エピローグ 昼の講義には遅刻しない

「そういえば、蒼衣は明日、何限からなんだ?」


「ええと、2限だった気がします」


そう言いながら、蒼衣が器用に俺の撫でる手を避けながら、スマホを手に取り、時間割を確認する。


「合ってました2限からです。先輩は何限からですか?」


「俺は3限。昼からだ」


「えぇー、一緒に行けないじゃないですか」


「そんなこと言われてもなあ」


「先輩、2限の時間に一緒に行きません?」


「俺は3限まで何してればいいんだ……」


冷房を求める夏ならともかく、わざわざ春の暖かい日に大学で時間を潰す理由がない。夏休みに比べて、学生の数も当然多いし。


「課題とかやればいいと思います」


「最初の講義から課題なんか出ねえよ」


「……むぅ」


蒼衣の膨らんだ頬をつつくと、むに、と押し返してくる。なんだこれ、クセになるな。


何度かつついていると、ぷす、と空気が抜ける音がした。


「せめてお昼ご飯は一緒に食べたいです」


「……まあ、昼飯は家にいても食わないしな」


「そこは食べてください」


「忘れるんだよなあ」


気がつけば家を出る時間、なんてこともよくある話だ。……まあ、昼まで寝ているからなのだが。


「とりあえず、昼の休み時間には大学にいるから連絡してくれ。多分席取ってるから」


「わかりました。講義が終わったら連絡しますね」


蒼衣はそう言うと、体を起こす。デジタル時計の液晶は、そろそろ日を跨ぐことを告げていた。


「……明日、しっかり起きてくださいよ? わたし、起こしに来れないんですから」


「さすがに大丈夫だ。昼だし」


「……ほぼ夕方まで寝てる人がよく言いますよ、まったく」


ため息を吐きながら、蒼衣が荷物を手に取り、玄関へと向かう。


それを追いながら、俺は適当な言い訳をしておく。


「昼は昼だからセーフだろ」


「……一応言っておきますけど、普段通りに起きたら遅刻ですからね?」


「わかってる。大丈夫だ」


靴を履きながらそう言う俺に、扉を開けた蒼衣が、じとり、と視線を向ける。


「……疑わしいですね。お昼に連絡が来なかったら起こしに帰ってきますからね?」


「……じゃあ寝てていいか?」


「ダメに決まってるじゃないですか! もう!」


語調では怒りながらも階段を静かに降りていく蒼衣の後ろ姿を見ながら、器用なやつだな、と思う。


「冗談だ。というか、昼からの講義に遅刻はさすがにまずい」


昼からの講義は、どんな学生でも基本は遅刻しないものだ。それに遅刻するのは、電車で来ている学生が遅延に巻き込まれたときくらいだろう。


「わたしとの約束にも遅れないでほしいんですけど……。でも、そこまで言うからには、絶対遅刻しませんよね?」


「しねえよ」


「じゃあ先輩、遅れたらケーキ買ってください」


ぴっ、と人差し指を立てる蒼衣に、俺はにやり、と笑う。


「いいぞ。そもそも遅刻しないからな」


「じゃあ先輩、また明日です。ケーキ何にするか考えておきますね?」


マンションの前で、くるり、とこちらを向いた蒼衣が、悪戯っぽく笑ってそう言う。


「……お前、俺が起きることを信じてないな?」


「日頃の行いですよー!」


俺の呆れた声に、蒼衣はそう残してマンションのエントランスへと入って行った。


エレベーターへと乗り込む蒼衣を見届けて、俺は来た道を戻る。


……絶対、明日は起きてやろう。目覚ましは何重にもセットしてやる。


そう決めて、俺はスマホにアラームの設定をしはじめた。


……そこまでしていたのに、無意識にアラームを止めていて遅れかけたことは、また別の話。

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