番外編◇吸血鬼の女王の実家へようこそ3



 

 ミラさんの婚約者のフリをして、彼女の実家にお邪魔していた僕。


 夕食後、彼女の母であるセラナさんと二人きりになった。

 そして、彼女はミラさんの嘘に気づいていることを告げた。


 ……さすがはミラさんのお母さん。お見通しだったということか。


「……はい」


 呆れられているだろうか。それとも、怒っているだろうか。

 だがセラナさんは、優しげに微笑むだけ。


「けれど、こんなことに付き合う程度には、娘に好感を持ってくれているということよね?」


「それは……そう、ですね」


 僕は頷く。

 ミラさんだったからこそ、一緒に行こうと言えたというのは、確かにあった。


「では何故うちの娘と付き合えないのかしら? あくまで友達であって、恋愛感情は抱けない?」


「いえ、決してそんなことは……」


 何故、なのだろう。


 ミラさんは魅力的で、彼女は僕に好意を持ってくれている。

 僕だって、ミラさんに好感ではたりないくらいの感情を抱いていた。


 普通の人なら、とっくに恋人同士になっているのかもしれない。

 では、何故僕は、ずっと足踏みをしている?


「レメくん。貴方は真面目な人なのね。そして誠実な人。優しくて、賢くて――おばかさん」


 彼女の姿形は変わらないのに、その言い方には、『母』たる存在の慈愛を感じた。


「……それは、どういう意味でしょう」


「貴方は、ミラを大切に思っている。それくらい、見ていれば分かるわ。それでも、一歩を踏み出せずにいる。臆病だから? 経験がないから? 違うわ。貴方は真剣だからこそ、その先のことに考えを巡らせて、無意識にセーブをかけているのよ」


「あの、仰っていることの意味が――」



「『自分と結婚したら、子供も【黒魔導士】になってしまうかもしれないから』?」



「――――」


 あぁ。

 どこまで、鋭い人なのだろう。


 僕自身言語化できていなかった感情を、明確にされたようだった。


 僕は【黒魔導士】が好きだ。

 そして、自分の選択に後悔はないと断言できる。


 だが、だからといって、【黒魔導士】としての人生全てを肯定できるわけではない。


 【役職ジョブ】差別に、心無い罵詈雑言を投げかけられる日々。

 動画へのコメントならまだしも、直接浴びせかけれらたことも一度や二度ではない。

 過激なファンからは、言葉だけではなく物を投げられたことさえもあった。


 僕はいい。己で選んだことだ。時間を遡る術を得ても、また同じ道を選ぶだろう。

 けれどそれは、自分の人生だから耐えることができただけだ。


 自分の人生に伴った苦しみを、大切な人や――いつか授かるかもしれない我が子に味わってほしいとは、到底思えない。

 苦痛なき人生などないかもしれないが、予期できる苦痛を避けたいと思うことは罪だろうか。


 大切な人に『健やかに過ごしてほしい』と思うように、大切な人に『馬鹿にされないような人生を送ってほしい』と願うことは、悪くないことだと思うのだ。


「自分の子供には、明るい未来を歩んでほしいものよね。わかるわ。その気持ちを、子を授かる前から持っている貴方のことを、素敵だと思う。本当よ。けれどね、それは自分の気持ちから逃げていい理由にはならない」


「……そう、ですね」


 それに、自分が抱える恐怖を理由に、ミラさんを待たせることは、不誠実だ。

 これが戦いならば、迷わず突き進めるのに。

 ミラさんのことになると、僕は一気にポンコツになってしまうみたいだ。


「それにね、貴方とミラの子なら、きっとどんな【役職ジョブ】を授かったとしても――自分で幸せを掴み取ってしまうわ。親の心配なんて、ものともせずにね」


 親というものがどれだけ大変かは、想像することしかできない。

 だが、【黒魔導士】に目覚めた息子が、育成機関スクールに行くと偽って魔王に弟子入りし、親友とパーティーを組んだかと思えば脱退し、そのの仕事もロクに伝えず、かと思えば魔王城で参謀に就任していた……なんてことをやった身としては、親にかけた心配や苦労が申し訳なくなってくる。


 ここまで自分勝手に生きておいて、我が子には安全な人生を歩んでほしいと願うなんて、傲慢かもしれない。

 彼あるいは彼女は、こちらの心配なんてものともせず、勝手に己の人生を歩むのかもしれない。


 僕に何かできるとすれば、そっと見守り、必要な時に手助けすることだけ。


「……そう、かもしれませんね」


 なんとか笑おうとする。上手くできているかはわからない。


「あと、貴方やミラのことを大切に思う人達が、同じようにあなた達の子を大切に想ってくれることでしょう。当然、私もよ。世界で一番可愛いおばあちゃんになってみせるわ」


 セラナさんが両手を頬に当て、可愛くウィンクしてみせた。

 彼女が今後祖母になるというのは、想像がつかない。


「あはは」


 今度は、笑うことができたと思う。


「それにね、レメくん」


 瞬間、セラナさんの瞳が赤く光った、気がした。


「万が一孫を馬鹿にするような愚か者がいたら、その者は翌日の朝日を拝めないようにするから、安心して頂戴」


 とんでもなく不安になりました。


 ◇


 それから、僕もお風呂をいただき――就寝の時間。

 ミラさんの部屋、その寝室にて、二人並んでベッドに腰掛ける。


「レメさん、大丈夫ですか? あのロリ吸血鬼に何かされませんでしたか?」


 『ロリ』って母親に向けて使える言葉だったんだ……。


「大丈夫だよ。いいお母さんじゃないか」


「……レメさん、本当に私と同じ吸血鬼の話をしていますか?」


 ミラさんが信じられないという顔をする。


「あのね、ミラさん。その……相談したいことがあるんだけど」


「子供の数ですか? ダンジョン運営できるくらいがいいですね」


 それ何人……?

 少なくとも二桁以上は必要になるのではないか。


 いつもなら苦笑しながらツッコミを入れるところだが、今日は違う。


「真面目な話なんだ」


 僕が言うと、彼女も真剣な表情になる。


「聞かせてください」


 そして、僕はセラナさんとの会話で明確になった、自分の恐怖を伝える。

 それを聞き終えたミラさんは、しばらく思案顔になったあと、ふっと手を挙げた。


「えぇと、どうしたんだい?」


「レメさんのお話は理解できたと思います。これまで気づけず申し訳ございません」


「いや、ミラさんが謝ることでは――」


「その上で質問なのですが」


「あ、うん」


「レメさんの悩みはあくまで生まれてくる子供の【役職ジョブ】についてであって、誰を選ぶかではない、という認識で合っていますか?」


 ミラさんは、何を言っているのだろう。


「選ぶってなんだい?」


 僕の発言に何を思ったか、ミラさんがガバッと飛びついてきた。

 僕はそのまま、ベッドの上に押し倒される。


 彼女の金の長髪がパラパラと流れ落ち、カーテンを閉めたかのように、照明の輝きが遮られる。

 その豊満な胸部が、僕の胸板に当たっていた。


 互いの吐息さえかかる距離。体温を感じ取れる距離。彼女の甘い香りが鼻腔を埋め尽くす距離。

 ミラさんが水気を帯びた瞳で、僕を見下ろしている。


 微かな明かりの中でも、その紅玉の瞳は燦然と輝いて見えた。

 誰にとってもそうなのだろうか。それとも、僕だからそう見えているのだろうか。


 そして彼女は口を開いた。




「レメさん、好きです」




 短い言葉の中に、出逢ってからこれまでに積み重ねてきた感情全てが込められているようだった。




「うん。僕もミラさんが好きだ」




 自然と、その言葉が口をついた。


 人生で初めての告白にしては上出来だろうか。あるいは、遅すぎるから大幅減点だろうか。

 どちらでもいい。


 涙を浮かべながらも満面の笑みを浮かべるミラさんの美しさを前にすれば、些細な問題だ。


「レメさん、い、い、いいですよね? これ体内なかに突き入れてもよいですよね?」


「うん」


 僕はそっと微笑む。


「で、では……」


 彼女は僕の首筋に顔を近づけ、血を吸う直前、耳元で囁く。


「レメさんの順番は、この次でお願いしますね?」


 熱っぽいその声に、身体がぶるりと震えた。


 ◇


 翌朝。

 僕は干からびていた。


 もちろん比喩なのだが、それくらいの気持ちであった。

 カーテンの隙間から差し込む僅かな陽光が、やけに眩しく思える。


 逆に、隣で布団を被るミラさんは、いつもにもましてツヤめいた肌をしていた。

 生気に溢れているといってもいい。


 僕と目が合うと、彼女は幸福そうに目を細めて笑う。


「おはようございます、レメさん」


「……うん、おはよう」


「あの、昨晩は夢中でつい失念していたのですが」


「……?」


「レメさんの精霊は、その……全部観ていたのでしょうか」


「あ」


 精霊は、ほとんど常に契約者の人生を眺めている。

 対話が可能な存在なので、頼めば席を外してくれることもあるが、それだって姿を消しているだけなのか本当に別の場所に行ったのか、契約者には判断がつかない。


 そもそも僕は昨日の夜、ダークの存在をすっかり忘れていた。

 いるのが当たり前すぎて、意識していなかったのだ。


『見てたとも』


 気づけば、黒ひよこが僕とミラさんの間をパタパタと飛んでいる。


 ――そ、そっか……。


『推しのアイドルが結婚してしまった時のファンの気持ちを、味わうことになるなんてね』


 ダークの声は暗い。

 僕は気まずい。


『――ま、よく考えたら悪いことでもないし、許すよ』


 落ち込んでいたかと思えば、ダークは軽い調子でそんなことを言う。


 ――どういうことだい?


『推しの子供を見守れるなんて、それはそれで楽しそうじゃないか』


 昨日の僕も、そしてセラナさんもそうだが、気が早いのではないか。


『ダークたんと呼ばせようと思っているんだけど、どうかな』


 それは自分で交渉してほしい。

 そんな機会が訪れるかは別として。


『きっと、君の不屈を受け継いだ、面白い人間に育つだろうね』


 ダークが愉快げに呟いた、その時――。


 寝室の扉が勢いよく開かれた。


「おはようミラちゃん! レメくん! 初体験はどうだったかな?」


「レメ殿を借りていくぞ」


「ミラ姉、大丈夫? やり方わかった?」


 ミラさんの母セラナさん、姉レヴィさん、妹エリザベートさんの三人であった。

 三人はズカズカと入ってきて、僕らの前までやってくる。


 幸せいっぱいという表情から一転、ミラさんから殺意が迸った。


「……命を奪う前に、一度だけ問いましょう。何用ですか?」


「そんなの当然でしょう? 【黒魔導士】にして魔王殺しの勇者、しかも性格もいい子だなんて、放っておけるわけないよね?」


「そうだ。初めては譲ってやったんだから、レメ殿を貸せ」


「エリザに夢中になってミラ姉のところには帰らないかもしれないけど、許してね」


 三人が捕食者の目で近づいてくる。


「よろしい、処刑します。せめてもの慈悲として、墓標に刻む文言を選ばせてあげましょう。おすすめは『泥棒吸血鬼、ここで眠る』です」


 ミラさんが己の手首を指で裂き、そこから流れ出る血液を操って剣とする。


「可愛すぎるお母さん、ここに仮眠中で頼むわ」


「私は死なんから、墓標は無用だ」


「可愛いフォント使ってね? ダサいのとか無理だから」


『重めのオタクちゃんって、案外まともだったのかもね』


 ダークが三人に呆れるような視線を向けている。


 僕は本気のミラさんと、じゃれ合いのような気配を絶やさない三人を仲裁すべく、黒魔法を準備するのだった。


 未来のことはわからないが、少なくとも今は寝室が破壊されるのを食い止めねば。



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