第16話 ミリアの初仕事

 ロルフは大草原を走っていた。街道とは全然違う方へと向かっている。

 振り返れば、まだ街の外壁は見ることができるだろう。

 それほど街から離れているわけではない。


「もう疲れたのか?」


 隣を走る少女の息が段々と荒くなっているのを聞きつけ、ロルフは煽るように尋ねる。

 するとミリアは、苦しげな表情ながらも、


「まだ……いけます……!」


 と、そう答えた。

 ロルフはひとつ頷き、速度を落とさずに走り続ける。

 ミリアはどうにかついてきたが、そろそろ限界だと判断したロルフは足を止める。


「はぁ……っ! はぁ……っ!」


 ミリアは膝に手をつき、何とか倒れるのだけは堪えている。

 今の速度はおおよそ馬の全速力よりも少し遅い程度だ。

 それを一時間も続ければ、並の冒険者ならとうに倒れていてもおかしくない。


「《強化》をできるだけ弱く効率化して使っていたのは良い判断だな。……だが根本的に体力が足りてねえ」


 こればかりは奴隷の身分であった以上、多少は仕方がないだろう。

 これから体を作っていくしかない。

 ともあれ――「走る」、という行為は単純に見えて全身を使う運動なので《強化》の微細な調整がたびたび必要になる。今のミリアにはちょうどいい訓練だった。


「着いたな」


 とはいえ、訓練のためだけに走っていたというわけではない。

 ロルフとミリアの目の前には小高い丘があった。その奥から川のせせらぎが聞こえる。

 丘に近づくと、周囲の草よりも少し長い草が風になびいて揺れていた。

 この付近は、薬草の群生地になっているのだ。

 ミリアは冒険者としての初仕事として薬草採集の依頼を受けていた。

 だから訓練がてら、こうして薬草の群生地まで訪れたわけだ。


「根っこも使えるからな。刈らずに掘って採集しろ」

「はい」

「それと採りすぎるなよ。程々にいておかねえと、次がなくなる」

「生態系を崩すな、ということでしょうか」

「そうだ。ものを知らない冒険者が薬草を採りすぎて群生地を全滅させることは何度もあるからな……俺の推薦で登録した以上、そのあたりの常識は俺がお前に教えなきゃならねえ」


 新しく冒険者を推薦するということは、その対象者が新人の頃に何かトラブルを起こした場合、その責任をすべて負うことを意味する。これは明文化されているわけではないが、冒険者界隈では暗黙のルールだった。

 その重みを理解したのか、ミリアは少し緊張した表情でこくりと頷く。


「……俺はこれからもギルド内には顔を出さない。騒がれるのも面倒だからな」


 薬草採取の基本を教えつつ、ロルフは呟いた。

 ミリアには依頼を受領するところは一人でやってもらった。

 ロルフの弟子ということで噂も広まっていたらしく、多少の注目は集めたようだが、依頼を受けること自体には大した問題はなさそうだった。

 ミリアは特に苦にした様子もなくコツを掴むと、次々と薬草を採取していった。

 どうやら手先は器用らしい。


「終わりました」

「よし……じゃあ、帰りも走るぞ。ついてこい」


 ミリアが採集を終えるまで丘から川のせせらぎを眺めていたロルフは、彼女の声を聞いてあくびをしながら返答した。

 気づけば地平線の彼方で夕陽が眩く光を放っている。

 ミリアは僅かに嫌そうな表情をしたが、ぶんぶんと首を振って意識を切り替えていた。

 鍛錬は精神を追い込む必要があり、一人だと、どうしても「甘え」が生じる。

 だから指導者が厳しくあたる必要があるのだとロルフの師匠は言っていたが、ミリアは厳しくあたるまでもなく自力で精神を立て直していた。

 ――帰りの走りで、ミリアは何度もロルフに置いていかれそうになったが、その度に自力で立て直し、死にものぐるいでくらいついてくる。

 鬼気迫るような表情だった。

 これでロルフがもっと厳しくすれば、ミリアは自分を追い込みすぎて死んでしまう。


 ――この程度の地獄でわたしの心を追い詰められると思うな、と。


 ミリアの瞳からは、そんな意志が滲み出ていた。

 やがてロルフは帰りの途中で速度を緩め、足を止めて歩き出した。


「どう、して……わたしは、まだ……走れ、ます……」


 膝に手をつき、息も絶え絶えにそう言うミリアは、そこでふらりと崩れ落ちる。

 直前で、ロルフはミリアの体を支えた。

 細く、小さな体だった。そのまま背負うと、その軽さにひどく驚いた。


「触ら、ないで、ください……」

「辛辣だな」

「とう、ぜんです……ご主人さまは、変態さんですから……」

「やかましいわ」


 背負っていると耳元に荒い息がかかり、何だか妙な色気を感じる。


「わたし、は……まだ」

「これ以上走らせると、お前の貧弱な体には負担がかかりすぎる」

「……」

「限界まで追い込むのは大事だが、体を壊したら余計に成長が遅くなるだろうな」

「……分かりました」


 ミリアは説得された瞬間から、大人しく背負われることにしたのかぐったりした様子で肩に顎を乗せ、顔に頭をよりかける。さらさらの髪が頬をくすぐる。ロルフは鬱陶しげに顔を背けるが、ミリアに改善する様子はなかった。

 それどころか強く抱き着いて、より顔を近づけてくる。


「お前、わざとやってねぇぁ?」

「こうしないと、ずり落ちそうなのです。ちょっと抱き着くのも辛くて……」

「せめて顔をもうちょっと離せ」

「嫌です。わたしの可愛い顔を存分にご堪能ください」

「やかましいわ。ここで振り落とすぞ」

「そうするなら、わたしは自分で走ってついていくだけです」

「お前……」

「何でしょう、優しいご主人さま」


 ミリアが嫌味を言っているのは明白だった。

 けれど口下手なロルフでは舌戦に勝てる道理はなく、ならばとロルフは体勢を切り替える。


「ひゃ……!?」


 珍しく可愛らしい声を上げるミリアをくるりと回し、背負う形から、いわゆるお姫様抱っこに切り替えた。これはこれで運びやすい。

 何だかミリアの頬が紅潮しているが、もしやお姫様願望でもあったのだろうか。

 彼女は行き場のなくなった両手を、仕方なさそうにロルフの首に絡めてくる。そうしないと安定しないからだ。


「屈辱です……」

「仮にも師匠を相手に、運ばれるのが屈辱ってか」

「このまま首を絞め落としてやりたいとすら思います」

「ひでぇ弟子だ……」

「でも、ありがとうございます」

「……」

「驚かれるのは気に入りません。わたしだって、感謝するべきところはしますから」

「そういや、そんなこと言ってたな……」


 呆れながら呟きつつも、ロルフはこれまでの何倍もの速度で平原を駆け抜けていく。

 目にも留まらぬ速度だった。

 魔力効率も悪いし別に急いでいるわけでもないので、ここまでの速度を出す意味はあまりないのだが、ミリアにこの速度域を知ってもらうためにあえてやっていた。


「――わたしは、本当に強くなれるのでしょうか?」


 すると自信を失ったのか、ミリアはぽつりとした口調で呟く。


「何だ、魔術なんて簡単だと言ってた奴の台詞とは思えねえな……」

「あ、あれは……何だか、心がふわふわしていた時のことなので……!」

「いいんだよ、恥ずかしがらなくても、そのぐらいの心意気を持っていれば」

「そう、なのでしょうか……?」

「ああ」


 そう言って、ロルフは僅かに苦笑を過らせた。


「何せ、大成する魔術師ってのは九分九厘、とんでもねえ自信家だからな」


 二人はそんな会話をしつつ、猛スピードで街に戻っていくのだった。

 家に帰り着いた頃には、すっかり夜になっていた。


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