第29話 彼の追憶①

 ――生を受けたその瞬間から、日向夏癸の人生は決められていた。

 国内有数の大企業である日向グループの御曹司。将来は約束され、周囲からは跡取りとしての期待と重圧を背負わされた。

 父のゆずるはグループの代表として多忙な日々を送り、休日でさえ顔を合わせることは少なかった。時折顔を合わせたときにかけられる言葉は「日向の跡取りとして相応しい振る舞いをしなさい」というようなことばかり。親子のふれあいは全くと言っていいほどなかった。

 母の楓は夏癸を産んでから体調を崩しがちになり、物心が着いた頃には入退院を繰り返すようになっていた。家にいるときもベッドの上で過ごすことが多く、家事や夏癸の世話は家政婦や世話係が行なっていた。実の母に母親らしいことをされた記憶はほとんどない。

 

 都内一等地に建つ広い家。家具や衣服は上質な品で揃えられていた。普段の食事は家政婦が用意していたが、ときにはプロの料理人を自宅に呼ぶこともあった。テーブルマナーの練習と、本物の味を知っておくようにと。家での食事は一人きりで摂ることが多かった。

 父や親族に連れられ外食やパーティーに行くこともあった。料理は美味しいはずなのに、緊張し通しで味などよくわからなかったことを覚えている。

 通学は世話係が車で送迎をし、放課後には家庭教師による学習指導や習い事が毎日のようにあった。

 英会話にヴァイオリン、社交マナー。日向の家を継ぐ者として必要とされる教養を幼い頃より身につけなければならなかった。

 生活は恵まれていたが、幼い頃の夏癸にとってこの世界は酷くつまらないものに思えてならなかった。心の片隅にはいつも空白の隙間があった。

 

 学校に友人はいたけれど、親しく接してくる同級生の裏には日向グループの人間と良い関係を築きたいという親の意図があることが透けて見えてしまった。誰に対しても心を開くことはできず、幼稚部の頃から在籍した名門校には、本当の友人と呼べる存在はいなかった。

 勉強も運動も得意だった。日向の家を継ぐに相応しい人間になるようにと教え込まれ、何事も完璧にできなければいけないと思っていた。失敗は許されないと。

 けれど、いくらテストで満点を取っても、スポーツで活躍して歓声を浴びても、優秀だと教師に誉められても、心が満たされることはなかった。

 埋められない心の隙間。その感情の名前を知ることなく、子どもの頃の彼は周りの大人に求められるがままの振る舞いをしていた。

 

「お母様はご病気ですから、ご迷惑をかけてはいけませんよ。夏癸様はおひとりでも大丈夫ですよね?」

「幼いのに落ち着いていらして、流石は日向家のご子息ですね」

「きっと、お父様やお祖父様のように立派なお方になられるでしょうね」

 

 大人たちから向けられるのは勝手な言葉ばかりだった。

 ――日向家の跡継ぎとなる優秀な御曹司、日向夏癸。

 それ以外の生き方を選択する術などなかった。そこに彼自身の感情は介在せず、自分の感情を表に現す方法さえもよくわからなかった。

 勉学に集中するため、と娯楽の多くは父により制限されていたが、数少ない自由に触れられるもののひとつが活字の本だった。 

 初めは読書も勉強の一貫だったので面白いとも何とも思わずただ与えられる本を読んでいるだけだったが、あるとき読んだ物語に心を揺さぶられた。

 気まぐれに訪れた学校の図書室でふと目に留まった本。どうしてかはわからないけれど、その一冊に惹かれて手に取った。

 

 家族の話が描かれた児童文学だった。父と母、幼い兄妹。特別裕福ではない一家の、愛情と慈しみの溢れる物語の中には、夏癸の知らない温かな世界があった。

 大好きな両親や兄とはぐれて涙を流す妹の心情を読んで、自分がいつも感じていた心の中の空白が、寂しい、という感情なのだと初めて気が付いた。夢中になってその物語に惹き込まれた。

 漫画やアニメ、ゲームの類は禁じられていたが、小説を読んでいて渋い顔をされることはなかったので、空いた時間は読書に費やした。

 自分の意思で興味を持った本を選び、誰にも邪魔されることなく物語に身を委ねる。文字を目で追いながら、喜怒哀楽を知り、友情や冒険、無償で与えられる愛情など、彼の生活には存在しないものを疑似体験する。小説は、彼の孤独な心をほんの僅かでも癒してくれた。

 

 けれど、心が多少癒されたところで彼の生活は何も変わりはしなかった。周りの人間が望むまま、優等生像、御曹司像を演じてしまう。寂しい、などという言葉は誰にも言えなかった。自分の感情を吐露したところで、物語のように劇的に何かが変わるとは到底思えなかったから。

 

 ***

 

 夏癸が小学三年生に進級してしばらく経った頃には母はほとんど入院したきりになっていた。父は多忙の合間を縫っては母につきっきりになった。夏癸に目を向けることはほとんどなかった。

 見舞いのために病院を訪れたある日。いつも夏癸と顔を合わせても厳しい態度しか取らない父が、母に対しては優しい顔をしているのを見てしまったときは胸の奥がざわついた。

 

(どうして父さんは、母さんにはあんなに優しいのに僕の前ではいつも怖い顔をしているのだろう)

(父さんは、周囲の反対を押し切って一般人の母さんと結婚したって親戚の人たちが話していた。どうしてなんだろう。母さんのことを愛していたから?)

(どうして、その愛を子どもの僕には向けてくれないの?)

(僕のことが嫌いなのかな。子どもなんて欲しくなかったのかもしれない)

(母さんは僕を産んでから身体を弱くしたって聞いたから、母さんが病気なのは僕のせい? だから、父さんは僕のことが嫌い?)

 

 そんな考えばかりが脳裏をよぎったが、父親に抱いた疑問や不信感を口にすることはできなかった。そんな感情をぶつけられるほど父と向き合ったことはなかったし、何よりも思いついてしまった考えを肯定されるのが恐ろしかった。

 愛情を向けられることもないのに父の跡を継ぐようにと教育され、常に厳しい父親に対して抱いていた感情は畏怖や苦手意識だった。好意的に思ったことなどないはずなのに、それでも、心のどこかでは自分のことを見てほしいと思っていた。

 周囲に求められている通りの立派な人間になれば、いつか父も自分のことも認めてくれる。そんな風にひそかに抱いていた、希望、のようなものを根本から否定されたくはなかった。

 

 結局そのときは、平静を装って母を見舞い、適当な理由をつけて早々にその場を立ち去った。両親が揃っている場だというのに、息子である自分の存在はその場に相応しくないものに感じてしまったのだ。

 病室で顔を合わせる母は、いつも穏やかで、時折寂しそうな儚げな表情を浮かべていた。夏癸に訊ねるのは毎回同じこと。学校のこと、家での様子、勉強や習い事は大変ではないか、体調を崩してはいないかと。夏癸はただ義務的に答えるだけだった。

 青白い顔でベッドに座っている痩せた女の人が、自分の母親であると理解はしていても実感は薄かった。ご飯を作ってもらったことも、叱られたことも、甘えたことも記憶にない。


「いつも傍にいられなくて、寂しい思いをさせてごめんね」

 

 一度だけ、そんなことを言われたことがある。夏癸は平気だと答えた。そう答えるしかなかった。

 謝られたってどうしようもない。寂しさを抱えていたのは事実だけれど、病気の母親に不満をぶつけられるほど分別がつかない子どもにはなれなかった。

 ――母が亡くなったのは、それからしばらくしてからのことだった。

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