制射撃、そして回避。しかしスピードがないので一度の羽ばたきで得られる移動量が少ない。カルテルスの切っ先が右の翼に触れた。外側の風切り羽根が何本か中ほどで切られ、はらはらと木の葉のように舞い落ちていった。

 カルテルスの切れ味が鋭すぎて銃では受け止められない。全て回避しなければ必ずどこかを切り裂かれる。

 クローディアは息を飲んだ。苦い感情が喉元まで湧き上がってきていた。それは恐れなのだろうか。ジェットテールが押さえてくれていた恐怖なのだろうか。

「どうしたの? 急に弱気になっちゃったじゃない?」キアラは煽った。

「うるさい!」

 体を小さくしてキアラの斬撃を躱し、足を伸ばして上腕を踏みつける。空中ではその反動だけで一気に100m近い距離が開く。クローディアは弾切れまでサブマシンガンを乱射した。

 いくつかは掠ったが、それだけだ。致命傷になるような弾道はカルテルスで受け止められてしまう。刀身に当たった弾はまるで吸い込まれるように消滅していった。やはり至近距離でなければ有効打は撃ち込めない。


「クローディア」モルがもう一度訊いた。

「大丈夫。でも不利だ」クローディアは答えた。

「待ってて」

「何をするつもり?」

 モルが体の下にまっすぐ対物ライフルを吊るしたまま向かってくるのが見えた。

 でもあまり長くキアラから目を離してはいられない。

 弾倉を付け替え、初弾装填のためにコッキングレバーを引いた。

 キアラが助走をつける。クローディアが再びマシンガンを構えたその時、モルが横から飛び込んできて「掴まって!」と叫んだ。

 クローディアは咄嗟に背中のスタビライザーに手を伸ばした。

 モルはアイリスを開いて減速していたが、すぐにパワーをかけて真上に引っ張った。

 ジェットテールの推力は600kg以上ある。自重でその半分を占めているとしても、たかが40kg程度の増加でスピードが落ちることはない。

 クローディアはモルの背中にしっかりと掴まった。ヘルメットからはみ出した小麦色の後ろ髪がばさばさとはためいていた。

「共闘しよう。スピードが必要な時は私に掴まればいいよ」モルは言った。

「キアラには近づかない方がいい。スピードを保って、大きく旋回して」

「わかった」

 モルの飛行は安定していた。急降下も背面もほとんど恐怖感はないようだ。

 モルに勢いをつけてもらって、キアラと切り結ぶ時だけ1人で飛び出し、離れたらまたモルに拾ってもらって追撃を躱す。確かにそれならジェットテールのスピードと生身の身軽さを両立できるかもしれない。

 クローディアは喉の奥にあったどうしようもない震えがいつの間にか収まっていることに気づいた。


 モルはキアラを引き離しながら500mほど上昇した。

 クローディアはそこでモルを押し出すように離れ、背面から真下を向いて突っ込んだ。

 するとキアラは追ってくるのをやめて降下に転じた。さすがに分が悪いと悟ったようだ。

 モルが後ろから追いついてきてクローディアの下に入った。やはりジェットテールの方が遥かに速い。

「追うよ」モルは言った。

 クローディアは再びスタビライザーに掴まった。

 ぐんぐん距離が縮まる。

 キアラは振り返って急減速、クローディアは今度こそモルから離れて拳銃を抜いた。こちらの方がスピードがある。スピードがあれば翼を少し動かすだけで急機動がとれる。圧倒的に有利だった。

 1本指のレーザーのような細長い刀身を避け、背面のまま前方に羽ばたきを打って真下にかくんと曲がった。

 完全に下をとった。

 キアラは2本指に切り替えたカルテルスを振り下ろす。

 クローディアは右手のマシンガンでそれをいなして左の拳銃を撃ち込んだ。

 キアラは体を捻る。しかし1発がその太腿を捉えた。

「うっ……」と呻きが漏れた。

 クローディアは切られて真っ二つになったマシンガンの片割れを投げつけ、真下に離脱しながら拳銃の弾倉を取り替えた。

 すぐにモルが横から飛んできてクローディアを掬い上げた。

 キアラは追ってこない。投げつけられたマシンガンを腕で弾いたまま、その場でホバリングしていた。……いや、少しずつ高度が下がっているかもしれない。

「かかってこないよ」モルが言った。モルはキアラから300mほど距離をとって水平旋回していた。

「戦意喪失?」

「それならしっかり降伏を宣言するはずだよ」

「行く?」

「うん」

 モルはエンジンパワーを上げてキアラに突っ込んだ。クローディアはモルの肩を蹴って飛び出す。

 キアラは右手を引いて半身に構えた。

 クローディアもマシンガンを失って至近距離まで牽制ができない。

 まさに居合いだった。これで決着をつけよう。まるでそう言っているみたいだ。

「クローディア、グリフォンがそっちに向かったぞ」

 ヴィカがそう言うのが聞こえた。でも次の交差を抜けるまでよそ見をするわけにはいかなかった。

 クローディアは集中した。

 キアラは2本指のカルテルスをクローディアの銃口に合わせ、射撃の間を縫って下段に振った。クローディアが足を上げて避けると同時に再び右手を引いた。

 キアラの荒い呼吸が間近に聞こえた。

 クローディアはガラ空きになった左半身に向かって銃弾を叩き込んだ。

 キアラは左手を広げた。そこに盾のようなもの――それもカルテルスの一種なのか――が現れ、3,4発の銃弾を防いだが残りはその表面を突き抜けてキアラの脇腹に刺さっていった。面積が広い分脆いということか。

 キアラは撃たれるのも構わず右手を突き出した。クローディアは2本指の間合いは避けたつもりだったが、それは3本指だった。

 3本指の方がリーチが長い。先端が左翼の中ほどに突き刺さった。

 羽根が切られるのはわかっていても羽ばたいて右へ捻らなければカルテルスが自分の体を切り裂くのは時間の問題だった。クローディアは一瞬の判断で体を上に振った。カルテルスは左から右へ空を切った。が、左翼は外側の羽根が長さの半分以上ごっそりと切られてしまっていた。

 キアラはオーバーヘッドキックのように頭を下にして垂直降下で加速に入っていた。クローディアも舞い散る羽根を掻き分けながら追った。だがキアラの方が断然速い。その先にはモルがいた。モルを狙うつもりだ。

 モルは今度もクローディアが下に抜けてくると読んで下に回っていたのだ。

 モルもキアラに気づいて加速した。

 だがカルテルスの切っ先がジェットテールの排気口のあたりに触れた。排炎が不自然に広がり、モルの体が一回転した。

 制御不能なのだ。タンクモジュールからパラシュートが広がった。

 ジェットテールから噴き出した黒煙に隠れながらキアラはそのまま降下、グリフォンが駆けつけてそれを拾い上げ、アイゼンの上層に向かって飛び去った。


 モルはパラシュートに吊られながらも対物ライフルでグリフォンを狙っていた。彼女の体は撃つたびにハーネスの下でブランコのように揺れていた。

 クローディアは後ろからモルの脇の下を抱え「その銃捨てて」と頼んだ。

「丸腰になっちゃうよ」

「私のパワーが足りない。早く。フラムスフィアに入っちゃう」

 モルはエイヤッと対物ライフルを投げ捨て、パラシュートを切り離し、ジェットテールのモジュールを脱ぎ捨てた。

 クローディアは精一杯羽ばたいた。モルの体もかなり軽くなったが、羽根を切られているせいでそれでも少しずつ高度が下がっているのを感じた。息も上がってきた。鳩尾みぞおちが攣りそうだった。

「ヴィカ、早く! もう持ちそうにない」クローディアは耳につけたインカムに向かって叫んだ。

「上がらないのか?」

「無理、無理」

 グリフォンを追っていたヴィカが引き返してきて肩車のような格好でモルを受け止めた。ヴィカのジェットテールやフライトスーツもかなり傷ついていた。ヘルメットのバイザーが割れていた。グリフォンの方もかなり激しい戦いだったようだ。

 ヴィカにモルを受け渡したクローディアは翼の筋肉を休めるためにしばらく羽ばたきを止めて水平飛行した。

「クローディアも一度戻れ」

「カイを連れて行かないと」

「その羽でどうやって」

 クローディアは弾倉のホルダーを確かめた。サブマシンガンの弾倉はまだ3つあったが、拳銃はあと1つだった。

 いや、でも弾自体は同じだ。P590サブマシンガンとP190拳銃には弾倉の互換性はないが、中に入っている弾薬は同じ規格のものなのだ。詰め替えれば使える。

「どちらにしろジェットテールがない。アイゼンを制圧して飛行機を下ろして」

 クローディアはヴィカから離れてアイゼンに向かった。

「やれやれ、身勝手な天使だな」ヴィカは愚痴りながらモルを連れてスフェンダムの編隊に向かった。

「そうだ。クローディア、グリフォンは上層に降りた。上層には行くなよ」

「了解」

 アイゼン要塞は青空の前に黒くそそり立っていた。上層など青く霞んでいる。そもそも今の翼の状態であんな高さまで登れるのだろうか、とクローディアはフラムの雲の上を滑るように飛びながら不安になった。

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