第12話 《魔弾》の鍛錬
――次の日も、ミリアの訓練だった。
ただし、昨日のような《強化》を使った模擬戦闘ではない。
昨日は近接型魔術師に必要な訓練をやった。
そして、どのみち昨日の筋肉痛で、まともに体は動かせない。
ならば今日は、遠隔型魔術師に必要な訓練を試してみようと思うのだ。
「……」
ミリアは特に文句は言わないものの、どこかよろよろとした動きでついてくる。
体中が痛いのだろう。
昨日は倒れるまで《強化》を使い続けたのだから仕方がない。
帰宅してから彼女の体をチェックしたが、どこかを痛めているというわけではなく、あくまで筋肉痛に過ぎないので、ある程度体を動かしてほぐせば回復するだろう。
「この辺りでいいか」
そしてロルフは、街はずれの森に入る手前で足を止めた。
前方には、木々がまばらに何本か生えている。森の奥へ進むほど生い茂っている様子だ。
「今日は、何をするのでしょうか?」
小首を傾げるミリアに、ロルフは淡々と語り始める。
「……魔術の基本って呼ばれてるもんが、大別して三つある。一つは分かるな?」
「《強化》、ですね」
「そうだ。《強化》の魔術は、仮に遠隔型の魔術師だったとしても、ただ使うだけなら間違いなくできる。そいつが一人前ならな。それぐらい、魔力操作の基本ってことだ」
そして、とロルフは言葉を続けながら近くの樹木に掌を向けた。
「二つ目の基本。魔術というものの代表的な術式。こいつが今日、お前に教える魔術だ」
「と、言いますと……?」
「非魔術師だったお前も、名前ぐらいなら聞いたことあるだろ」
次の瞬間。
ロルフの掌から青白い輝きを灯した球体が射出された。
それはまるで矢のような勢いで近くの木に炸裂し、その幹を粉砕する。
ゴバッッッ!! という凄まじい音が響き渡った。
「……すごい」
呆然としたようなミリアの呟きの直後、中ほどから圧し折れた木が、重そうな音を立てて大地へと沈んでいった。
「これが――《魔弾》。魔術師の基本と呼ばれている術式の一つだ」
ロルフは木に向けていた掌を下ろすと、
「やり方は単純だ。魔力をどこか一点に集中させ、それを放出する。俺は今、掌に魔力を集中させて、真っ直ぐに勢い良く放出した。こいつが基本的な《魔弾》だが……極めれば、こんなこともできる」
刹那、ロルフの周囲に青白い輝きを灯す球体が浮かび上がった。
その数は、四。
「ひゃ……!?」
近くに立っていたミリアが、突如として現れた球体にびっくりして後ずさる。
そしてロルフが視線を折れた木に向けると――周囲に浮かび上がっていた四つの球体が一斉に飛び出していった。真っ直ぐに飛んだ二つの球体が、目にも留まらぬ勢いで折れた木に炸裂し、爆発四散させていく。直後、右と左にそれぞれカーブを描くような軌道で迫っていた残り二つの球体が、木の残骸を挟み込むように直撃し、跡形もなく消し飛ばした。
「……これぐらいできて、初めて遠隔型の魔術師を名乗れる。分かったか?」
「は、はい」
ミリアは返事をするが、決して細くはない一本の木を消滅させている事実に圧倒されているようだった。
「じゃあ、やってみろ。まず、大事なのはイメージ。つまり――自己認識の変革だ」
◇
「……ふむ」
ざっと三時間だった。
ミリアはその間、《魔弾》の練習を続けていたが、いまだ発動することができずにいた。
「そろそろ昼飯にするか」
ロルフが真上に上った太陽を眩しそうに遮りながら言うと、ミリアは悔しそうに俯く。
「……分かりました」
そう言って、近くに置いた荷物のもとへミリアは歩いていく。
訓練中は街の外にいるので、いちいち昼食のために街中へ戻るのも面倒だ。
とはいえ体を動かしている以上、腹が減るのは避けられない。
それに生命力をエネルギー源としている魔力を扱っているのだから、栄養補給は重要だった。
だからミリアが朝、予めサンドイッチを作っておいてくれたのだ。
「昼食をお持ちしますね」
どこかしょんぼりしているミリアの背中を眺めつつ、ロルフは顎に手をやって考える。
――普通に考えて、たったの三時間で《魔弾》を使えるようになるはずがない。
今のミリアができるのは、魔力を手に集中させて僅かにそれを漏出させる程度だが、間違いなく上出来な方ではある。
《強化》がある程度扱えるのなら、手に魔力を集中させるのは簡単だ。
だが、手に集めたその魔力に、強化ではなく放出のイメージを与えることが難しいようだった。
術式そのものが異なるのだから、必要となるイメージもまったく異なる。
つまり難しいのも当然なのだが、あれだけ早く《強化》の感覚を掴んだミリアであれば、もしや――という思いがあったことも否定はできなかった。
「ご主人さま、こちらへ」
「おう」
手ごろな岩の上に、ロルフはどっかりと腰を下ろす。
ミリアはそんなロルフの隣にそっと腰を下ろし、手に持っていたバッグを開く。
そこには、肉と野菜をパンで挟んだ、美味そうなサンドイッチがあった。
ロルフはミリアが食前の祈りを捧げているのを横目に、サンドイッチにかぶりつく。
「……ご主人さまは、食前の祈りを捧げないのですね」
「神は信じねえことにしたんだよ」
そう言うと、ミリアはどこかムッとした表情をロルフに向ける。
「この祈りは神様だけではなく、わたしたちの生きる糧となってくれた命にも捧げているのですよ。……後、その料理を作った人への、感謝も」
「そう、だったのか」
ロルフは正直、一般常識には疎い。
ずっとソロで冒険者活動をしていたし、幼い頃に親を亡くし、この街の西側の壁の外に広がるスラム街で育ったロルフに友達と呼べる関係性の者は一人しかいなかった。
『――やあ、お腹が空いているのかい?』
森の中で倒れていたロルフにかけられた、『魔女』の声が脳裏に過る。
教会の教えに従い、神に祈りを捧げたところで、神が助けてくれたことはなかった。
助けてくれることがあるとしたら、それは必ず誰かの好意だった。
結局、それは人と人のつながりの話でしかなく、神の実在を証明するものはどこにもない。
だからロルフは祈りを捧げなくなった。
だが、食前の祈りに、神以外への感謝も含まれているというのなら、
「……分かったよ」
ロルフは宙で十字を切り、拳の形の右手を胸の前に置き、目を瞑る。
(……まあ、何だ? 分からねえけど、ミリアとか、いろいろなものに感謝を)
まさに作法をなぞっただけといったような祈りを捧げたロルフに、ミリアは苦笑する。
それでもロルフが真剣だったことだけは、彼女にも伝わったらしい。
「では、いただきましょう」
柔らかい調子でミリアは言う。
ロルフは頷き、サンドイッチを口にした。
もそもそと、しっかりと噛んでから飲み込んでいく。
「……美味いな」
「そうですか? ありがとうございます」
「明日も、頼んだ」
「ふふ、分かりました」
思えば、毎日きっちり三食を食べる生活など久々だった。
一年前、ここに帰ってきた日から、ロルフは夜に酒を呑んでは寝て、昼過ぎに起きては適当なつまみで腹を満たすという不健康的な生活を送っていた。
そのせいか、体がずっと重く感じていた。
だが、ミリアと共に生活するようになってからは、それがない。
まだ寝ていたい時でも起こされるし、朝ご飯を用意されるからだろうか。
「……ご主人さまは、生活がだらしなさすぎるんですよ。だから体調を崩していたんです」
ロルフの思考を見透かしたように言うミリア。
彼女はロルフの表情を見て小悪魔的な微笑を浮かべると、
「もしかして、当たっていましたか?」
「……さあな」
「あんな生活を送っていたら、早死にしますよ。わたしはそれでも構いませんが」
「辛辣だな」
「当然でしょう」
「特に生きている意味が見つからなかったんだ」
サンドイッチを食べ終わったロルフは煙草に火を点けながら、淡々と言う。
「……煙、臭いです」
「なら、ちょっと離れたところで吸ってくる」
「わたしはもうちょっと食べますね」
「食いたいだけ食え。その方が体も強くなる」
ロルフが立ち上がり、煙草をくわえながら背を向けて歩き出すと、
「……ご主人さま」
ミリアが呼び止めた。
ロルフは肩ごしに彼女を一瞥する。
「……何だ?」
「こんなことを聞いていいのか、分からないのですが……」
「言ってみろ」
「ご主人さまは……だったら、どうして、今も生きているのですか?」
死にたいと言っている人間が、本当に死にたいとは限らない。
ゆえにミリアの質問は、ひどく冷たいものと言ってしまっても問題ないだろう。
だが、彼女はこれまでのロルフを見て、分かっているのだろう。
ロルフが本当に、これ以上生きている意味が見つけられなかったということを。
とうに自殺をしていてもおかしくないほど、心が死んでいたということを。
「……『生きろ』と、そう言われたんだ。だから――」
――もう二度と、あの女の願いを裏切るわけにはいかない、と。
そんなロルフの呟きは、不意に訪れた強風に流され、消えていった。
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