第47話◇魔王の弟子

 



 僕が師匠に直接何かを教えてもらったのは、三年だ。濃密だったけど、人によってはたった三年と思うかもしれない。


 けど僕は、村を去った後もずっと鍛えて貰っていると思っている。

 師匠の教えを僕が守る限り、僕は彼の弟子だ。


 これから使う力は、平時には絶対に使用してはならないと言われているもの。


 それは師事してから一年が経った、ある日のこと。

 その日の訓練を終えてヘトヘトになっていた僕は、師匠の部屋に呼び出された。

 ダメ出しや説教だろうと思って赴いた僕に、師匠は見たこともない視線を向けていた。


 いつもの面倒臭そうで、退屈そうで、厳しく冷たいものではない。

 どこか、温かい視線だった。


『レメ、お前はよくやっている』


 一瞬幻聴かと思った。師匠が僕を褒めるというのは、それだけ有り得ないことだった。


『え、え』


 僕の戸惑いを無視して、師匠は続ける。


『正直、保って数日だろうと考えておった。だがお前は一年にも及ぶ訓練に、見事耐えてみせたな』


『師匠……?』


『今一度問う。お前は何故、勇者になりたがる』


 師匠に口答えしてはいけない。そうでなくとも、別に隠しているわけではないのだ。

 僕が勝手に夢を語ったことはあったけど、師匠の方から僕に興味を持ってくれたのはその日が初めてだったので、正直僕は驚くと共に嬉しかった。


『勇者は、格好いいから』


『それは正しくない。憧れだけを理由に、この儂の訓練に耐えられるものか』


 確かに、地獄に落ちるのとどちらがマシかと訊かれても答えに困るくらいに、師匠の訓練は厳しいけど。


 答えるまでには、時間が掛かった。僕は当時十一歳、感情を言葉に落とし込むのはとても難しい作業だった。


『本当、です。格好いい勇者になりたかったから』


『……』


『で、でも』


『なんだ』


『……その、六歳くらいの頃、父さんに剣を買ってくれって頼んだことがあったんです』


 師匠は黙って聞いている。


『でも「危ないから」「まだ子供だから」とか、色々言われて買ってもらえなくて。今は納得してるけど、当時は納得出来なかった。俺は欲しいのに、どうして理由を付けてダメって言うんだろうって。金が無いって言われた方がまだ諦められた』


 買う買わないではなく、買った場合の危険を挙げることで僕に諦めるよう促した。

 理由は納得出来るものでも、その言い方に僕は違和感を覚えたのだ。


 父さんの言葉は、まだ僕を心配してのものだったからいい。子供が求めるままに凶器を与える親とか怖いし、正しい判断だっただろう。


『それで』


『【役職ジョブ】が分かった日、その時のことを思い出しました。周りの皆が、俺が勇者になれない理由を挙げていくんです。「【黒魔導士】って時点で終わり」「黒魔法なんて何の役にも立たない」「筋力も俊敏も上がらないクソ【役職ジョブ】じゃん」って、だから俺の夢は破れたんだって笑うんです』


『……あぁ』


 その様子が想像出来たのか、師匠は静かに頷いた。


『俺も、その通りかもって思いました。でも、剣の時のことを思い出した。俺は勇者になりたいのに、なれない理由が幾つも積み上げられていく。結局は【役職ジョブ】が悪いってことなんですけど、いかに勇者から遠い【役職ジョブ】かを楽しげに語られた』


『その時に、何故諦めなかった』


格好悪いから、、、、、、


 反射的にその言葉が出て、僕は驚いた。

 同時に、ストンと腑に落ちた。

 あぁ、そうだ。そうだったのだ。


 剣を買ってもらうのは諦めたのに、勇者になるのは諦められなかった。

 師匠に弟子入りして、常軌を逸した修行に取り組んでまで目指し続けている。

 違いは明白。


 幼い物欲と、己が定めた夢という違い。


『ずっと、小さい頃から勇者になるって決めてました。なのに、【役職ジョブ】が違うから諦める? そんなのは格好悪いじゃないですか。俺は【役職ジョブ】に憧れていたわけじゃあないんだから。敵を倒し、仲間を勝たせ、見る人を興奮させる、そんな仕事に憧れたんだから』


『黒魔術を修めたところで、露見しない範囲での発動では貴様自身の手によって敵を倒すことは叶わんぞ』 


『俺がいるから、パーティーは最高の戦いが出来る。そういう【黒魔導士】になります』


『己が最初に思い描いた、戦う勇者になれずとも、か』


『剣で斬ったり魔法を撃ったりするだけが、戦いじゃない。そうですよね?』


 師匠は否定しなかった。


『長く険しい戦い、、になる。余程の高位に至らなければ、誰も貴様の価値に気づかんだろう』



『でも、決めたことだから』



『そうか……そうか』


 未だに、僕はこのあたりの記憶を疑っている。

 だって、あの師匠が次の瞬間――僕の頭を撫でたのだ。


『お前は、特別才能に恵まれているわけではない。器用でもなければ、身体も強くない。平凡な【黒魔導士】だ。ただ、一つだけ誰にも劣らぬ武器がある。分かるか?』


『……分かりません』


 その時、師匠の声は嘘みたいに優しかった。


『お前はな、レメ。とても心の強い子だ。希望を絶たれ、かつての友に愚弄され、望んだ【役職ジョブ】は親友の手に渡った。それでもなお諦めず、怪しげな魔人に教えを請うた。大の大人が半時と保たず逃げ出す試練に耐え、今日この日まで鍛錬を積んだ。儂はな、レメ。物を教えるつもりなどなかった。最初はお前を追い払うつもりだったのだ』


 ……なんとなく、そうかもしれないと少しだけ考えたことがあったけど。


『だが、お前は意地悪な老人のしごきに、泣き言一つ漏らさなかったな。安心しろ、これまでの修行はデタラメなものではない。お前を鍛える為の訓練だったよ』


『分かってます』


 そこを疑ったことはない。たとえ意地悪だったとしても、訓練メニューを適当に作るような人じゃない。この人がそんなことをしたら、僕は死んでいたかもしれない。

 僕がギリギリ死なず、逃げ出してしまいたくなる程に厳しい訓練を組んだのは彼だ。


『レメ、お前を正式に弟子と認める』


『! っ。は、はい……!』


『だが、レメよ。お前の意思は分かったが、本当のところは――戦う力も欲しているのではないか』


『え』


『力が欲しくはないのか』


 師匠の声があまりに真剣なものだったので、僕は思考を飛ばして本音を吐き出した。


『欲しいですよ。どんな強い敵も真正面から倒すような力が手に入るなら、俺だって欲しい』 


『それを手に入れる為に、今以上の苦しみを味わうことになってもか』


『俺が頑張るだけでいいなら、なんでもします』


『良い答えだ。だがこの力には、問題がある』


『……問題、ですか』


『使用したその瞬間、お前と儂の繋がりが明らかになる』


『それは……問題ですね』


 師匠があるというなら、僕が強くなる方法はあるのだろう。

 だが彼はとにかく、自分とその力を世間に晒したくないのだ。


『故に、条件を設ける。その力を使用してもよいのは――絶対に勝たねばならない相手と戦う時に限る』


『え……?』


 僕はポカンとしてしまう。

 だってそれでは、師匠との約束に反する。


『お前は律儀に儂との取り決めを守るのだろう。それはもう分かっている。だが、もしいつか、儂への誓いよりも優先される勝利が目前に現れたなら――勝手にしろ』


 師匠は、こう言ったのだ。

 自分のことはバレてもいいから、どうしても勝ちたい時に力を使え。


 僕は不覚にも、泣きそうになってしまった。

 人と関わりたがらない師匠が、人目を避けて暮らす師匠が、僕を介してその存在が露見することを知った上で、僕に力の行使を許してくれたことが嬉しかった。


『だがその時は、貴様は非常に面倒な立場に立たされると知れ。ダンジョンで使うなら全てのカメラとマイクを破壊しろ。そして退場させた後にその魔物を脅せ。なに、使えば儂との繋がりが知れる。魔物であれば震えて従うだろうよ』


 ……なんだかすごく不穏な言葉が追加された。


『どうする、レメ』


『強くなりたいです。方法を教えて下さい』


 そうして、師匠は自分の角を折った。



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