第17話 眠る前のひととき

「やっぱり六巻の結羅ユイラとエンの共闘は熱かったよねっ」

「わかる! でも十巻の殴り合いのシーンも好きだなー、あそこで初めてエンの本当の気持ちがわかったのがさ、めっちゃよかったよね」

「あー、それ。読んでてちょっと泣きそうだった! てか最近の展開やばくない? まさかあれが伏線? だったとはって感じでさ……」


 修学旅行初日の夜。

 就寝前の点呼は先ほど終わり、消灯時間が近付きながらも柚香となずなは同じベッドに並んで座り、『結羅のキズナ』という二人とも好きな少年漫画の話題で盛り上がっている。隣のベッドに座る茜は徐々に感じてきた眠気に少しうとうととしながらも、一人だけ先に眠るのは悪いような気がしてなんとなく二人の会話を聞いていた。


「ていうか恋バナしようって言ったのになんで漫画の話してるの!?」

「柚香が今週の『結羅』読んだかって聞いてきたんでしょー」

「そうだったっけ。まあいいや恋バナしようよ恋バナ。なずな好きな人いる?」

「いない。ていうかもう消灯時間だけど。柚香は誰かいるの?」

「まだ全然眠くないし。うーん、とくにいないな。修学旅行といえば恋バナだと思ったんだけど、盛り上がらないね。……てか茜、寝てる?」

「んー、起きてるよぉ……」


 ふいに顔を覗き込まれて、ふにゃふにゃした声で応えつつも瞼を擦る。朝が早かったのと疲労感が相まって本当に眠くなってきた気がする。


「茜はさー、やっぱり日向さんのこと好きなの?」

「……え?」


 突然柚香から言われた言葉に一瞬きょとんとした茜は、じわじわと頬に熱が集まってくるのを感じた。眠気も覚めてしまった。


「え、えっと、あの、その……え、わたし、そんなにわかりやすい?」


 思わずそう呟くと、柚香となずなの視線がじっとこちらに向けられた。


「えっ、マジで!?」

「茜ちゃん、そうなの?」


 二人に詰め寄られて、しどろもどろになりながら言葉を探す。


「いや、でも、まだ、よくわからないっていうか……夏癸さんは、家族、みたいなものだし……」


 そう口にしてから、自分で放った言葉がちくんと胸に刺さった。

 ――自分と夏癸の関係は、果たして家族と言えるものなのだろうかと時々考えてしまう。

 一緒に暮らしてはいる。けれど血の繋がりはないし、苗字だって違う。養子縁組や里親ではなく、未成年後見人、というものに夏癸はなってくれたらしい。

 その制度については自分でも調べてみたことがある。

 『未成年後見人は、親権者と同じ権利義務を有し、未成年者の身上監護と財産管理を行う。』と書いてあったが、実際の内容についてはあまりわからなかった。


 ネットで検索もしてみたが、茜と夏癸の関係と同じような事例は見つけられなかった。親族や弁護士がなることが多いみたいだということはわかったが、夏癸は赤の他人だ。弁護士というわけでもない。

 夏癸本人に訊ねてみると、「茜が二十歳になるまで、お金の管理やきちんと生活できるようにサポートをするということですよ」と教えてくれた。


「葵さんに頼まれていて、万が一のときのためにと遺言書も書いて用意していました。……本当に必要になるときが来るとは思いたくなかったんですけどね。普通に親代わりだと思って大丈夫ですよ。茜が大人になるまで、ちゃんと傍にいて面倒を見ますから」


 なにも心配することはない、と夏癸は優しく言ってくれた。

 けれど、彼の言葉がどうしても気にかかってしまった。

 ――二十歳になるまで。

 自分で調べてみた内容でも、未成年者が成人すると後見は終了すると書いてあった。

 つまり茜が成人すると夏癸は本当にただの他人になってしまうということだ。それ以降、彼と一緒にいられる保証は何もない。


 茜が不安になって泣いているとき、彼はよく「ずっと傍にいる」と言ってくれる。

 その言葉には安心できるし、信じてもいる。けれど、その『ずっと』がいつまでなのか、具体的に訊く勇気は持てなかった。


――大人になっても夏癸さんの傍にいていいですか?


 ふとした瞬間に湧き上がる疑問は、いつも口に出せずに飲み込んでしまう。

 いつまでも夏癸の世話になってはいけないとわかっている。

 大人になったら、きちんと自立して、自分で生活していけるようにならなくてはいけないのだろう。けれど、いまの茜にとって、いつか夏癸と離れなければいけない日が来るということは考えたくなかった。


 夏癸は優しいから、大人になっても傍にいたいとお願いしたら、構わないと言ってくれるかもしれない。だが、そのときは良くても、もしかしたら、いつか茜のことを疎ましく思うときも来るのではないだろうか。そんな想像もしてしまう。

 早く大人になりたいけれど、大人になるのは怖いような気もする。

 ――いまの生活が永遠に続けばいいのに、と馬鹿みたいな叶わない願いを抱いてしまう。


「……茜ちゃん? 大丈夫?」

「ごめん、やなこと聞いちゃった?」


 急に黙り込んだ茜を心配してか、なずなと柚香は気遣うような視線を向けてくる。

 ううん、と茜は小さく首を振った。


「大丈夫。……わたし、夏癸さんのこと、好きなんだと思う。たぶん、だけど」


 小さく呟いて、茜は俯きがちに視線を下げた。

 ――夏癸のことを、異性として意識していないと言ったら嘘になる。

 小学校高学年になった辺りから、その自覚ははっきりとあった。けれど、その気持ちが恋愛感情なのかは自分でもまだよくわからない。

 家族のように大切な存在だと感じてはいる。けれど、父親のようだとも、兄のようだとも思ったことはなかった。夏癸さんは夏癸さんだ、と引き取られたときからずっと考えている。


 大きくなったら夏癸お兄ちゃんのお嫁さんになる、などと小さな頃に言っていたような記憶もあるが、それはあくまで幼い頃の発言だ。初恋とも呼べないかもしれない。

 夏癸のことは信頼しているし尊敬もしている。何より、傍にいると安心できる。けれどそれは、一番身近に存在する男性で、他に頼れる人がいないからだろう。

 この気持ちを果たして恋と呼んでいいものなのか。


「恋とかしたことないからよくわからないけど……でも、夏癸さんとは大人になってもずっと一緒にいたいなぁって、思ってて……」


 そこまで言ってから、茜ははっと顔を上げた。

 なんだか恥ずかしいことを口走ってしまった気がする。


「茜、顔真っ赤だよ。かわいい」

「柚香―、茶化さないの」


 二人の反応に余計に頬が熱を持つ。


「でも日向さん素敵だし、好きになるのもわかるよ。あ、私は普通に小説が好きなだけだから、安心して」

「う、うん……?」


 妙に真剣な表情で言うなずなに戸惑いながらも頷いておく。けれど、茜は内心で首を傾げた。


(これが恋、なのかなぁ……違うような気もする、けど……)


 物語で読む恋愛感情と、自分が抱いている気持ちは別物のような気がする。もちろん、フィクションと現実は違うとわかっている、けれど。


(……恋って、もっと、ドキドキしたり、胸が苦しくなったり、その人のことしか考えられなくなったりするんじゃないのかなぁ……)


 夏癸に対しても、ほかの男の子に対しても、そのような感情を抱いたことはない。

 恥ずかしい姿を見られたときは心臓が破裂しそうなくらいドキドキすることがあるが、それは羞恥心によるものなのできっと別物だろう。

 恋愛感情、とは、やっぱり違うと思う。

 けれど、ひとつだけ。思い浮かべてしまった願いがある。


「恋人になりたいとかじゃないんだけど……でも夏癸さんと、本当の家族になれたら、いいのになって」


 思わず口にすると、柚香が突然目の色を変えた。


「結婚すれば、家族になれるよね!」

「えぇっ!?」


 色々なことをすっ飛ばしていきなり結婚などと言い出した柚香に度肝を抜かれる。


「そんな、大体、わたし、まだ中学生だし、夏癸さん十三歳も年上だし……っ」

「大丈夫、来年には十六歳なんだし、結婚できる歳だよ? 年の差婚って結構あるしワンチャンあるって!」


 まくし立てる柚香になずなが呆れたような顔を向けた。


「もうー、あんまり無責任なこと言わないほうがいいよ。そろそろ寝よ」

「えーもうちょっと話そうよ」

「明日早いんだから。茜ちゃんだって眠そうだし」

「あ、う、うん。柚香ちゃん、もう寝よう、ね?」

「わかったよー」


 なんとか話を逸らすと柚香は渋々ながらも頷いてくれた。なずなは壁際に陣取ったベッドに戻り、柚香も自分のベッドに入る。点呼の前に行ったけれど念のためにもう一度とトイレを済ませてから、茜はベッドサイドにある照明のスイッチへ指を伸ばした。


「電気、枕元のだけちょっと点けておいていい?」

「いいよー。茜、真っ暗だと眠れないでしょ」

「うん……」


 少し恥ずかしさを感じながらも、隣のベッドで寝る柚香の承諾を得て、枕元のぼんやりとした明かりだけを残して部屋の電気を消す。


「なずなちゃんも眩しくない?」

「大丈夫だよ。おやすみ」

「うん、おやすみなさい」


 真っ暗ではない部屋に安心してベッドに入ると、柚香がふいに顔をこちらに向けてきた。


「夜中にトイレ行くの怖かったら起こしていいよ?」

「だ、大丈夫、すぐそこだもん……っ」


 さすがに歩いて数歩の距離で怖がるほどではない。首を振って断ると、柚香は小さく笑った。


「ごめんごめん。じゃ、おやすみ」


 おやすみなさい、と小声で返して、茜はそっと瞼を閉じた。

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