第22話 笛の苦難

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 無念としか言いようがなかった。笛は唇を噛みながら黒様の太刀、小烏丸に目を落とす。

「おい、笛、いつまで裸のままでいるつもりなのじゃ」

 カエルが目尻を下げてニンマリと笑う。

 笛は愉しむカエルを前に裸体を晒していることに羞恥を思う。むざむざと助平カエルに観賞されていることに腹立たしさもあった。それでも、身に降りかかる難儀を思えば致し方なしか。

「煩い、少し黙れ、カエル」

 笛はカエルを睨み付けた。この閉塞感が、どうにももどかしい。だいたい、事情通だか眷属だか知らぬが、確たる根拠が示されたわけではない。このような怪しげな者を頼みにして良いのだろうか。 

 ――なぜ、この様なことになってしまったのか、笛はギュッと眉根を寄せた。

 笛は、癇癪を起こしている珍妙な生き物を見た。カエルは手足をバタつかせながら無礼だとか敬称がどうとか言っていきり立っていた。

 このカエルは父を知り、笛が訪ねてくることを承知していた。その上で、これが順路で間違いないと断言していたが、さてと、どうしたものか。

「まずはこのおかしな状態を何とかしなくては。これでは埒が明かない」

 ともかく不便で仕方が無い。笛の透けた身体は幽鬼の如くで、物体に干渉することを許さない。このように現世との関わりをすっかりと絶たれてしまっては動きようもない。試しに両手で印を組むが、重なる手は互いに透過してすれ違うばかり。声が出せるのならばと呪を唱えてみるも、呪力を発揮させることが出来なかった。

 いま、何より悔やまれていることは肉体を失ったこと。自分の身体はどこにいったのだろうか。――失ってしまったのか、それともカエルに隠されたのか。

 ここで笛は、はたとカエルの言葉を思い出した。混乱の最中で聞いた言葉だったが、しっかりと耳に残っている。カエルはあの時、笛が死んだことを情けないと嘆いていた。

「――やはり私は、死んだのか……」

 ならばもう、笛にはやりようがない。

 心の中がもやもやとした。本当に死んだのならば諦めるより他はない。行く先が地獄であるのか天国であるのか知れないが、どちらにしてもこのまま消えゆくのを待つしかない。なれど、笛には死んだ自覚がない、というのもおかしな表現であるが、彼女はその実、死よりも生を感じていた。

「身体は死んだが、心は死んではおらぬよ」

 カエルが得意げに話す。

「心? これは心なのか? でも……」

 笛は透けている己の手をマジマジと見た。確かに姿形には覚えがある。それでも肉体を失って心が残るということには納得しようもない。魂魄だと言ってもらえればまだ理解は出来るのだが。

「カエル、それはどういうこと? 心とは? 魂というべきなのではないのか」

 尋ねると、カエルが物言いたげに咳払いをする。笛は首を傾げながらカエルの濡れた黒目を覗き込んだ。すると今度は、威張るように胸を張ったカエルがやれやれとぼやきながら大きな溜め息をついた。

「何か?」

「何か、ではない! 何度言えば分かるのじゃ!」

「何が?」

「はぁ? お前、話をちゃんと聞いておったのか。わしは雨の眷属、雨声様じゃ!」

「あ、ああ」

「ああ、じゃない! さっきから何やらジタバタとしておるが、そもそもお前は事情というものを何も知らぬのであろう。聞きたいのではないのか? 救いたいのであろう? その為にも聞かねばならぬのではないのか」

 腕を組んだカエルは拗ねるようにそっぽを向いた。

 言われてみれば確かにそうだ。一人であれやこれやと考えても仕方がなかった。笛は事情を知らない。ならば、知る者に尋ねる方が話は早い。それでも……。

「何故に目を細めて見る。お前、もしかしてわしを信用しておらぬのか?」

「それはそうでしょう、いきなり目の前に現れて眷属だの何だのと言われても、確証がもてないではないですか」

「……まったく、清貞のやつめはどういう教育をしてきたのじゃ」カエルは腰に手を当ててぼやくと、そのまま呆れた息をつき、恨めしそうに笛を見上げて言葉を続けた。「まぁよい、ことは道々に話すとする。わしのことはその内に信じてもらえればよい。導いてやるぞ、これはお前の父親との約束でもあるでの」

「父との約束……それに道々って? 何処かに行くのか? カエルと?」

「雨声様じゃ。呼び方に気をつけろ」

「はあ……」

「嫌ならばここで腐っておれ。わしはそれでもいっこうに構わぬでの。なに、約束を違えたのが相手の方ならばそれも致し方なしじゃ」 

 いってカエルが背を向ける。そのまま草叢の中に去ろうとする。

「ま、待って、カエ……、いや、雨声様!」声を上ずらせてその名を呼んだ。「カエル様! 雨声様!」笛は静まる草叢に向かって声を張り上げた。

 暫くすると……草を掻き分け、雨声がピョコリとしたり顔を覗かせた。

 呆れて笛は舌打ちをする。満面の笑みを浮かべる雨声の顔が何とも言えず憎々しい。

 これでいいのか、この曲者のカエルに従う他に方策はないのか、笛は迷う。  

 黒の姫、笙子が囚われている。これは一族の存続の危機である。このような一刻を争う時に躊躇する余裕はない。それに、手帳に示されている父の言葉は真言である。

 ……よもや、これは試練なのだろうか?

 このような突拍子もない事態も父の施しなのだろうか、ならばこの出会いには何かしらの意味があるはずである。

 笛は、強ばる頬を緩め、なるだけ可愛らしく見えるように笑みを作った。――ここで放置されてしまえば万事窮する。とりあえず今は従うフリをして現状を見極めよう。巧妙に仕組まれた罠のようにも思えるが、手立てを持たぬ以上はやむを得ぬ。相手が何者なのかは追って判断すれば良いだろう。

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