FILE23「さようなら」

 その男は、和登家の客室に数日前から住み着いていた。現当主である和登友愛は、自分の知らない内に男が一人住み着いていることにひどく困惑し、彼が祖父の客人であると聞いて更に顔をしかめた。


 もう何年も、祖父が客人を家に招いたことはない。そもそも祖父は、友愛の姉である由乃が家を出て以来家のことにはほとんど関わらなくなっている。食事の席に顔を出すことも少なく、大抵書斎にこもっているか、どこかへ出かけているのだ。


 そんな事情もあって、友愛は祖父の客人であるその男が気になっていた。


 男が来てから三日間、彼の世話をしている召使いから様子を聞き続けたが、その男は客室にいるだけでほとんど動きがない。時折どこかへ出かけているようだが、一日中客室にいることの方が多い。


 食は細く、ほとんど食べない日もある。ベッドの中で毛布にくるまったままでいることが多い。そんな彼を薄気味悪がる者もいたが、友愛は聞けば聞く程男のことが気になって仕方がなかった。


 一体何故この家にいるのか。祖父に聞いても適当に濁すばかりで何も答えてはくれず、話を聞いている者もいない。


 そして男が来てから四日目の夜、ついに友愛は男に直接会うことを決めた。


「少し、よろしいですか?」


「……おう」


 ぶっきらぼうな返事が返ってきてから、友愛は少し躊躇しながらも客室のドアを開ける。中に入ると、スーツをだらしなく着崩した男がベッドに腰掛けていた。


「……あな、たは……」


 その見覚えのある顔に、友愛は絶句する。


「ああ、そうか……アンタも俺の顔は知ってンのか」


 小さくため息をつきつつその男は、友愛から目をそらした。


「湯杉さんにはもう言ってあるんだが……アンタも口裏合わせちゃくれねえか?」


「七重……家、綱……」


 思わず呟かれたその名を、男は否定しない。その沈黙を、友愛は肯定と受け取った。












 翌日、湯杉さんは午前中にわざわざ事務所まで足を運んでくれた。ボクが直接和登家に行く、とは言ったんだけど、何故か湯杉さんは言葉に詰まってしまい、最終的にこの事務所が集合場所になった。


「……」


「あの……何か?」


 来客用のソファに座る湯杉さんに紅茶を淹れると、何故か湯杉さんは黙ったまま硬直してしまう。何か粗相でもしたのかと不安になったけど、湯杉さんは震える手で紅茶を口にした。


「……まさかお嬢様がお淹れになった紅茶をいただける日が来るとは……思いもしませんでした」


「実家だとこんな機会ないもんね……。どう?」


「おいしゅうございます」


 感慨深そうに紅茶を堪能する湯杉さんだったけど、やがて真剣な顔つきでバッグから一枚の封筒を取り出す。


「あまりのことに感じ入ってしまい、すぐに本題に入ることが出来ず申し訳ありませんでした」


「良いよ、気にしないで。それでその封筒が……?」


 湯杉さんはボクの問いに頷くと、そっとその封筒をボクに差し出した。


 お父さんの、遺言書。


 昨日、湯杉さんはお父さんの書斎を整理している時に遺言書を見つけた、と連絡してくれた。跡継ぎのことはもう友愛だと決まっていたし、後から聞いた話だけど、死期をある程度察していたお父さんは死ぬまでの間に大抵の引き継ぎはすませていたらしい。だから、友愛が読み上げたもの以外の遺書が残されていなかったことは大して問題にならなかったようだ。


 だけど昨日、もう一つの遺書が見つかってしまったのだ。


「……友愛はもうこれを?」


「ええ。既に目を通しておられます」


 それもそうだ。今の友愛は和登家の当主。真っ先に確認していて当然だ。


 封筒を開き、中に入っていた羊皮紙を開く。字はお父さんのもので間違いないし、羊皮紙はお父さんの趣味だ。


 何とも言えない緊張感が胸にのしかかってきて重苦しい。厭な感じばかりがする。


 ボクがもう、何かを察しているからなのかも知れない。


 ゴクリと生唾を飲み込んで、ゆっくりと目を通す。


「……っ!」


 そしてすぐに、ボクは血相を変えた。


「う、嘘だっ! なんだよこれ!」


 あまりの内容に遺書をくしゃくしゃにしそうになるボクを、湯杉さんは慌てて立ち上がって止める。


「落ち着いてくださいお嬢様! これが真実かどうかはまだわかりませんが、岩十郎様はこのような悪質な嘘をつく方ではありません!」


「でも……でもっ!」


 何度読み返しても信じられない。


 なんだよこれ。なんなんだよ。


 何一つ信じられない、信じたくないけど、辻褄が合ってしまう。


「そんなわけない……だって、だっておじいちゃんは……っ!」


 ボクの祖父、和登八郎は鯖島勝男と繋がっていた。


















 和登友愛は、定期的に家綱の元を訪れていた。最初は素っ気ない態度を取っていた家綱だったが、やがて少しずつ友愛と話をするようになっていた。


「おいおい、こんな朝から当主様が油売ってて大丈夫かよ」


「でも、買っていただけるのでしょう?」


「二束三文でな」


 友愛は穏やかにはにかむと、そっとベッドに座り込む家綱の隣へ座る。


「で、今日は何の話をすりゃ良いんだ? そろそろ由乃について話せるネタも尽きそうなんだがな」


 友愛は、家綱の助手をやるようになってからの由乃のことを聞きたがる。あれから毎日、暇さえあれば家綱の所へ来て由乃の話をして欲しいとせびっているのだ。


「そうですね……もう十分、あなたがお姉様のことを大切に思っていることはわかりましたし」


 友愛の言葉に、家綱は口ごもる。その後ろめたそうな表情を見て、友愛は悲しげに目を細めた。


「……何故、戻らないのですか」


「もう、話しただろ」


「ええ、理由は聞きました。ですが、今日までの話を聞いて納得出来なくなりました」


「あ? 逆だろ」


「……そうでしょうか」


 真っ直ぐに家綱を見つめる友愛の視線から、家綱は思わず逃げてしまう。


「あなたが、あなたの手で守ることは出来ないのでしょうか」


「……出来るならそうしてる。出来ねえんだよ、もう俺には」


 そう言って、家綱は右手を握りしめる。そうやって握った拳が、左手よりも一回り小さくて怖気が走った。


「見ろよ。俺の手を」


 不揃いな両手を突き出して、家綱は自嘲する。


「もう、どんどんコントロールが効かなくなってる。人格が切り替わらなくなった代わりに、身体はどんどんおかしくなってンだ」


 よく見れば、家綱の瞳は片方だけ蒼い。適当にはねた硬く黒い頭髪の中に、色も質も違う束も混じっている。


「守るどころか、俺自身がアイツを傷つけちまう」


 友愛は今日までの間に、ほとんどの経緯を聞いている。家綱の身体のことも、過去のことも。


 どれだけ家綱が由乃を思っているかも知っていたし、セドリックの危険性も友愛は理解していた。


 それでも。


「それでも、私は、お姉様の傍にあなたがいてほしいと思います」


「買いかぶり過ぎだ」


 そう言って深くため息をつきながら、家綱は左手で顔を覆う。友愛の真っ直ぐな瞳を、見つめ返すことが出来なかった。


「だってお姉様は、あなたと出会ってから変わったのですよ」


 和登家にいた頃の由乃は、滅多に笑わなかった。厳しい教育に締め付けられ、身動きも出来ないまま悶え続けていた。当時の友愛にはその苦しみが理解出来なくて、すれ違ってばかりだったけれど、当主になった今、ようやく姉が抱えていた重責が理解出来るようになった。


 しかし、いつだって暗い顔をして、何かに怯えながら生きていた姉が、笑っていた。


 家綱と出会って、助手をするようになって、長かった髪もバッサリ切って、話し方も変わって。ああきっと、ようやく窮屈なしがらみから解き放たれたのだと友愛は思った。きっとあの姿こそが和登由乃なんだと。


「本当のお姉様を見つけ出したのは、あなたなのですよ。それはきっと、お姉様自身もわかっているハズです」


 ――――あの時家綱がボクを見つけてくれたから……。


 由乃の言葉が、家綱の中で深く刺さる。滲んだ血が止められない。刺さったままの言葉を、抜けない。


 しばらく友愛は黙ったままの家綱を見つめていたが、やがてハッとなって目を伏せる。


「……ごめんなさい」


「謝るこたねえよ。アンタの言う通りだ」


 そう言って、家綱はベッドの上に身体を投げ出す。そんな様子をしばらく見つめた後、友愛はふと腕時計を見て立ち上がる。


「どうした?」


「ごめんなさい、そろそろ時間が……」


「そうかい。またな」


 家綱のその言葉に、友愛は答えないまま部屋を出ようとしたが、入り口でピタリと足を止めて振り返る。


「ここで会うのは、今日が最後になることを祈っています」


 それだけ告げて、友愛は家綱の返事を待たずに部屋を後にする。その背中を視線だけで見送ってから、家綱は仰向けのままため息をつく。落ちて戻ってくるため息が、生ぬるく重い。まとわりついてきて気分が悪かった。


「なあ、教えてくれよ……どうすりゃ良いんだ?」


 兄貴。と、もう二度と返事のない呼び名を呼んで、家綱は目を閉じた。


















 黒く巨大な門が重い。


 まさかこんな形でまた和登家に戻ってくることになるとは思わなかった。


 湯杉さんの止める声も聞かず、ボクは事務所に湯杉さんを置き去りにしたまま和登家へ向かった。もうしばらくくぐるつもりのなかった門をくぐりながら、ボクは実家を見上げてため息をつく。


「お、お嬢様!?」


 誰も呼ばずに黙って門を開いたせいで、かけつけた使用人がボクを見て目を丸くする。


「……えっと、ただいま……? あの、おじいちゃんって今いる?」


「は、はい、お帰りなさいませ。お祖父様でしたら、今は書斎にいらっしゃいます」


「……そっか、ありがとう。ちょっと話があるだけなんだ」


 それだけ伝えて、ボクは半ば振り切るようにして家の中に入っていく。突然帰ったボクに、家の人達はかなり慌てていたけど、全て適当に返事してボクはまっすぐこの家の二階にあるおじいちゃんの書斎へ向かった。


 ここに来るのは何年ぶりだろうか。


 幼い頃、何もかもが嫌になったらまずこのドアを叩いていた。


 いつもそこにはおじいちゃんがいて、泣きじゃくるボクを慰めてくれて、お菓子なんかもくれたっけ。


 部屋にはたくさんの本があって、いつの間にかボク用の棚まで作られていた。お父さんにあまり読ませてもらえなかった漫画とか雑誌とかが置いてあって、ボクにとってはすごく新鮮だった。


 本のにおいとか、おじいちゃんの声とか、もらったお菓子の味とか、温かい思い出ばかりだ。


 なのに。


 なのに何で、こんなにこのドアは重く見えてしまうのだろう。


 叩けばいつもの声が聞こえてきて、よくきたのぅだなんてなでてくれて……またお菓子でも食べながら色んなことを話して。そんな希望を、お父さんの字が塗り潰す。まるで思い出が奪われてしまったかのように遠い。これは本当にボクの記憶だったっけ? そんなことさえ思ってしまう。


「……おじいちゃん、いる?」


「おお、由乃か。入っておいで」


 ドアを叩くと、いつもの声が聞こえてきた。


 中は思い出と変わらない、広い書斎だった。本棚が立ち並んでいて、中央のデスクでおじいちゃんはいつも通り笑顔でボクを待っていた。換気しているのか、開け放たれた窓から風の音が聞こえてくる。


「どうした? やっとおじいちゃんに会いに来てくれたのか?」


「うん、まあ……」


 どう話を切り出せば良いのかわからず、ボクは歯切れ悪くそう答える。すると、おじいちゃんは何か察したのか真剣な顔つきでボクを手招きする。


「おいで。何か悩みがあるならおじいちゃんがいくらでも聞いてあげよう」


 ああ嫌だ。


 何でこんなに白々しく聞こえてしまうんだ。


 だけどここまできて迷っていても仕方がない。だってボクはもう、選んでいるから。


 和登家ここじゃなくて家綱を選んだ。だからもうきっと、思い出にも背を向けなくっちゃいけない。


「おじいちゃんってさ、お父さんとは、仲が悪かったの?」


「えぇ? そんなことないよぉ……? わし、岩十郎のこと愛しとったよぉ?」


「……だったら、葬式くらい来てくれても良かったじゃない」


 おどけるおじいちゃんに冷たくそう言うと、おじいちゃんは緩めていた表情を引き締める。


「……すまなかった。由乃が怒るのも当然じゃな……わしは、自分のことばかりで、息子の死に目にも会えなかった」


「何を、してたのさ」


「仕事じゃよ」


「もうほとんどお父さんが引き継いでて、それすらもう友愛が引き継いでる。まだ何か他に、しなきゃいけないことなんてあったの?」


 ボクの追及に、おじいちゃんは顔をしかめる。おじいちゃんがボクにこんな顔をするのは、きっと初めてだ。


「由乃、何が言いたいのかはっきりさせたらどうかね。いくらおじいちゃんでも、そんな言い方をされるとムッとしてしまうよ」


「……そうだね、ごめん」


 一言そう謝って、ボクはまっすぐにおじいちゃんを見据える。そこにもう、いつもの優しい笑顔はなかった。


 吹き込む風が冷たい。思い出を冷ましてしまう。


 さようなら、ボクのおじいちゃん。


「鯖島勝男って知ってる?」


 一瞬だけ、おじいちゃんの表情が変わった。だけどすぐに取り繕って、おじいちゃんは笑顔を見せた。


「えっと……鯖、島……? ふむ、どれ調べてあげよう」


「いいよ、ボクは知ってるから」


 そう言ってボクは、ポケットから一枚の封筒を取り出す。


「その封筒は?」


「おじいちゃんの愛している人の遺書だよ」


 中から一枚の羊皮紙を取り出し、突きつけるようにしておじいちゃんに見せた。最初は困惑していたおじいちゃんも、内容に目を通す内に険しい表情に変わっていく。


「岩十郎か。まったくとんでもないものを遺してくれたな」


「……うん、とんでもなかった。ねえおじいちゃん、ここに書かれていることは本当なの?」


 ボクの問いに、おじいちゃんはしばらく答えなかった。だけど、遺書を読み終わったのか、やがてゆっくりと首を縦に振って見せた。


「うん、まあの。大体合っとる」


「おじいちゃんっ……!」


 まるで何でもないことみたいに、ケロッとした顔でおじいちゃんはそう答えた。その軽薄さが憎たらしい。


「あ~~~わし言うなって言ったのになぁ。ほんと親不孝モンじゃなアイツな? ま、由乃も結構親不孝モンじゃし似た者同士感あるのう?」


「なんだよそれ! 何ふざけてんだよ!」


 声を荒げるボクを適当に見つめながら、おじいちゃんはポリポリと後頭部をかきながら立ち上がる。


「あーはいはいそうじゃそうじゃ。わしこそが、鯖島勝男のパトロンにして、名探偵七重家綱の生みの親の……親? 和登八郎じゃよ」


 歪んだ笑顔がねっとりとボクの神経に触れる。逆撫でした上でべったりと貼り付いて剥がれない。


「何でこんなことしたんだよ……!」


「……だって死にたくないんだもーん」


「…………は?」


 おじいちゃんはおどけた調子を崩さない。ピエロか何かみたいにくねくねとわざとらしく身を捩りながら、そんなことをのたまった。


「わしどーしても死ぬの嫌でな? なんとか次の新しい身体でも作れんかなと思っとったわけよ。由乃、お前も候補の一人じゃよ」


 一番否定したかった真実が、おじいちゃんの……八郎の口から語られようとしている。


 ――――由乃、お前を父から守りたかった。お前には、父に打ち勝てるくらい強く育ってほしかった。


 お父さんの字が、脳裏をよぎった。


「そもそもわしの最初の計画は由乃……お前の若い身体をもらうことじゃったしな。意識を転移させるための研究は人造人間以上に進んどる。実用化まで秒読みじゃよわりと」


 グッと。拳を握りしめる。


 わかっていた、知っていた。全部遺書に書いてあった。


 なのにどうして、目頭が熱くなるのを止められないんだ。


「ボクに……ボクに優しくしてくれたのは……そのためだったの?」


「そじゃよ。まあもう保険程度にしか考えとらんけどな。もうじき、稀代の大天才、鯖島勝男の手によって人造人間を生み出す方法が確立される。最高のサンプルにして唯一の成功体である九号……七重家綱はわしの手の中にある」


 そう言って笑みをこぼしてから、おじいちゃんはぬっとボクに近寄り、人差し指でボクのおでこを強く押した。


「じゃからもう、お前なんかいらないよん。嗅ぎ回り始めたら鬱陶しいから一応家にいてほしかっただけなんじゃよ」


 ボクは、うまく言葉を返せなかった。


 軽く押されただけなのに、しっかり足に力を入れないと立っていられなかった。


「いやあしかし岩十郎ちゃんったら必死じゃったのぅ。かわいいかわいい愛娘に嫌われてまで必死で教育なんかしちゃってのぅ……あれ、逆効果じゃったのにな。おかげでおじいちゃんいっぱい好感度稼いじゃった」


「やめろ……そんな風に言うな!」


「えー、だって昔由乃も言っとったじゃろ。お父さんなんか大嫌い! おじいちゃん大好きぃ! って。ほら、また言って?」


 悔しくてたまらない。こんな奴に気を許していたことが、こんな奴をぎりぎりまで信じていたことが。


 思い出がどろどろ溶けて、なんだかよくわからない汚泥みたいなものに変わっていく。もう見たくもないのに、そこら中に溢れかえった汚泥がボクを苛んでいるみたいに感じた。


 何も知らなかった。


 今日まで何も気づかなかった。


 お父さんを嫌って、こんな嘘つきの手の上で踊っていた。ボクを本当に愛してくれていたかも知れないお父さんの死に目にすら会えなかった。


 悔しい。こいつの言う通りだ。ボクはどうしようもない……親不孝者だ。


「ゆる、せ……ない……っ!」


 嗚咽の混じった言葉は途切れ途切れだった。


 今にも歯が折れそうなくらい歯を食いしばって、ボクは力いっぱいおじいちゃんをにらみつける。それがおかしかったのか、おじいちゃんはにっこりと笑顔を見せた。


「まあそう言わずに許しておくれよ。おじいちゃんもう、お前の身体はいらんから。九号もほら、その内返してやるから……な?」


「そういう問題じゃない! おじいちゃん、自分がやったことがどういうことかわかってるの!?」


「おいおい八つ当たりじゃろ。岩十郎を信じられなかったのも、わしの手の上で踊ったのも、全部由乃じゃろ? 良くないのぅ八つ当たりは。親の顔が見てみたいわい……あ、もう骨か! ワハハ!」


 そうだ。全部ボクだ。ボクが一番許せないのは、ボク自身だ。


 だけど、コイツだって許せない。ボクを騙していたコイツが。家綱を苦しめた元凶であるコイツが。


「というか由乃! ありがとうが先じゃろ!」


「なんだって……?」


「お前の今日までの成長も、出会えた大切な人も……全部全部わしと鯖島が家綱くんを作ったおかげじゃろ?」


 頭が沸騰するって、きっとこういうことだ。


 だけど思わず振り上げた手の平は、いつの間にか背後から迫っていた何者かに掴まれてしまう。


「お、十号ちゃん! ナイス反応」


「え……?」


 ボクの腕を掴んでいたのは、口以外真っ白なのっぺらぼうだった。


 中肉中背で、ボロ布のようなものを纏ったそいつは男か女かも判然としない。前に研究所のカプセルの中にいた奴とよく似ている……ということは!


「人造人間……!」


「ええじゃろ。サンプルじゃけど」


 通称十号はボクをそのまま吹っ飛ばす。背中から本棚に激突して、ボクは血反吐を吐きそうになりながら身悶えた。


「かっ……!」


 本棚によりかかるような体勢になりながら身体を起こすと、上から何かの息遣いが聞こえて肩がびくついた。


「嘘……だろっ……!」


「十二号ちゃん!」


 本棚の上から、十号と同じようなのっぺらっぼうがボクに顔を向けていた。


「くっ……!」


 すぐに部屋から逃げ出そうとしたけど、ドアの前にも一体、人造人間が待ち構えている。


「で、あれが十一号ちゃんね。由乃気づいてなかったみたいじゃけど、実は一番最初に出てきたの十一号ちゃんなんじゃよ」


 もしかすると、おじいちゃんは最初からこうするつもりだったのかも知れない。わざとボクを煽って意識を引き付けて、逃げられないように人造人間で包囲するつもりだったのかも知れない。


 もしそうだとしたら……ボクはまた、コイツの手の上で踊らされていたんだ!


「クソ! クソぉぉぉぉぉ!」


 悲鳴じみた怒号を飛ばしながら、ボクは這いずるように本棚から離れようとする。だけど、既に接近していた十号がボクの襟元を掴み上げた。


「放せ! 放せよ!」


「由乃や、もう少しお淑やかにしなさい」


「うるさい! なんなんだよ! なんなんだよお前! クソ! 絶対許さないぞ!」


「えぇ……かわいくないじゃん由乃……わしショック。人造人間諸君、適当に痛めつけてくれたまえ。顔とか狙っちゃ駄目じゃよ? ボディねボディ」


 おじいちゃんがそう言った瞬間、十号の拳がボクの腹部にめり込む。あまりの激痛で意識が飛びかけたけど、何とか持ち堪えておじいちゃんをにらみつける。すると、十号はボロ雑巾みたいにボクを投げ捨てた。


「あ! 投げちゃ駄目! 顔とかわかりやすいとこうっかり怪我したら誤魔化すの大変じゃろ!」


「ボクを……どうする……つもりだ……」


 なんとか後ずさりながらそう言うと、おじいちゃんはニカッと笑う。


「うーん……どうせお前家出中じゃし、しばらく失踪しても問題ないじゃろ? 適当につかまえて、その内お前そっくりの人造人間でも作ろうかの」


 そう言いながら、おじいちゃんは何かを思いついたかのように両手を叩く。


「そうじゃ! やっぱわし由乃になるわ! お前そっくりの人造人間をわしの新しい身体にして、目の前で成り代わってやろうじゃないか!」


「そん、なこと……っ!」


 どこまでこいつは、人を馬鹿にすれば気が済むんだ。


 絶対にここから逃げて、こいつを止める。どんな手を使っても。


 そう考えたボクが真っ先に思い出したのは、開け放たれたこの部屋の窓だった。


 頼む、動いてくれ、ボクの身体。最後はどんなにボロボロになってても良い、絶対逃げて、コイツを止める方法を探さないといけない。


「うっ……おおおおお!」


 思い切り叫んで活を入れて、ボクは無理矢理立ち上がる。追いかけてくる人造人間に振り返ろうともせず、ボクはまっすぐに窓の方へ走り出した。


「あ! それはいかん! 止めるんじゃ人造人間諸君!」


 だけど人造人間の伸ばした手がボクを掴むよりも、身を投げ出したボクが落下し始める方が早い。


「あーーーーーーーー!」


「……ざまあ……見ろ……っ」


 身体が一気に重力に引かれていく。


 いくら二階とは言え、高さは普通の一軒家と比べ物にならない。最悪、このまま庭に叩きつけられて死ぬだろう。


 思わず、胸元のマラカイトを握りしめた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る