(4)時の番人「タイム」

「これ以上、この世界にいないものを連れてきたらどうなるか、わかってるでしょう!? 早くください!」


 血相を変えるヘンゼルに、ローズマリーは杖を構えたまま答えた。


「でも、ここでグレーテルに魔法を使わせるわけにはいかないから」


 はい? グレーテルちゃん!?

 魔法!?


 柚樹の目がグレーテルに釘付けになる。


「確かに、アタシの水魔法なら火炎系モンスターには効くけど」

「同じ水系魔法なら、リンちゃんにおまかせよ♡」


 ローズマリーが、にっこりとウインクした。


 白蛇に魚のヒレに似た、身体の割に小さい翼は、飛ぶには適していないように見えるが、リントヴルム本体の能力で空を飛ぶことができる。


 ファイアドレイクに巻き付くには十分な体長がある。空の上でうねると、リントヴルムの翼から水が滝のように降り注いだ。

 燃えていた木造の古い建物の火は消えたが、まだあたりには煙が立ち込め、焦げ臭い臭いも充満している。


 炎竜は暴れ、上空の白い竜に、いまいましそうに唸り声を上げた。


「ファイアドレイク、無駄な戦いはやめて、おうちに帰って。あなたをいじめたり、ましてや倒したりするつもりはないの」


 ローズマリーの呼びかけに炎竜が首を曲げ、鋭く光目を向けた。


「お願い」


 黄色い目には、小さく炎が燃えている。

 ドラゴンは水を振り払うように翼を羽ばたかせ、空に向かって吠えると飛び上がった。


「わたしの声が聞こえないみたい、あの子」


「やはり、術者が呼び出したんですね。そいつの言いなりなんだ。現れたのは偶然ではなく、ここに送りこまれたってことですよ!」


 ヘンゼルがローズマリーの腕を引っ張った。


「あれは——!」


 空を仰いだリゼが声を上げた。

 その唐突に現れた白く煙のようなものを全員が見上げる。

 キリッとした目元の、外見はグレーテルと変わらない十歳代ほどの少女が、ふらーっと、そこに漂っていた。


 ふしゅ〜〜っ、と白い蒸気が、ブーツやマントなどあちこちから吹き出す。

 ピンと立ったうさぎの耳付きフードのケープからは、二つに結んだ腰まである淡いミントブルーの髪が揺れていた。


 首元にゴーグルを下げ、至る所に見られる歯車のアクセサリーが目立ち、茶色い革製のレトロな小物をいくつか下げている。


 さらにただの少女らしからぬのは、突起を生やした輪が先端にある長柄武器を背負っていることと、矢筒のようなものも背負い、肩がけバッグほどもある大きな懐中時計を斜めがけにぶら下げていたことだった。


「タイムさん……!」


 リゼの口調は静かだが強い。


 うさ耳フード少女は、ピヨッとペンギンのような手つきの手を、わずかに動かした。


「ほう、ボクを知っているようだな」


 ボクっ娘だった!

 しかも、声かわいい!

 中学生くらい?


 何が何だかわからないが、それだけは柚樹の頭に浮かんだ。


「ボクは時の番人『タイム』。Timeタイムじゃない、ハーブのThymeタイムだよ」


「なんだ! リゼの知り合いなら安心だな!」


 ダージリンが笑ったが、リゼがタイムを見る目は、知り合いを見るような親しげなものではない。


「気をつけてください、ああ見えて彼女はベテランの『時の番人』で、……どこかイカレてます!」


 リゼの注告が終わらないうちから、タイムはニヤッと片方の口角を上げていた。


「そう、ボクを見た目で判断すると、痛い目みるよ。見た目はかわいい女の子でも、ボクは世界の異変に関わる時の流れを管理するという、重大任務を任されてるんだからねっ!」


 彼女が背負っていた筒の中から、二本の絡み合う植物モチーフで装飾された時計の針を連想させる、バラバラの長さの黒い鉄器に見えるものを、勢いよく投げつけた。


 手を離れて飛んだ瞬間、鉄器は人の子供の背丈を超えるまでに巨大化していく。

 よけ切れなかったファイアドレイクの身体に二本とも突き刺さった。


 暴れる炎竜の身体は、刺さった金属から蒸気を噴き出し、もがきながら消えていった。


「何をしたの!?」


 ローズマリーがタイムを見上げた。


「ボクはこの世界に存在してはならないものを排除したまで」


「排除? 元の世界に帰らせてあげたらなんとかできたのに。排除なんて、する必要なかったのに!」


 やるせない思いが、ローズマリーのアメジストの瞳に浮かぶ。

 ブルーグレーのタイムの瞳が冷淡に光った。


「術者の術も解かずにあんなの追い返したら、返された世界も困るでしょ。ボクのやり方にケチをつける気なの? 白魔女」


 タイムはまたしても巨大化する時計の針を放つと、針がローズマリーたちの方へ、びゅん! と向かっていく。


「危ない!」


 ローズマリーとヘンゼルの身体が消え、一瞬で中庭から数メートル離れた場所に現れた。


 アールグレイが二人を抱えていることに、二人は気がついた。


「ネコちゃん! 今一瞬消えたの!?」


 別の方向には、ダージリンがグレーテルと柚樹の手を引っ張り、大きくジャンプしていた。


 並の人間の跳躍力を遥かに超えている。

 着地する時に、柚樹だけが転んだ。


「あ、ご、ごめんな!」

「い、いえ!」


「どうやら、この人たちは、普通の人間ではないようですよ」


 と、ヘンゼルが苦笑いを浮かべ、呟く。


 それには構わず、リゼがローズマリーに言った。


「早くリントヴルムを避難させてください! お友達なのでしょう?」

「は、はい! リンちゃん、戻って!」


 アールグレイの腕から抜けて進み出て、ローズマリーは杖を振った。


 リントヴルムは白い光の球となり、出現したときと同じゲートへと戻っていった。


「へー、送り返したの。だけど、一連の事件で『時の流れ』が少々乱れた。この責任は取ってもらうよ」


「待ってください」


 リゼが一瞬でローズマリーとアールグレイ、ヘンゼルの前に移動すると同時に、彼らの足元には時計の文字盤のような表記の魔法陣が青く光って浮き出し、彼らを下から青く照らした。


 さらに、リゼの手には、タイムが持っている長柄武器に似た、突起はないが先端に丸い輪の付いた金属に見える杖があった。


「なんだ、よく見たら、まだヒヨッ子の『時の番人』じゃないか。珍しいところで会ったな。それで? キミは、上級者であるこのボクに何か用なの?」


「いきなり裁きではなく、まずは、この人たちの事情をお聞きしませんか?」


「判決が下る前に情状酌量じょうじょうしゃくりょうを、って言いたいの?」


 空中に浮かんだまま長柄武器を肩に乗せ、もう片方の手を腰に当てたタイムが、ニヤリと笑ったまま、地上にいる全員を見下ろす。


「事情なんて、おおかた、世界の異変によってできた異界同士をつなぐ経路から、モンスターが出現するようになった。それを偶然知ったそこの白魔女たちが、正義の心だか親切心だか、あるいは単なる気まぐれでこの世界に住み、異界への門『ゲート』で門番をしていた。そんなところでしょ?」


 リゼが答えを求めるようローズマリーを振り返る。


「おおかた、そんなところです」


 簡単! 


 顔には出さずに、柚樹は思った。


にいることは、予定通りだからいいとして……」


 どこにうさぎやらがいるのかと柚樹はキョロキョロと見渡すが、それらしいものは見つけられなかった。


「それじゃ、先に『時の流れ』を元に戻すよ〜! さっきのは、ナシ!」


 ウサ耳フード少女が長柄の先端の輪を上向きにし、ぐるん! と全体重をかけて大振りし、時計回りとは逆方向に身体ごと一回転した。


 夜空からキラキラと細かい光が、街中に雨のように降り注ぐ。


 浴びても痛みや触感すらなく、何も感じない。日光のように温度を感じることもない。

 強い光ではなかったが、その輝きに誰もがつい見惚れてしまった。


「これで、この世界の人間たち生き物は、ドラゴンとかキメラのいる異常な事態を見なかったことになった。あとはキミたちだ、そこの白魔女とその使い魔たち」


 ヘンゼル、グレーテルが身構えた。


「キミたちを帰して、今この場でゲートを塞ぎたいところだが、残念ながら急用が入ったよ。ああ〜、封印の印を描いている時間はないみたいだね。ボクは、これからこの世界の他の場所にも出てきた異界のものの対処に向かうよ。被害が出ないうちに。ドイツの次は日本、その次は北極圏か」


 斜めがけにさげられた時計の文字盤が光り、点滅し、針が二本ともぐるぐると回っている。


「そこの白魔女たちを元いた世界に帰すのはそれからだ。逃げても無駄だよ。ボクにはキミたちの居場所はわかるんだからね」


「わかってます。逃げたりなんてしないわ」


 ローズマリーを、それからヘンゼルとグレーテルを、いかにも上からな態度で見下ろす。 


「そこのヒヨッ子時の番人」


 ウサ耳少女は、リゼを見下ろした。


「はい」

「早く一人前になって、ボクを手伝えるようになれ。上級の番人が不足してる」


「……頑張ります」

「まったく、ああ忙しい、忙しい! 遅れちゃう! 遅れちゃう! 遅刻するわけにはかないんだからねー」


 ふわ〜っと、さらに上空に浮かび上がった少女の姿は、ダッシュするように空中を蹴ると、蒸気をまとって消えた。


 あたりは静まり返っている。


 柚樹の住んでいた古い家の炎はおさまっていたが、黒焦げになった木材からはところどころ煙が上がっていた。


「あの……、俺の家は……? ……もとに戻ってないんですけど」


 柚樹が誰にともなくつぶやくと、一斉に全員が彼を見た。


「え……、なんか俺、変なこと言いました?」


 リゼが動揺を隠せず、柚樹の前に出る。


「橘さん、まさか覚えてるんですか? これまでのことを」



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