結び

 俺は、琴音の実家にたどり着いた。

 誰も出てこないので勝手に家に上がり込むと肉が腐ったような強烈な刺激臭がして思わず口元を腕で覆う。

 広い家の中を歩いていると台所にひしゃげた肉の塊がある。

 恐る恐る近づいてみると、それは白い装束衣装を着た老人だった。


「さっきの夢で見た…?」


 あれは夢じゃないのか?

 少しだけ手が震える。

 老人の手に握られている木の棒を確かめようと死体に近づいた時、背後でゴトリと音がした。

 慌てて振り向く。


「あんたは…あんたのせいで!あんたのせいでうちはおかしくなったんだ」


 真っ白な顔をして俺に鉈を振りかぶる女を慌てて押し飛ばす。

 女は壁に背中を打ち付け、そのままへたりこんだ。しかし、すぐにこっちを見ると狂乱した様子で再び鉈を振りかぶる。


「クソ」


 手を取って、武器を捨てさせるだけのつもりだった。

 でも、俺の右手は、持ち主である俺の意思を無視して彼女の腕から鉈を奪う。

 他人事みたいだった。鉈の柄をくるりと器用に片手で回転させた俺の右手が彼女の首に向かって凪ぐ。

 赤黒い血が噴き出して俺の顔を染めていく。


 さっきできた縄の痕が燃えるみたいに熱くなる。


―椿 ひとつ


 どこかで声が聞こえた気がした。

 気配がして、閉じていた目の前のふすまを開くと、もう一人女がいた。

 よく見ると今頭を落とした女と同じ顔をしている。

 琴音に似た…スッと鼻筋が通った小さな鼻と桜の花びらみたいな唇。


「たすけて。あのね…わたし、髪を伸ばせば琴音に似てると思うの!あんたは顔も悪くないし、付き合ってあげてもいいから」


 うるさい。

 今度は俺の意思で、右手に持っていた鉈を彼女の首めがけて振り抜いた。


―椿 ふたつ


 右手首に火が付いたみたいにじりじりと痛む。

 転がった首をひとまずその場において俺は階段を上った。


 家には、もう誰もいないみたいだった。

 静かな家の中を俺の足音だけが響く。

 頭がガンガンしてくる。腐臭はいつの間にか気にならなくなっていた。

 手当たりしたい扉を開けて、琴音の服を探す。

 黒椿の着物…黒椿の着物…。


 もういくつ目なのかわからない扉を開く。

 むせかえるような甘い香りと共に広い空間が目の前に現れた。

 部屋の中心には黒くて艶のある布地に赤い椿が大きく描かれた着物が飾ってある。


「これだ」


 そう思って着物に手を触れる。

 どことなく温かい。

 琴音だ。そう思って俺は服に付いた返り血のことも気にせず着物を抱きしめた。


 ガサリと音がして着物から一枚の紙が落ちる。

 どこかに挟まっていたらしい。


 紙には昼間に少年から聞いた話と似たような内容が描いてあった。

 

 かがちさんの嫁になるには頭を二つ、渓流に流すこと。

 着物を洞戸大山の滝壺に投げ込んで、かがちさんに許しをもらえば種になってこちらの世界へ帰ってこれること。

 

 信じられない話だけど、もうこれしかない。

 なにもしないままなら俺は殺人で捕まるんだ。

 

 黒椿の着物を抱きしめて、階段を降りる。

 無造作に転がっていた二つの頭を無造作に掴む。べとりと、床に溜まっていた血が俺の手を濡らす。


 手首の縄の痕が熱い。

 でもそれ以上に、手にかかったこいつらの血が熱い。

 沸騰しそうだ。


 椿を二つ刈り取った。

 これと、琴音の着物を滝壺に入れればいいはずだ。

 琴音に会える。待っててくれ。







  滝壺に頭二つと琴音の着物を投げた。

  急いで下流へ行って座っていると、琴音の着物だけが流れてきたことに気づいた俺は、それを拾って中をまさぐった。

 話に聞いていたとおり、本当に種があった。

 人目に付かないように山の奥へと戻った俺は、それを土に埋めた。


 それは一日足らずで大きくなり、大人一人が入っていても可笑しくないキャベツのような形に膨れ上がった葉の塊になっていた。 

 待ちきれずに、葉を一枚だけめくってみる。

 べりり…と思っていたよりも下まで向けて焦っていると、人の肌が見えた。

 べりり…べりり…と何枚か葉を剥がす。


 琴音。琴音。

 名前を心の中で呼び続ける。

 少しだけ見えている白い肌に触れると温かい。

 うっすらと緑がかっているように見えるのは体を包んでる葉のせいだろう。

 これは夢じゃない。

 彼女に張り付いてる葉と葉の間に手を差し込んで、少しだけ剥がす。

 額の上がベリッと剥がれて真っ黒な髪が零れるように落ちてくる。

 

 ハラハラと散った椿の花びらが、髪飾りみたいに見える。


「綺麗だよ、琴音」


 そう思わず口に出した。

 ベリッと音がして、彼女の肩を覆っていた葉が剥がれ落ちる。

 琴音の細い腕は青臭い液にまみれている。少しべたっとしているその両腕は、ゆっくり持ち上がって俺の頬に触れた。

 

 やや明るい胡桃色をした両眼が俺の顔を捉え、止まる。


「…結人」


 俺は、まだぼうっとしている琴音の上半身を強く抱きしめた。


「ありがとう」


 桜の花びらみたいに小さく可愛い唇。その両端を持ち上げて微笑んだ琴音が、俺の手首を掴む。

 右手首が熱くなる。いつの間にか縄の痕みたいな痣から小さな椿のつぼみが生えていた。かゆい。

 琴音が立ち上がる。でも、下半身は葉に包まれたままだ。

 どういうことなのかわからない。頭がぼうっとしていて考えるのを拒否しているみたいだ。

 座ったままみたいな形で上に移動した彼女と再び眼が合う。

 唇が触れて、甘い香りが鼻腔をくすぐった。


 痛い。


 顔を離そうとする。

 冗談はやめろよ。

 彼女の肩を両手で押してみる。

 

 びくともしない。

 手首に生えたつぼみが開いていく。


 痛い。

 痛い。

 痛い。

 体が琴音に包まれる。


「愛してる。これからずっと一緒だよ」


 痛い。

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