第5話 生活の準備

「どう思いますか? ご主人さま」


 ミリアは妖しげな微笑を浮かべると、試すようにロルフを見上げてくる。

 彼女は落ち着いた色合いながらも華やかさも兼ね備えた印象のスカートを穿いていた。


「似合ってるんじゃねえか?」


 ロルフたちは被服屋に入り、仕立ててもらう服の見本を着させてもらっていた。


「……そうでしょうか? ありがとうございます」


 ミリアはいまいち納得がいかないのか、首を捻りつつも感謝を告げる。

 そしてスカートを脱ぐと、またうろうろと服を探し始めた。


「……こっちのほうがいいでしょうか?」

「そっちも似合ってんじゃね?」

「ご主人さまは、どちらの方がお好きですか?」

「あー……まあ、どっちも買えばいいんじゃねえか。金なら気にしなくていい」

「ご主人さま……」

「何だよ。そんな目をされても女の服なんて分かんねえよ」


 店内ではそれなりの数の衣服がハンガーにかけられている。

 この中から気に入ったものを選び、ミリアのサイズに合わせて新しくそれらを仕立ててもらうのだ。

 ミリアはしばらく店内をうろつくと、いくつかの衣服を手にロルフのもとに戻ってきた。


「……決まったか?」

「……はい。このぐらいの枚数を買っていただけれればありがたいです」


 難しい表情をしているミリアが抱えているいくつかの服を眺める。

 洗濯して着回せば十分に生活できる程度の量はあるが、


「別にもっと数があってもいいんだぞ。遠慮はしなくていい」

「いえ、ご主人さまに遠慮しているわけではないです」


 すまし顔で否定するミリアに、それはそれで釈然としないロルフである。


「まあお前がいいならいいけどよ」

「ありがとうございます、ご主人さま」


 そういうわけでロルフは銀貨を何枚か前払いすると、女の服職人に注文をする。

 彼女曰く、明後日には仕上がっているだろうとのことだった。

 ……何だか彼女の視線が妙に冷たいような気がする。

 奴隷の首輪こそ外したとはいえ、まともな衣服を纏っていない十五歳の少女を連れ回している絵面はちょっと怪しまれても仕方がない。


「買うのはこのぐらいでいいか……っと。後なんか買うものあったか?」

「……えっと」


 ミリアは珍しく躊躇うような仕草を見せると、視線を彷徨わせる。

 その体が僅かにもじもじとしていたところを見て、「ああ」とロルフは言った。


「下着、買うの忘れるところだったな。あぶねえ」


 ミリアの下着だけはその場で購入することができた。

 下着はスペースを取らないので、いくつかサイズごとに用意しているらしい。


「……あんまりジロジロ見ないでください」


 そんな感じのやり取りをしていたら、なぜか女の服職人の視線がさらに冷たくなった。

 ともあれ、用を終えたロルフたちは被服屋を出て、また大通りへ。


「……さて、じゃあ明後日までは古着で我慢してくれよ?」

「はい。古着でもわたしには十分です。ありがとうございます」


 通り沿いに立ち並ぶ露店の中から、ロルフたちは適当に古着や生活雑貨、靴などを購入。

 そんなことをしていると段々と日も落ちていき、夕暮れが空を焼いていた。

 少し人通りが減った通りをのんびりと歩きながら、ロルフとミリアは会話を交わす。


「だいたいこんなところか」

「何から何まで、本当にありがとうございます」


 普段はロルフを振り回すような態度を取りがちなミリアだが、今回は本当に感謝しているのだろう。彼女は真摯な瞳で感謝を告げると、長く頭を下げた。


「気にすんな。事情が事情だし、お前を買ったのは俺のエゴだ。それにお前はもう俺の弟子になったんだろ? じゃあ遠慮することは何もねえ」

「でも……」

「それでも気になるってんなら、出世払いにしとくか。お前が悪竜を討伐するぐらいの強い魔術師になったら、いくらでも金を送ってこい。ぜんぶ酒代に使ってやる」

「……分かりました。そういうことなら、遠慮はしません」


 ミリアは花のような笑みを浮かべて言った。

 どこか吹っ切れたような上機嫌になったミリアに、ロルフは鼻を鳴らす。


「……でも、お酒は少し控えたほうがいいと思います」

「気が向いたらな」

「ぜったい控える気ないでしょう……?」

「そんなことより腹が減った。もう夕方だし、適当にどっか入るか」

「もしかして、さっそく酒場に向かう気でしょうか……?」

「腹ごしらえもできるしちょうどいいだろ。ほら、さっさと行くぞ」

「手、引っ張らないでください……っ!」


 ◇


「――そういや、王都にあるお前の家ってどうなってんだ?」


 ロルフの家から数分の位置にある小さな酒場。

 その窓際のテーブル席に、ロルフとミリアは向かい合って座っていた。

 夜の訪れとともに、店内のがやがやとした喧騒も徐々に激しさを増していく。


「お姉ちゃん名義の家でしたし……そこに住んでいたわたしもいなくなっていた以上、とうに打ち壊されてるか、他の誰かが住みついているのではないでしょうか」

「そうか……そりゃそうだよな。もし大事なものとか家に置きっ放しだったなら王都まで取りに向かおうかとも思ったんだが。この街から……馬車で五日ぐらい? だしな」

「お気遣いありがとうございます。ですが、とくに思い浮かぶものもないので大丈夫です」

「ならいいんだが」

「強いて言うならお姉ちゃんの剣を取りに戻りたいですが、わたしを襲ったごろつきたちに押収されているでしょう。……見つけ次第、取り戻したいとは思っていますが」

「そこまで執着はないと?」

「今のわたしでは、どうしようもないでしょう? 悪竜への復讐にしろ、お姉ちゃんの剣を取り戻すにしろ、どのみちそれをなすだけの力が必要です。わたしに、そんな力はない」

「……だから俺に師事すると」

「はい。貴方は、わたしの希望なのです。ご主人さま」


 ミリアはそう言って、くすりと笑う。

 ――彼女こそ、ロルフの絶望の体現者のようなものだった。

 酒を呑んだくれて、必死に逃げていた現実を突きつけてくるような存在だった。


「わたしは、お姉ちゃんを奪ったすべてのものを許さない。絶対に」


 氷のように冷たい声音が耳に届き、ロルフの全身に怖気が立つ。


「……なあ」

「何でしょう、ご主人さま?」

「――お前、俺のことは嫌いか?」


 その問いに、ミリアは驚いたように瞬きをすると、


「はい。この世界で二番目に」


 柔和な笑みを浮かべて言った。

 それを聞いて、ロルフはほっとしたように息を吐く。

 本当に。


「……安心した」

「どうしたのですか? もしや会って数日しか経っていないのに、もう自分がわたしに好かれたと考えるほど能天気な人だったのでしょうか?」

「うるせえな。俺だってお前なんか嫌いだよ。バーカバーカ」

「子供ですか」

「お待たせしましたー」


 そんな言い合いをしていると。酒場の看板娘がテーブルの上に料理を運んできた。

 肉厚のステーキがじゅうじゅうと鉄板に焼かれ、食欲をそそる香りが漂ってくる。

 他にもサラダやパン、スープ、豆料理などがところ狭しとテーブル上に置かれた。

 ロルフが普段この店で頼んでいる少しお高めのメニューである。

 最初は「適当に酒と肉とつまみ」という風に頼んでいるだけだったのだが、段々と看板娘がロルフの好みを把握してきたのか、最近はこのメニューになることが多かった。

 もちろん旬の野菜や新鮮な魚などが入荷していた場合はその都度変わるが、ともあれロルフはこの料理をとても気に入っていて、半年前から行きつけの酒場となっていた。

 ちなみにミリアには量を少なめにしてもらいつつ、同じものを頼んだ。

 テーブルの上に立ち並ぶ料理に、ミリアは「わぁ……」と目を輝かせている。


「こちら、エールですね」

「おう、ありがとな」


 看板娘から手渡された樽状のジョッキを受け取る。

 なみなみと注がれた麦酒が泡を立て、今にも端から零れ落ちそうになっていた。

 それでこそエールだと思い、ロルフは嬉々として笑う。

 看板娘は興味深そうにミリアをちらりと見やると、ロルフの耳元に口を寄せてささやく。


「いえいえ……それにしても、今日はいつもと違って女連れなんですね?」


 ロルフは呆れたように息を吐きつつ、


「女って、おい……こいつはまだ子供だぞ?」

「あら、いちばん可愛らしいお年頃だと思いますけど」

「……悪いが俺はもうちょっと熟しているほうが好みでな」

「もしかして私を口説いているんですか? 駄目ですよロルフさん、まだ早いです」

「なんでそうなる?」

「あら? 違いましたか?」

「からかうのはやめろ……」

「ふふ、相変わらず、可愛い反応をするお客様ですね」

「ぬ……」

「それで結局、どういう事情なんです?」

「いやまあ……弟子を取ることになったんだよ」


 ロルフが濁しつつ言うと、看板娘は深入りされたくないことを察したのか、


「なるほど……まあ、何か困ったら適当に頼ってくださいねー」


 早々に話題を切り上げて仕事に戻っていった。

 この酒場の看板娘はロルフの家の隣に住んでいて、それなりに話す機会も多い。

 とはいえロルフは彼女の名前も把握していないのだが、それはともかく「困ったら頼ってください」とはお隣さんのよしみゆえのものだろう。


「ご主人さま……」


 そんなロルフたちの会話を聞いていなかったのか、ミリアは明るい表情で言う。

 いつものような作った笑顔とは異なり、本当に嬉しそうだった。

 朝飯も食べたとはいえ、このような豪勢な食事は久しぶりなのだろう。

 彼女の痩せ細った体が、食事量の不足を如実に物語っている。


「美味しそうです」

「そうだな、じゃあ頂くか」

「はい!」


 ロルフはミリアが食前の祈りを捧げるのを横目に、料理に手をつけ始めた。

 そしてジョッキの中身を一気に飲み干していく。


「……またお酒ですか」


 ミリアはロルフの手にあるエールに目をやり、ジト目で言う。


「酒がなきゃ生きている心地がしねえんだよ。そんなことより、冷める前に早く食え」

「むぅ……分かりました」


 ロルフはごくごくと豪快にエールを飲み干しつつ、塩で味付けされた豆料理を口に放り込む。

 絶妙な塩加減がまた素晴らしくエールに合っていた。

 さっそく一杯を飲み干し追加で注文しつつ、ロルフはステーキに手をつけていく。

 柔らかく程よい弾力がある良質な肉だった。

 舌の上で肉汁が踊り、噛み締めるごとに旨味が溢れていく。

 無趣味なロルフにとって、食事と睡眠は何よりも大切な娯楽だった。

 ゆえに金を惜しむつもりはない。

 少し贅沢な料理に舌鼓を打ちながら、ロルフは対面のミリアを見た。

 すると、


「美味しかったです」


 彼女はいつの間にかすべてを平らげていた。


「お、おおぅ……」


 ロルフは唖然とする。

 いくらエールにかまけていたとはいえ、ロルフの食事スピードは決して遅くはない。

 そもそも、まだ食べ始めてから数分も経っていなかった。


「そういやお前、よく考えると朝も一瞬で食い終わってたな……朝っていうか昼だったが」

「わたし、食べるのは早いねってよく言われるんです」

「早いってレベルじゃねえと思うが……もっと食べるか?」

「いいのでしょうか?」

「そんなもの欲しそうな目で見られたら受け入れざるを得ねえな……ったく、この分なら量を少なくしてもらう必要なかったな……」

「すみません……」

「たくさん食べるのはいいことだろ。気にすんな」


 しゅんとしたミリアに、ロルフは何でもなさそうな調子で言う。

 そういうわけで看板娘に追加で注文を頼んでいると、そのとき店の扉が開いた。

 カラン、と涼やかに鈴が鳴り、新たな客の来店を告げる。


「……へえ」


 姿を見せたのは金髪碧眼の端正な顔立ちに、線の細い体格をした少年だった。

 この少し小汚い酒場には些か似合わない、いかにも場違いな服装と雰囲気を纏っている。


「一人なんだけど……カウンター、空いてますか?」


 ロルフはそんなことを言う彼を観察しつつ、きょとんとしているミリアに告げた。


「……そうだな。ミリア、せっかくだ。魔術の講義をしてやる」

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