第22話◇黒魔導士と吸血鬼の逢瀬

 



 その日はいつもよりも早く目が覚めた。

 いつもより念入りに顔を洗ったし、寝癖を頑張って直した。


 数少ない服は宿の人が洗ってくれているので清潔だが、オシャレ度はゼロだ。

 冒険者時代は【黒魔導士】スタイルの黒いローブさえ纏っていればそれでよかったが、女性との外出にそれではよくないということくらいは分かる。


 僕だってお出かけが決まってから、悩みに悩んだのだ。

 だが元々が田舎者。オシャレな服を扱っている店の前まで行ったところでオーラに竦んでしまい、すごすごと退散した。多分、僕が入ってはいけない店だったのだ。


 こんな時に相談出来る相手がいるといいのだが、魔王城の人達とはまだ逢って日が浅い。

 フェニクス達とこういう用件で逢おうと思わない。

 そして、僕は思い出した。


 カシュのお母さんが古着屋で働いていることを。


 古着と行っても着古しばかりではなく、事情があって綺麗な状態で手放されたものも多い。

 相談に乗ってもらえるのではないかと思ったのだ。


 乗ってもらえた。それはもうノリノリだった。

 幾つかの組み合わせを試し、オススメされたものをそのまま購入。お母さんはそれぞれのアイテムが新品で売っている店を教えてくれたが、ここまで世話になって売上に貢献出来ないというのも申し訳ないので古着で購入した。


 お礼の気持ちが収まらなかったので何か出来ないかと尋ねたところ、さすがは母親というべきか「こういうの、カシュにはとても似合うと思うのですが……」と服を持ってきた。


 むしろそれを新品で売っている店を聞きたかったが、カシュのおうちは三人姉妹に弟が一人。

 あまりカシュばかりがぴかぴかの服を着ても、カシュ自身居心地が悪いだろうとのこと。

 確かに優しいカシュならば喜びよりも家族への引け目を感じてしまいそうだ。


 ならばと僕は考え、その日購入したものの値段と本来それらを新品で購入した場合の値段の差額分、つまり僕が得した金額でカシュや他のきょうだいの服を買うと申し出た。

 お母さんは驚いた後に恐縮していたが、相談に乗ってもらえたことがどれだけ助かっているかを伝えると、最終的には頷いてくれた。


 翌日――つまり昨日だ――カシュは感謝の言葉と照れたように微笑み、お母さん伝いに渡してもらった服を着てきてくれた。


 似合っていると褒めると笑みは更に深まり、その笑顔を見て僕も元気が出た。

 さて、そんなわけでカシュのお母さんプロデュースの服を身に纏う僕。


 派手さはないが地味でも奇抜でもなく、涼やかな装いで清潔感がある。

 自分では決してこうはいかなかっただろう。心の中でカシュ母に再度感謝を捧げる。


 待ち合わせは昼だったので、そわそわしながら時間を潰し、待ち合わせ場所へ向かった。

 広場の噴水側にあるベンチに、ミラさんは背筋をピンと伸ばして座っていた。

 三十分ほどの余裕を持って向かったのだが、ミラさんの方が早かったようだ。


 僕と逢うからか、ミラさんは今日も種族的特徴を隠し、装いは清楚な感じ。良家のお嬢さんのようだ、と思いながらも近づいていく。

 すると僕より先にミラさんへ近づく人がいた。


「なぁお嬢ちゃん、朝見た時も座ってなかったか?」


 赤ら顔の中年男性だ。服装からすると冒険者だろうか。有望な新人や世界ランク上位百位までのパーティーは把握しているが、知らない顔だ。

 酒瓶を片手に、ミラさんに絡む男性。


「人を待っているんです。私が少し早く来てしまっただけなので、お気になさらず」


 朝からもういたとなると、ミラさんは一体何時間僕を待っていたのだろうか。

 視線も合わせないミラさんに、男性はむっとしたようだ。


「お嬢ちゃんみたいな別嬪さんを待たせるなんてしょうのない男だな。オレなら、んなことはぜってぇしないぜ」


「そうですか。でも、貴方は彼ではないので」


「……少し酒でも飲めば、どっちがいい男かすぐに分かるさ。なぁどうだ、今から」


 肩へ手を伸ばす男性を、ミラさんは払い除けた。


「放っておいてもらえませんか」


 だが、僕は気付いた。

 その体が微かに震えていることに。

 ミラさんの実力なら、目の前の男性は大した脅威にはならないだろう。

 ……では、何を怖がって。


「てめぇッ! 人が優しくしてやりゃあつけあがりやがって!」


「優しい人は、嫌がる女性に言い寄ったりしないと思いますけど」


 ようやく二人の近くまできた僕が、男性の振り上げた腕を掴み、そのまま捻り上げる。


「なんだてめ……あだだだだッ! いでぇッ! 折れる!」


 ただでさえ酔っているところに『混乱』を掛けて対応を遅らせ、防御力低下で痛みへの耐性を下げる。

 男性は膝をつき喚いていたが、すぐに「おい分かった! オレが悪かった!」と叫んだので解放した。

 しばらく右腕が痛むかもしれないが、女性に手を上げようとしたことを思えば安い罰だ。


「こんにちは。早いですね」


 彼女に微笑みかける。

 ミラさんは目を見開き、何か呟いた。

 ……よく聞き取れなかったけど、『また』って言ったように聞こえたような。

 その時、ちりっと脳裏をかすめるものがあった。何かの記憶に繋がりかけた。

 酔っぱらい。男。吸血鬼の美しい女性。

 そしてブリッツさんとミラさんの会話も思い起こされた。


 ――『以前レメさんに助けていただいて、そこからの縁です』


 その時は魔王城への就職のことをぼかして伝えているのだと思った。

 でもおかしい。ミラさんとの縁は、僕がミラさんに声を掛けてもらったことが始まり。

 もしかして、やはり僕は以前どこかでミラさんに逢って――。


「て、めぇ……ふざけやがって! オレはランキング五百三十六位パーティーの【重戦士】メタル様だぞ!」


 男性が腕を押さえながら僕を睨んでいる。酒瓶は落としてしまっていた。

 女性に手を上げようとしておいて、自分の名前や【役職ジョブ】をペラペラ明かすのはどういうことだろう。いや、多分これで僕が怯えると思っているのだろうけど。


「あ……千位以内には入っているんですね」


 酔っていることを考慮してもあまりに無防備だったので、もっと下かと思っていた。

 純粋に思ったよりもランクが高かったことに驚いたのだが、男性は顔を更に真っ赤に染めた。

 酔いに加え、怒りで顔が紅蓮になっている。


「……ッ! ッ! 王子様気取りか、クソガキ」


 ちなみに今、ミラさん以外は僕を僕と認識出来ていない。

 頭の中で『他者の認識』を行う部分を混乱させ、『小柄な少年』以上の認識を行えなくした。


 また、そのこと自体に違和感を持つことも出来ないようにしてある。彼が僕を【黒魔導士】レメだと気づくことはない。

 周囲の人々にも、僕やミラさんに対してのみ同じ処置を施している。


 ミラさんと一緒にいることに何の不都合もないが、万が一にも『パーティーを追い出された【黒魔導士】レメ、魔物とデート!? 自分を捨てた親友に憤り情報提供か!?』などというくだらない記事を書かれるわけにはいかない。

 ミラさんだって余計なことが起きぬようにと、種の特徴を隠してくれているのだ。少しでもバレる可能性があるならば排除せねば。


「自分が悪いと認めたのではなかったですか?」


「黙れ!」


 めちゃくちゃ言うなぁ……。


「ダーリンっ、怖いですっ」


 ミラさんがそう言って僕の背中に身を寄せる。

 細い手と、柔らかい胸の感触。

 レメさんと口にしない為だろうが、ダーリンとは。

 ミラさんは演技派なので、すぐに恋人にベタベタする女の子になりきった。


「ダーリンを待ってるって伝えたのに、鼻息荒くして私に触ろうとしてきたんですっ。うぅ……怖かったよぅ」


 ミラさん?

 嘘ではないのだろうが、おかげで【重戦士】さんの目が血走っているんですけど。

 言い寄った女性にすげなくされ、その恋人に腕をひねられギブアップし、解放された後で脅してみたものの目の前でイチャイチャされた。

 どう考えても男性が悪いが、更に怒りを強めることくらいは分かる。


「ハッ、こんな貧相なナリしたガキがオレ様に敵うとでも思ってんのか? 不意を打たれなきゃボコボコだっつの。そんなのも分かんねぇとは、頭の悪い女だな」


 ……はぁ。

 馬鹿にされるのには慣れているし、それは別によかった。一々怒っても仕方ないし、傷つくは傷つくけれど大したことじゃあない。

 お酒を飲んで気が大きくなったり、判断が鈍ったりするのもよく分かる。

 そもそも戦闘職は気の荒い者が多いものだ。

 それでも、最低限求められるものがあると、僕は思う。


「自分に靡かなかったからって、女性をけなすなよ。器の小さい人だな」


 彼の顔に青筋が立つ。赤以外の色も加わったなぁ、とぼんやり考える。


「……オレ様は優しいからな、一発だ。一発で沈めてやるよ、クソガキ」


「この人に謝罪を」


「死ね!」


 拳が迫る。

 あくびが出るほど遅かった。いや、遅くした。

 おまけに攻撃力も全力で下げ、少し大げさな演出だが左の人差し指で拳を止める。


「な――」


 驚愕。そこに生まれる隙。


「貴方の優しさに、僕も応えようと思います」


 ふっと身を沈め、右拳を男性の鳩尾に叩き込む。


「ガッ……!?」


 防御力低下も忘れない。もちろん、死なない程度に加減する。

 素早く離れると男性が前のめりに崩れ、地面に吐瀉物をぶちまけているところだった。


「一発で沈めるのが、優しさなんですよね」


 聞こえていないだろう。

 腹部を押さえながらひたすらに嘔吐えずく。

 見ていてあまり気分のいいものではない。

 これでは謝罪も期待出来ないだろう。

 ミラさんが気にしてなさそうなところが救いか。


「冒険者はダンジョンを攻略し、人々に一時の興奮を与える仕事です。娯楽を提供する職業なんです。貴方の振る舞いを見た視聴者が、貴方のパーティーの攻略を応援出来るでしょうか」


 ガラの悪いのもいる冒険者業界だが、意外にもウケは悪くない。

 荒々しいダンジョン攻略を観たがる人も多いのだ。

 だからといって、私生活まで粗野に振る舞うというのは違うだろう。


 僕は彼の名前と順位、容姿を記憶し、冒険者組合に報告しようと頭に留めておく。

 もちろん目撃者としてだ。まだ冒険者の登録証も有効だし、無視はされまい。


「行きましょう」


「はいっ、ダーリン」


 ミラさんは僕の腕に絡みついた。

 なんだか上機嫌だ。

 広場から少し離れると、彼の仲間らしき数人の男性が「どうした?」と駆け寄っていた。プライドからか「なんでもねぇ……」と答える【重戦士】。


「混乱を掛けていたんですか?」


 ……気付いていたのか。そうそうバレるような使い方はしていないのだが。


「はい。もしまた話すことがあっても、僕だったとは気づかない筈です」


「さすがです」


「ミラさんは先に顔を見られているから、もし見かけたら気をつけて」


「心配してくれるんですね」


「その必要がないくらい、強いってことは分かっているんだけど」


「いいえ、嬉しいです」


 こてん、と肩に頭を置かれる。


「嬉しいですよ、ダーリン」


「……それ、そろそろやめませんか?」


 ミラさんは楽しそうだが、僕は無駄にドキドキしてしまう。恥ずかしいし。


「うふふ、そうですね。私も名前を呼ぶ方が好きですから、ここまでにしましょうか」


 それからミラさんは至近距離で僕を見た。


「今日はありがとうございます。休日にレメさんに逢えるなんて夢のようです」


「こちらこそ……その、色々お礼もしたいですし」


「はい。今日はうんと甘えさせてもらいますね?」


 彼女が行きたい場所というのが幾つかあるらしく、それに付き合うというのが今日のお出かけの流れだ。


「お手柔らかに」


「いいえ、だめです」


 ミラさんはとても嬉しそうに笑い、僕の手を引いて目的地へと向かった。



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