6/25(木) 日野 苺②
勉強を教えて2時間弱。
「ふいー終わったー! 知実くんお待たせ、着替えてくるね!」
バイトを終えたいちごがリビングに上がってきた。カフェの制服であるピンクのワンピースを翻し、俺たちの前を通過して脱衣所に直行する。
まぶしい……。
そのままの衣装でも結構なのに……という声はのどから出かけて止まった。後ろから殺気がしたからだ。
「あたし、もうちょっとここにいようかなあ」
「いいけどさすがに俺も、自分の勉強するぞ?」
「いいよ。知ちゃんが変なことしないように見てるだけだから」
音和、怖い。
「へ、変なことって、柊と杏もいるのになにすんだよ」
眠そうに目をこすっている柊と杏のほうに、視線を誘導した。それでも音和は口をへの字に曲げたままだ。
「でもさ、自分のためにこんなに小さな子たちを夜更かしさせる日野さんってどうかと思う」
……辛辣だなぁ。日野に聞かれなくて良かった。
「だからいちごのバイト、2時間早く上がってるんだよ」
時計の針は8時をさしていた。
いつもはだいたい夜の10時までのバイトだが、今週は両親のはからいで、早くあがれることになっている。
「……もういいっ!」
だけど音和はなぜかむくれて、すくっと立ち上がって階段を下りて行った。
「なんだよ……」
少しだけイラッとして、帰っていく背中を見た。
「ねえねえ」
「おとちゃん怒った?」
心配そうに二人が声をかけてきた。
「なんなんだろな? まあでも、明日ちゃんと話すから大丈夫だよ」
「へーえらいな、すげえ」
柊の目はヒーローを見るようにキラキラ輝いていた。まいったな。
「本当にえらかったら、誰も怒らせないだろー」
苦笑しながらその小さな頭をなでていると、ぱたぱたといちごが戻ってきた。杏がうれしそうに声をあげる。
「ねえお兄ちゃんは、いちごおねえちゃんとおとちゃん、どっちと結婚するの?」
「「え!?」」
俺たちは同時に叫ぶ。うわ、なんて無垢な顔で超センシティブなことを言うのだ!
「ややや、やだ杏!」
やだってほら、否定されてるじゃん! って……ええええええ否定されてる!!?
軽く死ねる。
「? お兄ちゃん大丈夫?」
柊が俺の服を引っ張るが生気は抜けきっていた。
「そんなの、知実くんが困るよぅ……」
俺のななめ後ろでうつむき気味のいちごの言葉も、耳に入らないくらいに。
┛┛┛
それから気まずい中、俺の部屋へいちごを招き入れた。小さいテーブルを持ち込んで、向かい合ってノートを睨んでいるが全く頭に入ってこない。
違うんだ。下心で部屋に連れ込んだんじゃない。音和のようにリビングでやろうと思っていたんだけど、柊と杏が「ゲームするからあっち行って!」とか言うものだから。カフェもまだ客がいるし、しかたなく俺の部屋を無料開放しただけで!
どくん。どくん。どくん。
緊張で心臓の音がやたらとうるさい。
そしてさっきから手汗が止まらないのは、同級生の女の子に『知実くんの部屋って独特なにおいがするね♪』とか言われたらどうしよう……。とか、雑念が頭の中でぐるぐるしているからだ。
うおおおおおおおお集中できーーーんっ!!
「知実くん?」
「ひゃい!!」
噛んだあああ!!
いちご、顔しかめて口パクパクさせてるし。え、なに、なに!?
「におい……」
「げええええええええ」
キターーー!!
ああもうだめだ、やっぱりか! その先を言わせるわけにはいかない!!
バン!!と机を叩いて膝で立つ。
「ていうかさ、男の部屋って? そりゃちょっとは汗とかかくし変なにおいも多少はするっつーか? これは特になにか変なことをしているからとかじゃなくて女子みたいに体から香水を発するという特異体質を持たないから田んぼの下に力って書いて男って読むんですーーっ!!」
「……えっと、別にそんなこと思ってないんだけど……」
はっ!? じゃあどういうことだってばよ!?
「えっと、この公式なんだけど、△ABCにおいて……」
しまった三角形ABC“におい”ていたのか! って俺、どんだけ過敏になっているんだようわあああ!!!
終始微妙な空気のまま、初めての勉強会は終わった。
ていうか俺も、いろいろ終わったな……。
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