薄暗く、静かなこの空間、ほっと心が休まる。

 出てきた店主がまた、一見すれば男とも女ともわからないほどに美しく、アラバスターのように白く滑らかな肌はこちらをどきりとさせる。

 だが、どこか店主の放つ空気は僕と似ていて、僕は言うつもりも無かったのに「同じ人種」と言葉を発していた。

 そう、同じ人種、同類。しかし、それは僕のものとは違う。

 僕は僕自身が作り出したもう一人の僕を演じた結果生まれたもの。

 そして、僕が演じてきたのは馬鹿馬鹿しく明るい道化。

 そんな僕に彼は言ったのだ。

「向き不向きがある」

 と。

「その昔、道化は特権階級の者に仕え、主人やその周りの者達を笑わせることを仕事としていました」

 ぼんやりとただ自分のことだけを思い出そうと考える男の背後から、不意に聞こえてきた声に男はびくりと体を揺らす。

「しかし、ただ笑わせ、へつらう存在ではなかった。時には王にさえ、己の意見を、それこそ逆らうような発言を自由に述べることの出来る唯一の存在だったのです」

 一体そんな話しをしてどうするつもりだ? マスターの話の意図が全く分からず、男は首を傾げながら自分の斜め上から聞こえてくる声に耳を傾けた。

「道化である貴方は己の意見を包み隠さず、自由に述べることができましたか?」

 マスターの気配を右肩に感じた男は少し身体を左に寄せる。

 すると目の前にコースターが敷かれ、一つのグラスが置かれた。

 グラスが置かれればマスターは位置を変えて男の斜め前にやってくる。

 それを合図に、マスターに背を向けている間は無表情だった男の顔は、一瞬にして笑顔を貼り付けて頭を上げた。

「おや、これは一体何の真似だい? 僕はオレンジジュースなんて頼んでないよ」

 再び男は声の調子を上げて、おどけを含んだ物言いでマスターに笑顔を向ければ、マスターは唇の端を持ち上げ、瞳を閉じ、頭を横に振る。

「これはオレンジジュースではなく、ミモザというカクテルです」

「へぇ、見た目はオレンジジュースそのものだねぇ」

「えぇ、オレンジジュースにシャンパンが入ったカクテルですから」

 相変わらず、変わらぬ笑顔を張り付けて微笑むマスターの様子を見て取った男は、自分の目の前に置かれてあるグラスに手を伸ばした。

 が、ふとマスターを見て手を止める。

「どうかなさいましたか?」

「頼んでも無いものをどうしてここに置いたのか、って言う理由を聞いてないなぁと思ってねぇ」

 別に毒が入っているわけではないだろうが、商売をしているものが勝手にカクテルを作り持って来れば警戒をして当然。

 男はぼったくられるのは勘弁だとグラスに手を掛けずにマスターを見て聞いた。

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