第6話 わたしのままで、先輩のそばに
「やばいな、すでに柔らかい」
ステーキにナイフを通した瞬間、俺は思わず呟く。
「そうですね……。これはわたしもびっくりです」
その驚きは、蒼衣も同じだったらしい。「おぉー……」と、声がもれていた。
すっ、と切れていく肉は、レベルの違う柔らかさを主張している。すごいぞ、これ……。明らかに美味いやつだ。
切り分けた肉を、フォークで口に運ぶ。
そして、口に入れた瞬間、肉の香りがいっぱいに広がって──
「……やばいな。めちゃくちゃ美味い。柔らかい。やばい」
「先輩、さっきからやばいしか言ってませんよ」
「いや、マジで感想が出てこないレベルで美味い。食えばわかる」
そそくさと肉を切り分ける俺を見て、蒼衣が笑う。
「そこまでですか。では、そろそろわたしも」
そう言って、蒼衣は切り分けた肉を口へと運び──
「──っ!」
目を輝かせた。
「たしかにこれはすごいです! やっぱり高いお肉は違いますね」
「だな、脂も美味いしな」
そう、高い肉は脂が美味いのだ。くどさがなくて、甘い。このステーキも例にも漏れず、というやつだ。
「先輩、前にもそれ、言ってましたね」
「言ってたか?」
「言ってましたよ。ほら、前にステーキ、一緒に食べたじゃないですか」
そう言われて、思い至るのはあの日だ。
「ああ、付き合いはじめて1ヶ月のときか」
「そうですそうです! さすが先輩、覚えていましたか」
「まあ、それくらいは、な」
あの日は、俺にとっても印象深い1日だ。なにせ、付き合って1ヶ月。……まあ、ほかにも色々あったからな、うん。何とは言わないが。
……そういえば。
「あのときのステーキって、たしかソースは蒼衣が作ったんだったよな?」
「それも覚えていましたか。もちろん、今回もわたしのお手製ですよ? 腕を上げたと思いません?」
どや、と胸を張る彼女に、俺は茶化そうかと一瞬迷ったものの、本心を伝える。
「思う。前よりソースも美味い気がする。あと焼くのも上手くなってるな」
「ふふん、そうでしょうそうでしょう! わたしのお料理スキルは日々上がり続けているんです! すべては先輩に美味しいご飯を提供するためですよ!」
「飲食系会社の経営理念にありそうなこと言い出したな……」
「あながち間違ってませんね。わたしが料理する1番の理由ですし。むしろ、先輩かわたしが食べる以外には作りたくないです」
「……それは嬉しいんだが、多分それ、世間的には重いと思うぞ……」
「重いですか!? そんなことないと思うんですけど!?」
俺の言葉に、ショックを受けたのだろう。蒼衣が愕然と俺を見つめてくる。
「そうだな……。例えば、俺が蒼衣以外のためには何もしたくないし何もしないって言ったら、どうする?」
「素直に嬉しいです」
「そうですか……」
真顔で答える蒼衣に、俺はそうとしか返せない。
たとえが漠然としすぎていたか……。
「うーん、でも、重いですか……。今後のことを思うと、そういう風に先輩が感じたということはしっかり考えておかないといけませんね。小さなすれ違いが喧嘩の元って言いますし」
「喧嘩、か」
そういえば、蒼衣と喧嘩なんてしたことがないな。喧嘩するほど仲がいい、なんて言葉もあるが、俺と蒼衣の場合は、喧嘩する隙すらないらしい。
「ちなみに先輩、さっきの話以外にも、わたしのことを重いと思ったことってあります?」
「……ぶっちゃけると、あるな。それも結構」
「やっぱりあるんですか……それに、結構……。それ、いつごろからですか?」
またもテンションが下がった蒼衣が、しょぼくれながらも聞いてくる。下がった眉とちょっと涙ぐみそうな瞳。……ちょっと嗜虐心がそそられないこともないな……。
そんな邪な気持ちを抑えつつ、俺は淡々と口を開く。
「……わりと、最初から? だな……」
「最初からですか!? そ、そんな……じゃあ、どうすれば……」
次は、まるでこの世の終わりみたいな表情をしている。この顔、現代人がする表情じゃない気がするんだが。
「せんぱいぃ……どうしましょう……」
もはや泣きそうな蒼衣に、先ほど顔を出した嗜虐心が収まっていく。さすがに、というか普通に、蒼衣に泣いてほしくはない。
とにかく、何か言わないとな……。
そう思い、適当に口を開いてこぼれたのは──
「あー……その……あれだ。別に、どうもしなくていい」
紛れもない、本心だった。
「で、でも……」
「言っただろ? 最初からそう思うことはたまにあったって。……それでも今、こうしてるってことは、まあ、そういうことだ」
「どういう、ことですか……?」
「……そこ込みで、その、好きだから気にすんな」
「ぁ……」
蒼衣が、大きな瞳を見開く。
そして、何かを大切に、噛み締めるように、目を閉じて。
「……はい。じゃあ、わたしはわたしのままで、先輩のそばに居ますね」
そう言って、心の底から嬉しそうに笑った。
「だから、どれだけ重くても、受け止めてくださいよ?」
いつものように、からかうような声色で、でもその瞳には、そんな色はなくて。
……お手柔らかにな。
いつもの俺なら、そういうであろう言葉を飲み込んで、俺は短く答えるのだった。
「おう」
臨むところだ。
……なんてな。
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