第12話 コツは高く動かさず
「ではまず、お玉で生地をすくいます」
そう言って、蒼衣はボールから生地をすくい、俺に見せる。
「で、フライパンに落とすわけですが。ここが大事です」
「……と、言うと?」
「丸くしたいと思うと、お玉の場所を動かして成型したくなりますけど、それは間違いです。思っているより少し高めから、お玉の位置は変えずに落とします」
蒼衣は、説明しながら生地をフライパンに落としてみせる。十分に加熱された表面に、ゆっくりとクリーム色の生地が流れ、音を鳴らして焼けていく。
「おお……!」
最初は歪な形をしていたが、蒼衣が言った通り、だんだんと綺麗な円へとなっていく。
「じゃん! これが丸いホットケーキの作り方です」
「結構簡単そうだな」
「はい。大切なのは、お玉を少し高めの位置でキープすることだけです。次は先輩もやってみてください」
「おう」
「あ、ちなみにですけど……」
屈んだ蒼衣が、引き出しから何やら袋を取り出す。
空気の抜かれた透明な袋の中には、レーズンが所狭しと詰められていた。そんなものもあったのか。
「レーズンなんかを入れると、美味しかったりします」
言いながら、蒼衣は封を切り、先ほど落としたホットケーキの生地に、いくつかレーズンを落とす。
「へえ、絶対美味いだろうけど、考えたこともなかったな」
「そうなんですよね。わたしは家でそうやっていたんですけど、一般的じゃないらしいですね」
まあ、レーズンパンがあるのだから、味の想像はつく。間違いなく美味い。
そんな話をしているうちに、生地が焼けてきたのだろう。甘い香りと共に、上の方にぷつぷつと気泡が出来はじめる。
蒼衣は、手際良くひっくり返し、そのまま裏面を焼きはじめる。
「ひっくり返すの、上手いな」
一切ブレのなかったひっくり返しに、俺は思わずそう呟く。
「そうですか? 慣れてくればこんなものですよ?」
それに、なんでもないように答える蒼衣。これが経験の差か……。
だが、俺とてそれなりにひっくり返してきている。俺にも経験はあるのだ。
「……蒼衣のあとにひっくり返すのは普通に嫌だが、まあいけるだろ」
「先輩、その前に丸く焼く方ですよ」
「おう」
狐色より少し薄めの色に焼けたホットケーキをフライパンからどけた蒼衣は、俺にお玉を手渡してくる。それを受け取り、俺は手元にあったボールから、生地をたっぷりとすくう。
「先輩、その量はひっくり返すの、大変だと思いますよ?」
「……」
俺は、大人しくアドバイスに従い、生地を少し減らして、蒼衣と入れ替わり、コンロの前に立つ。
「……よし、いくぞ」
「……緊張してます?」
「……なんとなく」
蒼衣のからかうような声に、少し顔が熱くなりながら、俺は生地を落としていく。
お玉の位置は少し高めで、場所はキープ……。
うわ、ズレてきた。丸くない。動かしたい──ッ!
「先輩、そのまま、そのままです」
思わず動きそうになった手を、蒼衣が上から握り、静止する。
思わず、びくりとはねるが、蒼衣のおかげで手元は動かず、生地は丸くなっていった。
「おおー……出来るものだな」
綺麗に丸くなった生地を見て、思わず漏らす。今までまったく出来なかったのに、こんなに綺麗に出来るとは、感動だ。
「動かさなければ、ですけどね。動かすと絶対おかしな形になりますから」
「しっかり覚えておきます、先生」
「はい、覚えておいてください」
胸を張って、得意げにそう言った蒼衣と目を合わせ、どちらからともなく吹き出す。
そうしているうちに、火が通ったらしく、また気泡が浮かんでいる。
「……よし、いくぞ」
「さっきも聞きましたけど、緊張してます?」
「これ緊張するだろ……」
フライ返しを勢いよくホットケーキの下に滑り込ませ、持ち上がるかを確認。そして、勢いよく、一気にひっくり返す──!
「よっ──!」
一瞬宙に浮いたホットケーキは、フライ返しに導かれ、綺麗にその場で一回転──とはいかず。
「……先輩、これも練習しましょうか」
「……はい、先生……」
フライパンの縁にぶつかり、ひん曲がっていた。
……綺麗な丸は、歪な楕円になっていた。まさかこっちでつまづくとは……。俺の経験とはいったい……。
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