凌子りょうこは随分前に亡くなっており、今 香御堂こうみどうは自分がやっていると言ったみことわらにもすがる思いで事情を説明すればみことは、

「なるほど、良く分かりました。では、出来るだけ早くに貴女に会いたいと思います」

 と言い、二人は電話の三日後にみことの家の近くのふもとに一軒だけある喫茶店にて待ち合わせをした。

 倫子りんこはどのように事情を説明した物だろうと、年齢の割に落ち着いているみことを目の前に挙動不審になっていたが、みことは小さなポーチを一つ、倫子りんこの目の前に差し出し言う。

「事情は大体分かりますので詳しい説明はけっこうです。それよりも貴女にはやってほしい事があります」

 みことがやってほしいと言ってきた事柄は二つ。

 一つ目。

 一緒に入れている紙に書かれた文章を録音し、知哉ともやが寝たら一晩中耳元で流し続け、流している間はポーチの中に入っている香を知哉ともやの部屋で焚き続ける事。その際、決して他の人たちは部屋に入らないこと。

 二つ目。

 香を焚いた翌日には知哉ともやを家から出し、香御堂こうみどうに住み込みで働かせること。また、その間尊みことの許しが無い限り連絡を取ることはしないこと。

 この事柄にどんな意味があるのかわからず、聞き返そうとしたがみことは鋭い視線を向けて倫子りんこが口を開くより先に言葉を発する。

香御堂こうみどうの場所はポーチの中にメモ用紙を入れていますのでそれを見て説明するかメモそのものを本人に渡せばいいです。一言で言うなら今の貴女の息子は息子ではない何かです。姿かたちは同じでありながら中身はそうではない、もちろんそのまま生活していくのであればそれで結構、やるやらないはそちらの自由。ただし、やらなければ貴女の息子は一生あれであり、本来の貴女の息子は貴女の知らないところで死ぬことになる。どういうことなのか説明してほしければしますが、今の貴女にはそれを受け入れ理解する事は出来ないでしょう。どうすればいいのか、それを考えるのは自分の息子を取り戻すか否かで考えるのが一番良い。先ほども言いましたがどうするかを決めるのは貴女自身です。それでは」

 言うだけ言ってみことは喫茶店を後にし、倫子りんこはポーチを手に呆然としたまま帰宅した。

 家に帰れば家の中では仕事を辞めた知哉ともやが好き勝手なことをしている。

 仕事に行くこともなく、家の手伝いをするわけでもない、ただ自分の楽しさだけを優先している姿は以前の知哉ともやからは考えられない姿であり、みことに言われずともそれが自分の息子ではないと感じてしまっていた。

 リビングの食卓の椅子に座り、溜息をつきながらみことに渡されたポーチを眺め考え込んでいたが、やはりこのままではいけないと知哉ともやが寝たのを確認して耳元にスマホを置いて言われた通り録音しておいた音声をリピートするように設定し再生。

 さらに仏壇から香炉を持ってきて香に火をつけそっと香炉ごと知哉ともやの部屋の中に入れた。

 メモの内容はさかき家と倫子りんこは親密な仲であり、あまりに働かない知哉ともやを心配して倫子りんこみことに相談、みことの了承を得て香御堂こうみどうへ有無を言わせず働かせに行かせるというもの。

 当然の事ながらさかき家とはメモに書かれているような間柄ではなく、凌子りょうことも友人ではあったが倫子りんこが大学生になり家を出て一人暮らしを始めた頃から付き合いも少なくなり、母親が亡くなってその家土地を手放してからは全く交流が無かった。

 それに、知哉ともやは聞き分けがよく、口うるさく言わなくてもきちんとしていた子供だったので倫子りんこ知哉ともやに何かしらの命令などしたことはない。

 このメモの内容、繰り返し再生することに何の意味があるのだろう。そう思いながらも倫子りんこにはもう、みことの言うままにするしか方法は残されていないような気がして言われる通り、次の日には荷造りを手伝い知哉ともやを家から送り出した。

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