第2話 神様に会いに
足を踏み出すごとに、昼間では気付かないような草のすれる音がする。
夏場には山肌を暗くおおう木々も、今はまだ葉をまだらにまとってとがった枝もむき出しにさせていた。
「あ
ふと、枝が卓也の頬をたたいた。
「大丈夫?」
「おう。枝が多いから気を付けろよ」
「叶夢だったら絶対大ケガしたってパニック起こすね」
「あいつ大げさだからな」
陽菜は懐中電灯でぐるりと照らして、辺りの様子を確かめた。
凸凹としたけもの道、道の左側は地面が切り取られたようにただ暗い闇が深く広がっていて、懐中電灯の灯りさえも吸い込まれていく恐ろしさに、思わず陽菜は唇をかんだ。
「――何がそんなに怖いんだろうな」
ふいに聞こえた卓也の声に、今の様子を見てからかわれたのかと思ったが、どうやら違っていたらしい。
ここにはない遠くのものを見てつぶいているようだった。
「だってあいつさ、すぐに『無理』とか『できない』とか言ってすぐ逃げようとするじゃん」
「叶夢のこと?」
「甘やかされ過ぎなんだよな。無理矢理にでもやらせないと、出来ないからってやらないでいたらずっと出来ないままじゃん」
ひとつ、空に星が流れた。
「あいつあれで本当は運動神経いいんだぜ」
そこまで言うと、また空に流れた星に気付いているのかいないのか、大きく息を吐いた。
――やっぱり俺に気を使ってるせいなのか。
卓也はその言葉を声に出しては言わなかったけれど、陽菜には確かにそう聞こえた。
卓也は不器用だ。
その不器用さがうれしくて、彼には見えない暗闇の中で陽菜はにんまりと笑った。
「ふっふっふ。叶夢が相手してくれないからさみしいんでしょ。今年で小学校も卒業だし、今日だってホントは叶夢と一緒がよかったんだよね」
「はあ⁉︎ 別にそんな話してねえだろ」
「もう、素直じゃないなあ」
そう言ってパシンと卓也の背中をたたくと、「うわっ」とバランスを崩した卓也は腕を大きく回して足をふんばり、どうにか地面の切り取られた向こう側に落ちることはとどまった。
「――ここでそういうのはナシな。マジでヤバい」
陽菜は、本気であせっている卓也の向こうにある底が見えない暗闇をのぞき込んでうなずいた。
「そうだね」
「――まあ、陽菜ちゃんと卓也くんが?」
電話を耳に当てたまま廊下を進み、息子の部屋のドアを静かに開いた。
「いえ、うちの子はいるわ。よく寝てる」
廊下から差し込む明かりの中に、口を大きく開けて眠る叶夢の顔が見える。
「そうね。二人そろってということは誘拐じゃないとは思うけど……。警察? ああ、ええ、そうだけど。うちの子? そうねえ、何か知っていたら事前に教えてくれると思うのよ。ええ、ええ。そうね。わかった。わかったわ。――それじゃあそれまでに戻ってこなかったらそうしましょ。ほら、落ち着いて。ね。ええ、何かあったら連絡してちょうだい」
「――あ、また流れ星」
少しずつ流れる星の数が増えてきた。
「なあ、なんとなく来ちまったけど、本当にこっちでいいのか?」
「大丈夫。ほら、やっぱりこっちに落ちていってる」
陽菜が指で示すと、そこにまた星が流れた。
自信たっぷりな陽菜に言いたいことはあったが、眠たさもあり面倒くさくなってやめておいた。
対して陽菜は眠さというのを感じていないのか、目を大きく開いて生き生きと話しかけてきた。
「ね。卓也は神様に会ったら何をお願いしたい?」
卓也は何か言おうとしたが、すぐにそれは閉じてしまい、そして言った。
「そうだな。大金持ちになりてぇな」
どうせ神様なんかいるわけないけどな。
後から付け足した言葉が聞こえなかったはずはないのに、陽菜はなぐめるようにポンポンと卓也の背中を叩きながら、「大丈夫」と言った。「ちゃんと叶うよ」と。
卓也はどうしてだか泣きたくなって、だから強がってからかおうとしたがそれもうまくいかず、大人しくあきらめて、さっきから重たくなっているまぶたが落ちてしまわないようまばたきをくり返した。
夜空の星が白くにじんで見える。
「それで、陽菜の願い事って何なんだ」
「何にしようかなー。あ、みんなで南の島行きたい! あたし瀬戸内のおじいちゃんの所で三キロ泳げるようになったんだよ」
「そんなのプールでいいじゃん」
「じゃ今度の日曜日に一緒に行こうよ。叶夢も誘ってさ」
そろそろ山の中腹まで来た。
忠実に星の流れる方向へ進む陽菜は、すでに道になっている所ではなく、急な坂かゆるやかな崖かといった所まで登るようになっていた。
おかげで、小さな頃からこの山に慣れ親しんでいる卓也でさえも、初めて足を踏み入れる場所ばかりだ。
松の木のかたわらにある土粘土を固めたような大岩の数々を越え、小さな崖を登り切るとそこには造られたように平らな地面が広がっていた。
奥には黒い森が見える。
突然、陽菜がピタリと動きを止めて振り返った。
「あっちで何か音が聞こえない?」
卓也は耳を澄ましてみたが、何か聞こえるといえば風ですれる葉の音がしないでもない、くらいにしか感じなかった。
「猫かも。来る時にも見たんだ」
音が聞こえたという崖のある方向へ進みはじめた陽菜は
「おい、そっち危ねぇぞ」
と注意する卓也の言葉に
「大丈夫大丈夫。見るだけだから」
と笑って返した。
しかしさすがに暗すぎる。
先ほど岩を登る時に首に掛けた懐中電灯を外し、再び手に持った。
卓也も「しょうがねえな」と彼女を支えるためにそちらへ向かった。
卓也に支えられながら膝をつき崖の下の方を照らすと、何かがキラリと光って見えた。
「わき水じゃねえか?」
よくよく耳を澄ますと、かすかに水の流れる高い音だとわかる。
「なあんだ」
猫じゃないんだ、と陽菜は卓也の支えから離れて立ち上がり、ひざの汚れを払った。
しかしその足下はもろく、草は湿り気を帯びていて、バランスを崩すには最悪の場所だった。
陽菜がズルリと足をすべらせて前のめりになり、卓也がとっさに陽菜をつかまえようと腕を伸ばした。
だがそれはまるで、自ら崖に飛び込んでいくかのような勢いで、陽菜の小さな体が黒い崖の下へ落ちていくのはもう、どうにも止めることが出来なかった。
底まで落ちてしまうよりも前に、岩の横から枝を伸ばす大きな松が、陽菜を受け止めるべく待ち構えている。
重力に逆らえず落ちていくしかない陽菜の眼の前にあったのは、残酷に先端をとがらせた、冷たい松の枝だった。
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